犬山市文化資料館
「秋の特別展 白帝文庫所蔵名品選~犬山城主の武と美~」
尾張徳川藩家老成瀬家伝来品が展示されていました。鎧・兜の展示もありましたが、やはりここの目玉は「長篠合戦図屏風」「小牧・長久手合戦図屏風」でしょう。長篠は信長・秀吉・家康三傑の揃い踏み。さらに織田・徳川・武田の主な武将がほとんど登場しています。真田昌幸の兄ちゃん信綱・昌輝も登場しています(かなり悲しい事になっていますが)。長久手では初代成瀬正成の活躍がクローズアップされています。徳川家譜代(直臣)から尾張藩の付家老(陪臣)となった成瀬家では正成の戦功をアピールする事によって幕府に成瀬家の譜代としての立場を認めてもらいたいとの思いがあったそうで、このような屏風が作成されたのだと。
名古屋市秀吉清正記念館
「特別陳列 賤ヶ岳の戦い」
賤ヶ岳の戦いは羽柴秀吉と柴田勝家との間で主に北近江を中心に行われた戦。
勝者となった秀吉は織田信長の後継者として天下統一に邁進していく事に。秀吉の美濃大返し、七本槍の武勇や、お市の方と三姉妹の悲劇等劇的な場面が多い。
柴田勝家所用 金幣馬印
勝家の遺品は非常に少ない敗軍の将であれば仕方のないところか。この馬印は賤ヶ岳の戦いで使用されたそうで、勝家は毛受家照に馬印を渡し撤退。家照は戦場に残り討死した。
賤ヶ岳合戦図屏風
七本槍の活躍や秀吉本陣等を描く。七本槍は中央付近に描かれているのだが、そこに福島正則はいない。正則は既に一番首を取り秀吉のもとに向っている後姿として描かれている。
織田秀信肖像画
幼名の三法師のほうがとおりがいい、信長の孫。祖父信長と父信忠亡き後織田家の家督を継ぐが、実権は秀吉のものとなった。後に岐阜城主となり関ヶ原の戦では西軍についた為、東軍に攻められ岐阜城は落城し秀信は出家した。
小牧城
初めていきました。小山の上には天守風建築。信長が美濃攻めの為に築城、小牧の役では家康が陣を敷いた。
名古屋城
夏に続いてです。東南隅櫓が公開されていました。
清洲城
こちらは久々(2度目)織田信長の居城として有名ですね。写真の信長像はちと離れた場所にあります。
浜松城
徳川家康の城。岡崎城から移り、駿府城へ移るまでの17年間をここで過ごしています。
掛川城
山内一豊で有名。木造復興の天守が建っています。二の丸御殿が江戸期より残っています。
小田原城
北条氏の居城。そのころは勿論天守はなく、江戸期になって造営された。現在の天守は1960年建設。中には多くの武具が展示されていました。
神奈川県立歴史博物館
「戦国大名 北条氏とその文書」
大量の北条氏関連の文書が展示されていました。有名な「虎の印」以外にも沢山の種類の印判があり興味深かった。早雲寺蔵の北条五代の肖像画が展示されていたのだが、氏政・氏直の没個性化と比べて眼光鋭い初代早雲の圧倒的な存在感が光る。
長浜城歴史博物館
「戦国大名浅井氏と北近江 浅井三代から三姉妹へ」
かなり充実した展示だったと思います。展示替えの為2回いきました。
肖像画だけでも
浅井亮政・久政・長政・お市の方(長政夫人)・斎藤道三・斎藤義龍・朝倉義景・徳川家康・淀殿(茶々)・常高院(初)・崇源院(江)等があり中にはよく本などで見かける有名なものも。
姉川合戦図屏風
姉川の戦を描いた唯一の屏風。それほど大きくは無いし織田や浅井はどこいったって感じではありますが、迫力のある人物描写で力作だと思います。
大太刀 末之青江
朝倉方の武将真柄直隆所用。この大太刀半端なく長いです3mを超えてるそうですが、こんなのホンとに使えたんでしょうか。
再来年の大河ドラマが「江~姫たちの戦国~」に決まりましたが。地元のこのような取り組みが実を結んだということでしょうか。
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