毛利博物館
旧長州藩主毛利氏の邸宅。現在は邸宅の一部を毛利博物館として毛利氏に伝わる宝物を収蔵・展示している。落ち着いたつくりながら壮大な建物です。庭園も広いですねぇ。
「企画展 対決!毛利氏と信長・秀吉・家康」
「西国の雄であった戦国大名毛利氏が、信長・秀吉・家康など戦国の名将たちと対決し、激しく争う歴史を、毛利家伝来の文化財からひもときます」との事で戦国毛利氏に関する展示を見てきました。
毛利元就自筆書状(三子教訓状)
長男毛利隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景に与えた書状で、所謂「三本の矢」の逸話の元となった書状。
軍幟
毛利元就が戦で用いた旗。元は縦長の流れ旗だが現在は下部が欠損している。毛利家家紋「一に三つ星」が描かれている。
毛利輝元所用 唐冠二枚胴具足
毛利輝元が豊臣秀吉より与えられた具足。秀吉のものとしては、やや地味な感じもするがそれだけ実戦的ともいえる。
毛利輝元所用 黄天鵞絨赤地緞子桐紋切付陣羽織
これまた秀吉よりの拝領品。
眼鏡
毛利輝元が使った老眼鏡。この時代のメガネは非常に珍しい。
防府から長府へ
櫛崎城(長府城)
大内氏の重臣内藤隆春が築城。関が原の戦いの後毛利秀元が改修入城したが、一国一城令により廃城となった。現在は関見台公園となっていて、天守台が復元されている。
櫛崎城址の石碑
この辺りが松崎口で大手門二重櫓があった場所とされています。
長府の町に向かいます。
忌宮神社
長門国二ノ宮、仲哀天皇・神宮皇后が九州の豪族熊襲を鎮圧の際、ここに仮皇居として豊浦宮を建てた場所だそうです。この神社にある宝物館には室町幕府初代将軍足利尊氏の兜や長府藩初代毛利秀元が豊臣秀吉から拝領された刀筒や陣太鼓が展示してある。その中に毛利両川のひとり
小早川隆景所用 金箔押烏帽子形兜
後ろに角元が付いており後立が取り付けられていたものと思われる。
功山寺
鎌倉時代創建で元は長福寺と呼ばれていたそうだが、長府藩主毛利秀元の菩提寺となり功山寺と改められた。
国宝の仏殿
大内義長の墓
義長は大友義鎮(宗麟)の弟。主君大内義隆を攻め滅ぼした陶晴賢により大内氏の主に据えられたが、晴賢が厳島の戦で毛利元就に敗れると義長も攻められ、この地で自刃し果てた。ここに中国地方に勢力を誇った大内氏は滅亡し代わって毛利氏が台頭することとなった。
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