きのうは例会があった。
7人のご門徒さん+おかあさん+若院+わたし。
みんなでお経を読んで、お茶会をした
久しぶりに参られた
88歳と93歳の方の、お元気な顔
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わたしも頑張らねば
と身が引き締まりました
若院の法話より。
煩悩(ぼんのう)・・・身を煩わし心を悩ますもの
涅槃(ねはん)・・・さとり。煩悩が消え安らぎを得た状態
は反意語で、真逆のものであるけれど
阿弥陀さまの、大きな願いにあうと
煩悩を抱えたまま、涅槃に包みこまれるのです。
煩悩を抱えた自分を、見つめてゆくところに
光があることに気づかされます、と。
ふぅむ。。なるほど、、。
先日ふと、わたしは若院に言った。
「阿弥陀さまは宇宙で、宇宙は阿弥陀さまな気がする。
時間と空間を超えて、わたしを願い、生かしめるはたらき。。
なのに、一般的に「阿弥陀さま」って言うと、
そんな人いるのか?見えないじゃないか?ってなる。
阿弥陀さまっていう、人間みたいな形をした人が
いるとか、いないといった話になる。
「宇宙」って言うと「ああ、宇宙ね!」って、なるのに。
見えないし、わからないし、同じことなんじゃないのかなぁ。」
若 院「見えないものの方が、多いのにね。」
わたし「酸素も引力も、人間の気持ちも、見えんもんね、、」
(法身はいろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
『唯信鈔文意・親鸞聖人著』)
わたしは、完璧なまでのダメ生徒だった。
友人曰く、読経中に「白目をむいて」いたとか
またある時には、居眠りから覚めて突然の質問。
無礼きわまりない、、。
「分別のある者が、無分別の世界について話すには
どうしたらいいんですか??」とか。
あまり腑に落ちない答えに、モヤモヤしたものが残り。
ある別なご縁で、自分の思いと一致する答えを得た。
「証明するのではなく、よろこびを語ること」
阿弥陀さまの願い=本願を
証明するのは、本願をもってしか出来ないとの事だった。
ふぅむ。。なるほど、、。
アインシュタインは、宗教を
宇宙の宗教・・・分別の世界を超えた仏智。
道徳的宗教・・・物事を識別、善悪、相対の中での智。
恐怖の宗教・・・千円を百万円にする等、自分の欲望に基づく。世渡り智。
の3つに分けたそうだ。
如衆水入海一味(お正信げより)
どの川の水も、海に入ると一つの味になるように
阿弥陀さまに願われて、本願海に入れば
みな等しく救われますよ、の意味です。
・・・きょうも迷走してしまった。
なんだこの長文コラム、、
まぁ、わたしの事さておき、
親鸞聖人、アインシュタイン、のお話など
おもしろいと思いませんか??
7人のご門徒さん+おかあさん+若院+わたし。
みんなでお経を読んで、お茶会をした
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久しぶりに参られた
88歳と93歳の方の、お元気な顔
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わたしも頑張らねば
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若院の法話より。
煩悩(ぼんのう)・・・身を煩わし心を悩ますもの
涅槃(ねはん)・・・さとり。煩悩が消え安らぎを得た状態
は反意語で、真逆のものであるけれど
阿弥陀さまの、大きな願いにあうと
煩悩を抱えたまま、涅槃に包みこまれるのです。
煩悩を抱えた自分を、見つめてゆくところに
光があることに気づかされます、と。
ふぅむ。。なるほど、、。
先日ふと、わたしは若院に言った。
「阿弥陀さまは宇宙で、宇宙は阿弥陀さまな気がする。
時間と空間を超えて、わたしを願い、生かしめるはたらき。。
なのに、一般的に「阿弥陀さま」って言うと、
そんな人いるのか?見えないじゃないか?ってなる。
阿弥陀さまっていう、人間みたいな形をした人が
いるとか、いないといった話になる。
「宇宙」って言うと「ああ、宇宙ね!」って、なるのに。
見えないし、わからないし、同じことなんじゃないのかなぁ。」
若 院「見えないものの方が、多いのにね。」
わたし「酸素も引力も、人間の気持ちも、見えんもんね、、」
(法身はいろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
『唯信鈔文意・親鸞聖人著』)
わたしは、完璧なまでのダメ生徒だった。
友人曰く、読経中に「白目をむいて」いたとか

またある時には、居眠りから覚めて突然の質問。
無礼きわまりない、、。
「分別のある者が、無分別の世界について話すには
どうしたらいいんですか??」とか。
あまり腑に落ちない答えに、モヤモヤしたものが残り。
ある別なご縁で、自分の思いと一致する答えを得た。
「証明するのではなく、よろこびを語ること」
阿弥陀さまの願い=本願を
証明するのは、本願をもってしか出来ないとの事だった。
ふぅむ。。なるほど、、。
アインシュタインは、宗教を
宇宙の宗教・・・分別の世界を超えた仏智。
道徳的宗教・・・物事を識別、善悪、相対の中での智。
恐怖の宗教・・・千円を百万円にする等、自分の欲望に基づく。世渡り智。
の3つに分けたそうだ。
如衆水入海一味(お正信げより)
どの川の水も、海に入ると一つの味になるように
阿弥陀さまに願われて、本願海に入れば
みな等しく救われますよ、の意味です。
・・・きょうも迷走してしまった。
なんだこの長文コラム、、

まぁ、わたしの事さておき、
親鸞聖人、アインシュタイン、のお話など
おもしろいと思いませんか??