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吐月峰柴屋寺
連歌師・宗長が永正元年(1504)に結んだ草庵・柴屋軒を、今川氏親が寺に改めたのが始まり。
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寺宝として後水尾天皇短冊、足利義政より拝領の文福茶釜(芦屋釜)、一休宗純より宗長が賜った鉄鉢、宗長所持の青磁香炉、今川氏親寄進の螺鈿菓子器、今川義元寄進の横笛、武田信玄寄進の高麗茶碗「村雲」、細川幽斎寄進の南蛮焼獅子香炉、宗長直筆の百韻連歌など。
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庭園
宗長作庭
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宗祇像、宗長像(右)
開山堂には連歌黄金期を築いた師弟の木像が並ぶ。
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茶室「待月」
月の名所で知られる柴屋寺らしい命名か。
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水屋
左側に茶道口がある。
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内部は四畳半。
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北側中央の台目床。床柱は杉の面皮柱、床框には丸竹が使われている。
床の左、風炉先には下地窓をあける。
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貴人口
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宗祇、宗長の墓
宗祇は文亀二年(1502)に亡くなり、同行していた宗長は「宗祇終焉記」を著した。
そして宗長自身は享禄五年(1532)に亡くなった。
宗長の出生に関しては駿河島田の出身で鍛冶職・五条義助の子とされる。
島田生まれに関しては連歌師・里村紹巴が言い出した事なのだが、紹巴は宗祇の出生地・紀州説を言い出した人物でもある。連歌の第一人者として権威付けを図る紹巴の顔が目に浮かぶようだ。
もうひとつの「鍛冶職・五条義助の子」は寛文八年(1668)『宗長居士伝』からで、宗長死後140年以上が経っている。島田生まれからの連想で島田の鍛冶(刀工)であった義助の名が出てきたのだろう。