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興福院
浄土宗の尼寺。一時衰退の後に豊臣秀吉(または秀長)より寺領200石の寄進を受けた。
寛永年間には、本堂・客殿の造営が行われ作事には小堀遠州があたり、久保権大輔(長闇堂)も参与したと伝わる。また寛文5年(1665)四代将軍・徳川家綱より現在地を与えられ建物は移築された。
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興福院本堂の扁額
小堀遠州筆
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庭園
元の庭は小堀遠州作庭と伝わり、現在の庭もその流れを汲む。
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手水鉢
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書院
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長闇堂 墓碑
大正14年に発見された。
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茶室「長闇堂」と「龍松庵」
長闇堂は久保権大輔が営んだ庵で「七尺堂」と称した。権大輔の死後は移転を繰り返し、最後は材を保管していたのを誤って薪として使ってしまったという。
現在の「長闇堂」は昭和3年に古図をもとに「七尺堂」を再現したもの。外観は宝形造で軒反りが付けられている。
その「長闇堂」と畳廊下で接続しているのが「龍松庵」で、大乗院の八窓庵(現在は奈良国立博物館にあり)の写し、これは古田織部好みと伝わる。
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「長闇堂」内部(資料より)
内部は二畳に床と仏間を設ける。天井に南都大仏殿勧進帳などが貼られている。床右側の下地窓上部には「長闇堂」の額が掛けられている。
持仏堂と茶室を含めた庵としては松花堂昭乗の「松花堂」が知られているが、久保権大輔の「七尺堂」はそれに先行し「松花堂」に影響を与えたと考えられている。