法泉寺
甲府五山のひとつ。武田勝頼の墓があります。
武田勝頼墓
武田信玄の四男。信玄亡き後の武田家の大将として奮戦するも織田信長の攻勢に次第に圧迫され最後は天目山で自害した。
武田信武墓
武田家中興の祖といわれ足利尊氏に従い室町幕府成立に貢献した。
武田神社
戦国時代に武田家本拠(躑躅ヶ崎館)があったこの地に大正8年に創建された。
躑躅ヶ崎館
武田信虎によって築かれ以後勝頼が新府城に移るまで武田家の居城だった。
大手門跡
躑躅ヶ崎館時代の正門であったところ。現在の入口は後年造られたものだそう。
宝物殿
太刀・吉岡一文字や「武田家相伝」金小実南蛮胴具足等を収蔵・展示しているが、私が見に行ったときは目ぼしい展示はありませんでした。
ライバルであり大名家として残った上杉氏の上杉神社と比べると展示はかなり物足りない印象。
さて躑躅ヶ崎館の周囲には武田氏家臣団の屋敷がありました。全部を周るには時間がないので真田家の屋敷跡を見に行きました。
真田信綱屋敷跡
真田幸隆(幸綱)の長男で武田二十四将のひとりに数えられる。長篠の戦いで戦死。
真田幸隆屋敷跡
名は幸綱とも実質的な真田家の初代である。信玄に従い信濃・上野攻略に手腕をみせる。譜代の家臣ではない幸隆が館の近くに屋敷を賜っているのは信玄からの信頼があつかったからでしょうか。
武田信玄墓(信玄火葬塚)
真田幸隆屋敷跡から東の方角に歩いていくとあります。信玄の遺体をここで火葬にしたらしい(諸説あり)。その後江戸時代になってこの場所を信玄の墓としたそう。
河尻塚
火葬塚の近くに織田信長の部将河尻秀隆の首塚があります。武田家を滅ぼした信長は甲斐一国(一部を除く)を武田攻めで功績のあった秀隆に与えます。一躍国持ち部将になり得意の絶頂であった秀隆でしたがすぐに本能寺の変がおこります。織田家に反感をもっていた旧武田家臣等は秀隆を討ち取りここに逆さにして埋めたと云われています。
信玄の墓と比べてあまりに粗末です。なんだか哀れにおもいます。
大泉寺
武田三代最後は信虎の墓です
武田信虎墓
見辛いが真ん中のものが信虎のだそう
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