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徳島城博物館 秋の特別展「蜂須賀三代 正勝・家政・至鎮-25万石の礎-」

徳島にやってきました。高速バスのが早かったので高速バスでの徳島入り。途中、人生初の淡路島(徳島も)だったのですが今度またゆっくり訪れたいもんです。

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徳島城博物館 
地図で見ると駅から近いのですが、線路に阻まれてます。徳島城址にあり背後には本丸のあった城山が観えます。

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秋の特別展「蜂須賀三代 正勝・家政・至鎮-25万石の礎-」
期間:2010年10月23日(土)~11月28日(日)
「阿波・淡路両国25万石の大大名に成長した蜂須賀家。今回の特別展では、その礎を築いた三代の当主、家祖正勝・藩祖家政・初代藩主至鎮に焦点を当て」(公式解説より)
蜂須賀正勝 肖像画
1586年5月22日に亡くなった正勝。この肖像画はその直後に描かれたものらしい。正勝といえば豊臣秀吉の補佐役とイメージが強いが、この肖像画の賛にも正勝のことを漢の高祖を支えた張良に例えた一文がある。
蜂須賀正勝所用 朱漆塗萌葱糸素懸威胴丸
朱塗りの胴に金箔で日輪を配す。類似品に前田利家の甲冑が有り、当時の織田家中の流行であろうか。
蜂須賀正勝所用 革包腹巻具足
兜は鯰尾形。亀甲の文様の革で包まれた胴が特徴的。上記の胴丸同様に小振りな甲冑である。
蜂須賀蓬庵(家政) 肖像画
今回の目玉のひとつで、最近発見された歴代藩主肖像画のうちの一枚。隠居後の姿で描かれている。家政は正勝の長男で父と共に豊臣秀吉に従い数多くの戦に参陣している。四国攻めの後に秀吉が正勝に阿波を与えようとしたが辞退した為に家政が拝領している。
蜂須賀至鎮 肖像画
こちらも新発見の肖像画。35歳当時の姿だが大きな瞳と丸顔のため童顔である。ってか戦国時代の肖像画の中でも非常に特徴的な顔でインパクト大である。
至鎮は家政の長男。関ヶ原の戦にも徳川家康に従い参戦、大坂の陣では奮戦し戦後に淡路を加増されている。
蜂須賀至鎮 革包丸龍文二枚胴童具足
烏帽子形兜に金箔押しの鉢巻を前立とする。胴には丸龍を配し各所に家紋の左卍紋の金物が付く。至鎮はこの具足を着用して関ヶ原で初陣を飾った。

蜂須賀正勝。いや蜂須賀小六で有名な人物だが、昔は野盗の親分説もあり秀吉との関係も興味深い。今回の展示では、そんな彼の真の人物像に近づけたような気がします。
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