安祥城
徳川家康の祖父・松平清康の時代まで松平宗家の居城であった。
その安祥城址の一角にあるのが今回の目的地。
安城市歴史博物館
特別展「安城ゆかりの大名 藤井松平家」
期間:2月4日(土)~3月18日(日)
「徳川家康の先祖である松平家は三河の各地に分家を出して勢力を拡大しました。その一つが安城松平家から分かれて藤井を本拠とした藤井松平家です。 上山や上田の藤井松平家ゆかりの甲冑や古文書などをとりあげ、その歴史
を紹介します。」(公式より)
松平信一所用 黒漆塗本小札三葵紋柄丸胴具足
兜は木菟形兜。胴に大きく三葵紋を配している。
1568年織田信長の上洛戦に徳川家康の代理で参加した際に家康より与えられた具足。
信一は藤井松平家の2代目。徳川家康に従い数々の戦で戦功を上げ1601年に常陸土浦3万5千石を領した。
織田信長所用 韋胴服
鹿革で作られた胴服で合計7箇所に桐紋を配している。
1568年箕作城攻めで活躍し織田信長より松平信一に与えられた。
松平家軍旗(三つ葉葵紋)・松平軍旗(山道印)
藤井松平家が大名行列で用いた旗。上山城址に建つ月岡神社の所蔵。
松平忠周所用 紺糸威桶側胴具足
兜は白熊毛で覆われた総髪形兜。佩楯には牡丹に唐獅子を蒔絵で描いている。全体的に装飾性の高い甲冑。
忠周は藤井松平家の上田藩初代藩主で八代将軍・徳川吉宗の時代に老中を務めた。
藤井松平家は信一の養子・信吉の子の代に山城守家(本家)・伊賀守家(分家)の2家に分かれ最終的に出羽上山藩(山城守家)・信濃上田藩(伊賀守家)を領しますが、それまで各地を転々としています。これは徳川譜代の大名としては普通の事で「鉢植え」とはよく言ったものです。
山城守家は六代・松平忠之の代に改易となりますが、弟の信通がなんとか家督相続を許されたが石高を大きく減らされて分家である伊賀守家に石高で負けてしまう事になりますが残っただけでも稀有なことです。
今回の展示では、そんな二藩の資料を観れたわけですがやはり二代・信一の存在が光ります。松平忠之が改易処分となった時も名門故に家が残されたわけですが、信一が権現様に信頼されていた事が大きかったんでしょうねぇ。
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