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2103 龍安寺① 石庭

京都

龍安寺
徳大寺家の別荘であった場所を、宝徳2年(1450)に管領・細川勝元が譲り受け、妙心寺より義天玄承(玄詔)を迎え創建した。応仁の乱で焼失後、勝元の子である細川政元によって再興され、その後に豊臣秀吉などが寺領を寄進している。

龍安寺垣
竹垣の一種。高さが低く抑えられ菱格子が特徴。
参道石段の両側に設けられているこれが本歌。

さて、龍安寺と言えば

石庭
方丈の南に矩形の白砂敷の中に五群十五個の石を配した独創的な枯山水庭園。
作庭年代、作庭意図は所説あり確かなことは不明。
石を運んだのは織田信長の祖父・信定と伝わっている。

作庭者についても諸説あり、管領・細川勝元、開山の義天玄詔が創建時造ったとする説。次に勝元の子・政元や中興の特芳禅傑が再興時に、他には足利将軍家の同朋衆・相阿弥、相国寺の僧・子建寿寅、茶人の金森宗和、同じく小堀遠州など様々である。

西側の塀は奥に向けて低くなっっており遠近法を取り入れている。

油土塀を裏側から見たところ。

次回も龍安寺
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