SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1211 茶道資料館 -茶会記にみる茶道具― 姫路藩主 酒井宗雅の茶と交遊

11月編に突入
京都です

003_001_20130103140514.jpg
茶道資料館

002_001_20130103140513.jpg
秋季特別展「-茶会記にみる茶道具― 姫路藩主 酒井宗雅の茶と交遊」
期間:9月29日(土)~11月25日(日)
「江戸時代中期の大名茶人・酒井宗雅は36年の短い人生の中で、茶会記『逾好日記』と日次記『玄武日記』を残しています。これらの記録を紐解いてみると、流派にこだわる事なく茶会を楽しみ、茶入の熟覧に心躍らせ、茶道具を手造りする、等身大の宗雅の姿がいきいきと記されています。この度の展覧会では、茶会記・日記に記された茶会、茶道具、茶の湯を通した交遊等をご紹介いたします。」(公式より)

sakai.jpg

夢・蝶図 酒井宗雅筆・抱一画
荘子の「胡蝶の夢」の逸話より、酒井宗雅が「夢」の文字を酒井抱一が蝶を描く。
酒井抱一は姫路藩主・酒井忠以(宗雅)の実弟。琳派の絵師として名を成した。
唐物肩衝茶入 銘富士山
黒釉の「へ」の字の景色を富士山に見立てた事からの命銘。小堀遠州が所持し後に松平不昧に渡った。
茶会記『逾好日記』の天明七年(1787年)三月十八日不昧の茶室に招かれた際、酒井宗雅が願って最後に拝見している。
古備前茶入 銘さび助 
その寂びた姿から古田織部が命銘したとされます。松花堂昭乗が所持し住職を務めた滝本坊に伝来していたが、他の茶道具と共に散逸の危機にあった事から酒井宗雅が買い戻し滝本坊に寄贈した。
その後滝本坊よりお礼として贈られ、宗雅の没後に松平不昧に譲られた。
古銅蟹蓋置
足利義政が庭の景物として十三個作らせたものの一つと伝わる。蓋置とする為に足の部分が切断されている。
武野紹鴎、松花堂昭乗、遠州が所持した。小堀家七代の宗友から酒井宗雅に贈られた。

最後にもうひとつ展示品で気になったものが有る。それは酒井宗雅と松平不昧の往復書簡である。
宗雅は茶人の先達として不昧を尊敬していたようで、様々な茶湯に関する質問を書状にして不昧に送っている。不昧はそれに赤字で解答して返していた。2人は茶人である前に大名であり参勤交代などで直接会う事が自由に出来なかった事からこのような方法とった様だが、宗雅の熱心さ非常に伝わってきた。

宗雅は36歳の若さで亡くなっている。茶湯に対する異常なまでの探究心は、その事を悟っていたからだろうか。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「探訪」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事