ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

わたしの居場所

2008-09-27 18:49:11 | Weblog
今日の研修会のテーマは「キッズサンガの推進」でした

キッズ=子ども
サンガ=仏教徒集団

の意味で、全寺院子どもの集い、についてであります。

1、お寺が、子供の安心していられる居場所を作る。
2、阿弥陀様とのご縁を結ぶ。

ことを掲げた上で、

40人以上の参加者が、4つの班に分かれて
話し合いがなされました

いろんなご意見が出ました。
その中から、一部をご紹介します。

自分が親の時代は、忙しくて必死だったけれど
年を経て、いま、祖父母に教えられたことを思い出す。
孫に、お寺への参加をすすめている。

何もわからなかった孫を、お寺に連れて行ったら
参って良かった、また行きたい、と言っていた。
人と触れ合うことを、新鮮に感じたのだと思う。

お寺の存続の前に、家の存続が危うい時代なので、
各地区での、家々での教育から大切にして、お寺へと繋げたい。


小さいとき心に留まった「何か」が
何十年という時間を越えて、

大切な支えになったりするんですね

また、人と人が「触れ合う」ことには
わたし達が想像する以上に、
ものすごく、大きな意味があるのだと思います

「居場所」があって、
そこで「受け入れて」もらって初めて、
「個」の安心が生まれます。

安心を得た人は、輝きを放ちます。

ご講師の先生は、

「願いの言葉をかけられて、
 お花がきれいに咲くように
 願いが人を育てます・・・

とお話して下さいました。

また、個人主義がすすむ世の中ですが。

なにはともあれ、家族でお寺に参っていただければ
ご縁の中で、お育てにあいます。
その結果、自然と家も存続されてゆくのでは、、と思います。

お寺が、なぜ「わたしの居場所」と成り得るのか。

それは、阿弥陀様が「わたし一人」のために
願っておって下さることに

気づかせていただける場所、であるからです。

そして、そこには
願われている命を、共に喜べる仲間がいます。

しあわせの究極の形であると、わたしは思います。

「個」のしあわせを
「個」の中だけで探しても、永遠に見つからない、、。

考えにふける、小さなわたしの上を
軽やかに通り過ぎゆく秋風。

時の流れを、肌で感じた一日でした。

追伸:光善寺さんHPのブログも、
いろんなテーマを元に、ハイペースで更新されています。
お時間あるとき、また見ていただければ幸いです!!
コメント (3)
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