ロスチャイルド財閥-104 左翼系ニュー・リパブリック誌の創刊
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からの続き
11880年代から1930年にかけて、J・P・モルガン商会に完全に牛耳られた米国のこのグループは、世界主義者、親英家、国際主義者、アイビーリーグ、東部海岸線、熱烈な米国聖公会、西欧文化を意識していました。
アイビーリーグ大学との連携は、大学の莫大な寄付金ノ決済にはウォールが財政家たちの協議か欠かせないという事実に基づいています。
こうした影響力の結果、1930年代になるとJ・P・モルガンと彼のグループはハーバード、コロンビア、次いでエール大学の運営権を握り、ホイットニー家はエール大学、プルデンシャル社は(エドワード・D・ダフィールドをつうじて)プリンストン大学を支配しました。
こうしたウォール街名士の名前はいまだにアイビーリーグのキャンパスを彩っています。 ハークニス大学、エール大学のペイン・ホイットニー体育館、プリンストン大学のペイン寄宿舎、ハーバード大学のディロン・フィールド・ハウスやラモント図書館などです。
これらの大学の総長や学長はこうした財政力の恩恵をこうむり、そのおかげで地位を得ました。 モルガンみずからが、ニコラス・マレー・バトラーのコロンビア大学総長就任を画策しました。
モルガンのボストンにおける代理人ファースト・ナショナル銀行のトーマス・ネルソン・パーキンスは、コナントを化学実験室から引っ張り出して、ハーバード大学総長に就けました。
プルデンシャルのダフィールドは1932年に、プリンストン大学の現職総長が自動車事故死すると、後釜の用意をしていなかったために、みずからが1年間総長を務め、1933年モルガン社の共同経営者トーマス・ラモントがチャールズ・セイモアを総長に据えました。
秘密ネットワークにはニューヨークの有力な法律事務所が含まれていた
こうしたモルガンの影響力とねんごろな法律事務所がウォール街にいくつかあり、その中心はエリフ・ルート、ジョン・W・デービス、ポール・D・クラバス、ラッセル・レフィンゲル、ダレス兄弟、アーサー・H・ディーン、フィリップ・D・リード、ジョン・J・マクロイでした。
他に、非法律分野のモルガン代理人として、オーウェン・D・ヤングやノーマンHデービスの名前が挙げられます。
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