SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

201008 甲州入1 善光寺・塩山

甲府駅に到着。

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駅前の武田信玄像が迎えてくれます。山梨の偉人と云えばやはり武田信玄が一番でしょうか。
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甲斐善光寺
武田信玄が信濃善光寺より本尊善光寺如来等を甲斐に移した事が始まり。

しかし、ここらへんから雨が降ってきてちょい大変。

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東光寺
善光寺の近くにあります。

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武田義信の墓
義信は信玄の嫡男。しかし対今川氏問題により2人の間に亀裂がはいり義信は謀反を企てたとされこの東光寺に幽閉される。永禄十年30歳の若さでこの地で没した。
この義信の事件は武田家臣団にも影響をあたえた。義信の傅役である重臣・飯富虎昌等が粛清され、信玄は家臣に起請文を提出させている。さらに後継に諏訪勝頼を据えたことは一部の家臣には不満であったとされ武田家臣団は徐々に団結力を失っていく。

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諏訪頼重の墓
頼重の妻は信玄の妹であったが、信玄は諏訪領に侵攻。頼重はこの東光寺に幽閉され自刃する。

2人とも信玄の縁者でありながらこの東光寺に幽閉された後亡くなっています。なんだか信玄の陰の部分を見ているようです。

お次は塩山。

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ここにも信玄像が!!
この像の元になっているのは多分、長谷川等伯筆の肖像画だと思いますが最近では別人との説もあるそうです。

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雲峰寺
写真は仁王門。198段の石段の途中にあります。

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宝物殿
天目山で武田勝頼一行は滅亡するが武田家家宝の「日の丸の御旗」や軍旗が密かにこの雲峰寺に運ばれたそうで、ここ宝物殿で拝見することができる。
日の丸の御旗
所謂「御旗・楯無」のひとつ。源頼義が後冷泉天皇から下賜され、三男の新羅三郎義光から武田家に伝わった。現在では切り刻まれて1/4が欠損している。
最近では現在伝わる「御旗・楯無」はその由来とは別物との説もある。
孫子の旗
有名な「風林火山」の旗。濃紺地に金箔で14文字が記されている。
諏訪神号旗
こちらは赤地に金箔押し。2種類あり。
馬標旗
武田家の家紋「花菱紋」が3つ描かれている。信玄の馬印とも云われている。

次は恵林寺。

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四脚門
赤門とも呼ばれる。

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三門
武田家滅亡後に織田勢によりこの三門楼上で焼かれた快川国師が残したとされるのが「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」の言葉(異説あり)。もちろん当時のものでは無い。

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信玄公宝物館
武田信玄所用 太刀・来国長
甲府藩主柳沢吉保によりここ恵林寺に寄進されたもの。
武田信玄所用 六十二間筋兜
前立は無くなっているどのような物であったのか気になるところ。
他にも甲冑が展示してあったが武田とは無関係なものばかりだった。


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武田信玄墓

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近くの土産物屋さんにも信玄像がありました。
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