フランシスコ・フランコ・バアモンデ(Francisco Franco Bahamonde、1892 - 1975)
スペインの軍人、政治家。長期独裁を敷いたことで知られる。 フランコ将軍として有名
国王は不正選挙で追い落とされた
プリモ・デ・リヴェラ(スペインの軍人・貴族、1923年より1930年までスペインを独裁的に統治)の独裁体制の第一の成果は、モロッコ戦争を首尾よく終らせたことでした。 フランシスコ・フランコ将軍は、この戦争の最終段階に登場し、完敗と思われた戦争を輝かしい勝利に一変させました。 正義に慈悲を加味することで、フランコ将軍は多くのモロッコ原住民の賞賛と忠誠心を得て、スペインの一般大衆の注目を集めました。
デ・リヴェラは人としてすべきでないことを片っ端から行ったとして、非難されますが、法と秩序を回復したこと、いくつかの社会改革を実行したこと、労働条件を改善するためにラルゴ・カバリエーロと協力したことを記録するのは全く公平な事です。 デ・リヴェラは懸命に努力しました。 それゆえ、1929年には健康を害しました。 1930年に彼が犯した判断ミスは、そのせいとしか思えません。
疲労困憊の状態で、政府の長という重責からそそくさと自らを解放するかの如く、デ・リヴェラは2人の社会主義指導者、ベスティロ、サボリトに選挙制度の再編を要請しました。 君主制を望むのか、共和政体の政府を望むのか、国民の総意を問おうとしたのです。 それにしても何故、リヴェラがこの任務をベスティロとサボリトに与えたのかは、おそらく永遠に謎でしょう。 2人の社会主義者は巧みに選挙制度を解体して共和政体の政府が実現するように図りました。
マドリードだけでも4万人の有権者をでっちあげました。 類似の不正が人口の集中する選挙区のすべてで生じました。 スペインの君主制を終わらせるために大東社ロッジ(フリーメーソンの教会)は特別に軍事同胞組合(ミリタリー・ブラザリー・ユニオン)を組織しました。 これによって、23人のスペイン人将軍のうち21人から共和制を主張する人々の大義を支持する約束が取り付けられました。 スペインの国家防衛評議会議長であるモラ将軍はその著書『嵐、静けさ、陰謀そして危険(Tempestad Calma Intriga Y Crisis)』のなかで、このような将軍たちが大東社に参入していたこと、そして共和政体の実現に失敗した際に備えて、海外逃亡のための資金50万ペセタが彼らに貸し付けられていたことを明らかにしています。
フランコは軍事同胞組合に参加する事を拒んだ2人の将軍のうちの1人でした。 モラ将軍の言葉を裏付けるかのように、スペイン議会(コルテス)でカノ・ロペス
議員は以下のように述べています。 「1925年以後、フリーメーソンはその中心である軍事同胞組合のもとに、大部分の高い地位の軍部幹部の大部分を集めていた。 そこにはカバネリャス、サンフルホ、ゴデド、モラ、ロペス、オチョア、ケイボ・デ・リャーノらが含まれていた。 23人の師団将軍のうち21人がフリーメーソンであり、大東社に誓いを立ていた。 」(すなわち大33位階の評議会の長に無限の尊奉の誓い、彼こそ思考の存在であると認める誓いである)。
更にロペスは続けます。「1929年にはデ・リヴェラの独裁支配を破棄するために、1931年には君主制を廃止するために、いずれのときも大東社は命令を下し、将軍たちはこれに従った」。 モラ将軍は、彼自身そしてその他の将軍たちが、スペインをもう一つの共産主義独裁支配国家にしようとするスターリンの秘密計画の実現のために利用されているにすぎないことを確信して、大東社の誓いを破棄した経緯を語っています。
国際銀行家は、自らの姿を現わさないまま、スペインの革命活経済援助を行いました。 1932年2月、『ル・ジュナル(Le Journal)』紙はスターリンがスペインの活動家養成学校に20万ドルを支援する事を約束したと報じました。 また、1931年の第三インターナショナル会議に提出された金融報告書によれば、24万ポンドの英国の金(money)がスペインの革命家支援のために受理されたことも明らかになっています。 こうした支援に加えて、さらに250万ペセタが武器、軍需品の購入費用として利用きるよう手配されました。
モラ将軍によれば、1938年までに、モスクワのレーニン研究所で訓練を受けた200人以上の革命指導者がスペインに到着していたとされています。 1930年から選挙の日まで、ランファミーの運動が、ルイ16世およびマリー・アントワネットにたいしておこなわれたように、スペイン国王およびその一族に対して続けられました。 アストウアリアス王子が生き永らえるために、若い兵士が毎日一人ずつ殺害されているいう途方もない大嘘がながされました。 王子は血友病に苦しんでいたからであります。 また国王についてもロシア皇后がラスプーチンの愛人だと誹謗されたのと同じように、ふしだらで身持ちが悪いと言う中傷が広まりました。
都市部の不正票は、農村部で根強い君主制支持票を抑え込みました。 選挙結果を受けて、共和政体の政府が支持されるおとが宣伝され、アルフォンス13世は最後の公的声明を以下のように発表しました。
「日曜日に行われた選挙の結果、私にはもはや臣民の愛情、愛着を得られない事が分かった。 私は常に全身全霊を傾けてスペインそして臣民のために尽くしてきたから、私の良心の告げるとおろによれば、この状況が永続的なものだとわ思われない。 国王も知っパはする。 きった私もそうだったのだろう。しかし、この国は他人の悪意無き失敗には常に寛大であった。 私はスペイン国民すべての王であると同時に、一人のスペイン国民である。 『国王の大権』を侵害する人々に対して、実質的な抵抗を示してその権利を維持しようと思えば、私にもいろいろな方策が見いだせる。
しかし、衝突を起こして国民を互いに対立させる内戦や身内を殺害する戦いに巻き込むよりは、きっぱりと退くほうをえらびたいと思う。 私は自らの権利のどれ一つとして放棄はしない。それらは私のものというより国家を守る者としての立場が積み上げられてきた歴史的遺産であるからである。 この立場については、いつか私自身が厳密な説明をしなければならないと思う。
集団の良心が偽りなく完全に示されるのを私は待つ。 そして国家がその意思を明らかにするまで、あえて『国王の大権』の行使を中止し、スペインが自らその運命を 支配する事を信じつつ、この国を去る。 私はまた、自分自身が国家への愛情によって命じられる役割を果たしていると信じる。 私以外のスペイン国民も私同様、真摯にそれぞれの役割を受け止め、果されんことを神に祈ります 」。
次の投稿は、『ローマ法王の警告回勅』です。
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