SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1902 林原美術館 鳥ノアト

岡山
119
林原美術館
118
鳥ノアトー手紙 紡ぐ言葉・伝える心ー
期間:1月26日(土)~3月10日(日)
hayashibara
後陽成天皇宸翰消息
政仁親王(のちの後水尾天皇)宛。連歌会への出席を未熟を理由に辞退した子の政仁親王に対し「兄宮も出席する内々の連歌である。出席する我々も初心者である」と励まし出席を勧めている。
今回の企画展のタイトル「鳥ノアト」が文中に記されている。
池田恒興所用 変形冠兜
日野根形鉄打出黒漆塗兜。変り兜で冠の形をしているらしい。
池田恒興の三男・池田長吉の子孫家に伝来。明治37年に百円で買い取った。
織田信長朱印状
元亀四年六月十八日付、養徳院宛。池田恒興の母・養徳院へ信長から百五十貫文の所領を与える内容。
宛先には「大御ち」とありこれは「大御乳」=乳母の事。
幼少の頃癇の強かった信長(当時は吉法師)は乳母の乳首を噛み切り!乳母が何人も交代したという。
しかし養徳院が乳母となると治まったのだそう。
千利休自筆書状
正月十一日付。養生の為に堺へ帰っていた利休のもとへ秀吉が山里丸へ訪れ宿泊するとの連絡が来る。急ぎ戻り住吉まで辿り着いた利休であったが結局堺に引き返しており、書状には十五日の茶会に向けて養生しておきたい旨を(秀吉へ)言上願いますと記している。
巻末に継いで利休の孫の宗旦が「宗易正筆 不審(花押)」と利休真筆である事を極めている。

他にも伊達政宗書状・近衛前久書状・三好長慶書状や甲冑・刀剣など見どころ満載でした。

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