SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1510 逸翁美術館 秀吉の時代

大阪は池田
005_001
逸翁美術館
004
秋季展「秀吉の時代 ―桃山美術の光と影」
期間:10月10日(土)~12月13日(日)
hideyoshijidai
豊臣秀吉像 画稿 狩野光信筆
黒の束帯姿の秀吉像。顔周辺に別紙が貼られており、画の下部に「これがよくに申よしきいにて候」と書かれており、何枚も描かれた下絵よりこの像が選ばれたと思われる。様々な秀吉像にこの容貌は使われているそうだ。
利休伝書
三幅よりなり「大坂御成ノ御茶屋黄金ノ間ノ次第」と、天正14年(1586)秀吉が大友宗麟を招いての茶会の様子が記されている。 
当時、豊後の太守であった大友宗麟は薩摩島津氏による軍事的圧迫に対抗する為、秀吉を頼って海路大坂に出向いた。これを歓迎した秀吉は大坂城を共に見学、更に黄金の茶室にて茶を振舞っている。
古田織部消息
慶長6年(1601)卯月十九日付、松屋源三郎宛。奈良の塗師で茶人でもあった松屋に招かれた際の礼状。
この時織部は松屋三名物のひとつ徐煕の鷺絵を拝見しているが、織部にとって二度目であり、前回は天正13年(1585)の時、利休に「数寄の極意」を尋ねたところ徐煕の鷺絵を見に行くよう薦められ瀬田掃部と共に松屋へ赴いている。
利休が徐煕の鷺絵を拝見する様薦めたのには絵の内容以外にその表具を珠光が行なっている為で、利休の珠光称揚を示す一端を表している。
安楽庵策伝像 松花堂昭乗筆
脇息にもたれる僧侶姿の肖像。賛を安楽庵策伝自らが記している。策伝・昭乗ともに織部に茶の湯を師事したとされ遠州とも交流があった。 
松平不昧所持で「雲州蔵帳」上之部に記載される。
井戸茶碗 銘 きたむき
やや青みを帯びた枇杷色の茶碗。口の端が反っており胴に貫入がみられる。
北向道陳所持により名がある。後に利休が所持している。 
千少庵寿像 千宗旦賛
頭を丸め、胡坐を組んだ姿で「老父少庵寿像」と記されており千少庵生前の肖像と分かる。賛は息子の宗旦で「無一」 記し、代わりの無い以上の存在である事を思わせる。
達磨画賛 烏丸光広筆
公家で歌人として知られる烏丸光広が達磨を描いているのだが、そのサラっとした絵は味があると言うにはユルいユルすぎる絵である。さらに賛は「本来有一物」とあり、有名な禅語「本来無一物」を引用しているのだが実に光広らしい言葉である。
共筒茶杓 銘 一葉 津田宗及作
煤竹で樋は浅く、櫂先は綺麗な楕円形をしている。利休形とは異なる茶杓なのは宗及らしい所。
筒には「一葉」とこの時代には珍しく銘が付き、下部に「宗及(花押)」とある。
共筒茶杓 銘 轍 山上宗二作
白竹の茶杓で節下はソゲている。櫂先は急角度に曲げられ二重撓め、露は一文字となっている。
筒には「轍」の銘と下部に「瓢安」の名が記されているが、山上宗二は「瓢庵」を名乗っている。また筒左側に「甲辰」の年次が記されているが、この年に宗二は既に亡くなっている。謎の茶杓である。

茶杓はこの他、利休・少庵・宗旦「一筋」・甫竹に織部「長刀」等。楽茶碗は長次郎「常盤」「千鳥」田中宗味「老楽」と珍しい香炉釉茶碗常慶「白象」など豊富。
逸翁美術館に何度か訪れていますが、今回は大満足の内容でした。
 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「探訪」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事