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ロスチャイルド財閥-118  スペイン内乱 誰がために鐘は鳴る

2022-11-28 17:55:28 | 国際政治・財閥

https://www.star-ch.jp/vod/?p=1445392



『ヘミングウェイ・レビュー』は、宝塚歌劇団の舞台作品。星組公演。形式名は「ダンシング・ファンタジー」。 作・演出は草野旦。併演作品は『皇帝』。トップスター・麻路さきの宝塚退団公演である。 

ヘミングウェイ生誕100周年を記念して、宝塚歌劇団のレビュー・ショー作品1998年の舞台作品、実在の作家を題材とした作品・小説家を主人公とした作品・スペインを舞台とした作品・アフリカを舞台とした作品カリブ海を舞台とした作品・パリを舞台とした舞台作品・第一次世界大戦を題材とした作品・スペイン内戦を題材とした作品・第二次世界大戦を題材とした作品・哺乳類を題材にした作品・アーネスト・ヘミングウェイを題材とした作品。 wiki





『誰がために鐘は鳴る』 執筆中のアーネスト・ヘミングウェイ(1939年12月)


アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899 - 1961)は、アメリカ合衆国出身の小説家・詩人。ヘミングウェイによって創作された独特で、シンプルな文体は、冒険的な生活や一般的なイメージとともに、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。1954年にノーベル文学賞受賞。代表作は『日はまた昇る』、『武器よさらば』、『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』など。これらは、アメリカ文学の古典として考えられている。  wiki




スペイン内戦

スペイン内戦(スペインないせん、スペイン語:Guerra Civil Española、英語:Spanish Civil War)は、1936年から1939年まで第二共和政期のスペインで発生した内戦。マヌエル・アサーニャ率いる左派の共和国人民戦線政府(ロイヤリスト派)と、フランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争った。反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦、メキシコが支援し、欧米市民文化人・知識人らも数多く義勇兵(国際旅団)として参戦、フランコをファシズム陣営のドイツ、イタリア、ポルトガルが支持・直接参戦した。


概要
スペイン内戦は、スペイン第二共和国政府に対してスペイン陸軍の将軍グループがクーデターを起こしたことにより始まったスペイン国内の抗争だった。内戦は1936年7月17日から1939年4月1日まで続き、スペイン国土を荒廃させ、共和国政府を打倒した反乱軍側の勝利で終結し、フランシスコ・フランコに率いられた独裁政治を樹立した。

フランコ政権の政党ファランヘ党は自らの影響力を拡大し、フランコ政権下で完全なファシスト体制への転換を目指した。

内戦中、政府側の共和国派(レプブリカーノス)の人民戦線軍はソビエト連邦とメキシコの支援を得、コミンテルンが各国共産党を使って、西欧諸国の個人から多くの義勇兵(その大半は共産党員)を得た一方、反乱軍側である民族独立主義派(ナシオナーレス)の国民戦線軍は隣国ポルトガルの支援だけでなく、イタリアとドイツからも支援を得た。この戦争は第二次世界大戦前夜の国際関係の緊張を高めた。

この戦争では特に戦車および軍用機が、ヨーロッパの戦場で主要な役割を果たし注目された。戦場マスコミ報道の出現は空前のレベルで人々の注目を集めた(小説家のアーネスト・ヘミングウェイやジョージ・オーウェル、写真家のロバート・キャパらが関わった)。

そのため、この戦争は激しい感情的対立と政治的分裂を引き起こし、双方の側の犯した虐殺行為が知れわたり有名になった。他の内戦の場合と同様にこのスペイン内戦でも家族内、隣近所、友達同士が敵味方に別れた。

共和国派は新しい反宗教な共産主義体制を支持し、反乱軍側の民族独立主義派は特定複数民族グループと古来のカトリック・キリスト教、全体主義体制を支持し、別れて争った。戦闘員以外にも多数の市民が政治的、宗教的立場の違いのために双方から殺害され、さらに1939年に戦争が終結したとき、敗北した共和国派は勝利した民族独立派によって迫害された。

人民戦線派の反カトリック姿勢は徹底しており、内戦中、人民戦線派支配領域で殺害された聖職者は、その1割に相当する7,000人に上り、その大半は内戦当初の1936年秋に殺害された。

邦訳についてはスペイン内乱、スペイン市民戦争とも表記され、特に近年は後者が用いられることも多い。



年表

1936年
人民戦線協定の締結(1月)
人民戦線政府の成立(2月)
スペイン領モロッコでフランコ将軍の蜂起(7月)
ドイツ・イタリアがフランコの支援を開始(9月)
ロンドンで不干渉委員会の開催(9月)
フランコ、トレドを占領(9月)
元首をフランコとして新国家の樹立を宣言(10月)
フランコによるマドリード攻撃開始(10月)
人民戦線、国際旅団の創設を承認(10月)
人民戦線、政府をバルセロナへ移転(11月)

1937年
グアダラハーラの戦い(3月)
ドイツ義勇軍(コンドル軍団)によるゲルニカ爆撃(4月)
バルセロナで五月事件(5月)
フランコ、ビルバオ占領(6月)
人民戦線、政府をバルセロナへ移転(10月末)
日本政府がフランコ政権を承認 (12月)
テルエルの戦い(12月から翌年2月)

1938年
フランコ、ブルゴスで内閣樹立(1月末)
フランコが地中海岸に到達、人民戦線側は南北に分断(4月)
パロス岬沖海戦(5月)
エブロ川の戦い(英語版)(7月)
国際旅団の解散(10月)

1939年
フランコ、バルセロナ占領(1月)
イギリス政府、フランス政府がフランコ政府を承認(2月)
フランコ、日独伊防共協定に参加(3月)
フランコ、マドリード占領(3月)
フランコによる内戦終結宣言(4月)
アメリカ政府がフランコ政府を承認(5月)
第二次世界大戦勃発(9月)





関連作品
「Category:スペイン内戦を題材とした作品」も参照。

小説
『誰がために鐘は鳴る』(アーネスト・ヘミングウェイ)
『カタロニア讃歌』(ジョージ・オーウェル)
『希望』(アンドレ・マルロー)
『狼たちの月』(フリオ・リャマサーレス) - 内戦中、そして内戦後にもおよぶ、共和国軍敗残兵の若者と村人たちの姿を描く。
『サラミスの兵士たち』(ハビエル・セルカス) - 共和国側の集団銃殺から逃れたファランヘ党小説家のエピソードをきっかけに、戦った兵士たちの真実に迫る。
『さらばカタロニア戦線』(スティーヴン・ハンター) - イギリス情報部の依頼で国際旅団に潜入した元警官の青年の視点で、マルローやヘミングウェイが描かなかった共和国軍側の凄惨な内部抗争を描いている。
ドリュ・ラ・ロシェルの小説『ジル』や、ロベール・ブラジヤックの小説『七彩』の主人公は、最後にスペイン内戦にフランコの反乱軍側のファランヘ党の義勇兵として参加していく。
『太陽の門』(赤神諒)(日本経済新聞出版社、2021年5月)-日本経済新聞朝刊に連載された映画『カサブランカ』の前日譚。

映画
『誰が為に鐘は鳴る』 - ヘミングウェイの小説に基づく1943年のアメリカ映画。ゲイリー・クーパー、イングリッド・バーグマン主演。
『希望 テルエルの山々』 - 1945年公開のフランス映画。アンドレ・マルローの小説「希望」を、マルロー自身が共同監督したもの。戦費調達の意味合いもあった。
『命あるかぎり』 - 1955年の西ドイツ映画。ゲルニカ爆撃を行ったとされるドイツ義勇軍「コンドル軍団」の若者たちの青春群像を描いた。
『日曜日には鼠を殺せ』 - 1964年のアメリカ映画。エメリック・プレスバーガーの同名小説を『酒とバラの日々』のJ・P・ミラーが脚色、『尼僧物語』のフレッド・ジンネマンが製作・演出。
『戦争は終った』 - 1965年のフランス映画。アラン・レネ監督。
『ミツバチのささやき』 - 1973年のスペイン映画。ビクトル・エリセ監督。
『鏡』 - 1975年のソ連映画。アンドレイ・タルコフスキー監督。
『歌姫カルメーラ』 - 1990年のスペイン映画。カルロス・サウラ監督。
『ベル・エポック』 - 1992年のスペイン映画。
『大地と自由』 - 1995年、イギリス・スペイン・ドイツ合作映画。フランコ派だけでなく左翼勢力間の争いを描くなど、共産党にも批判的で無政府主義者陣営には同情的な視線から描かれている。
『蝶の舌』 - 1999年のスペイン映画。マヌエル・リバスの同名小説の映画化。
『パンズ・ラビリンス』 - 2006年のメキシコ・スペイン・アメリカ合作映画。
『私が愛したヘミングウェイ』 - 2012年のHBO制作のアメリカ合衆国のテレビ映画。ヘミングウェイと彼の3番目の妻となった戦時特派員マーサ・ゲルホーンとの恋愛をスペイン内戦や第二次世界大戦を背景に描いた作品。

宝塚歌劇
『誰がために鐘は鳴る』 - 鳳蘭・遥くらら主演。
『NEVER SAY GOODBYE -ある愛の軌跡-』 - 2006年宙組公演。和央ようか・花總まり主演。

ゲーム
『Hearts of Iron IV』 - 1936年にイベントとして「国粋スペイン(反乱軍)」vs「共和スペイン(人民戦線)」の「スペイン内戦」が登場する。

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ロスチャイルド財閥-117 狙われたスペイン ローマ法王の警告回勅

2022-11-28 02:02:44 | 国際政治・財閥

ローマ教皇 ピウス11世 (Pius XI、1857- 1939)
カトリック教会の司祭。本名はアキッレ・ラッティ(Achille Ratti)。二つの世界大戦のはざまの時期(戦間期)にあって、19世紀以来、途絶えていた諸国と教会の関係正常化をはかった。ピオ11世とも表記される。

ナチス台頭以前のドイツではカトリック系のドイツ中央党が政治に大きな影響を与えており、ドイツ・カトリックの関係者が国政に参加することも珍しくなかった。そのため、ナチスとカトリックは対立関係にあり、ドイツの司教はナチス関係者の洗礼を拒否することもあった。

しかしナチス台頭後、ドイツ中央党党首フランツ・フォン・パーペンがナチスに接近、1933年にナチスが政権を握った時、パーペンは副首相に就任し、ピウス11世は正式にナチス政権を認めた。そして、ドイツ中央党はいわゆる全権委任法に賛成し、ナチスとカトリックの協力関係が築かれた。1933年7月にはドイツとバチカンでライヒスコンコルダートが結ばれ、ナチス政権はカトリックの保護を約束し、教会は聖職者の政治活動を禁じた。カトリック教会がナチスを容認した理由は、反共産主義で一致していたこと、ドイツ領内のカトリック教徒の保護とバチカンの保護などが挙げられる。

しかしナチスは政教条約を無視し、カトリック教会による青年運動などを禁止し、カトリック教会との対決姿勢を鮮明にした。これに対して教皇は、1937年の回勅『ミット・ブレネンダー・ゾルゲ』(『とてつもない懸念とともに』)で、ナチスが人種・民族・国家を神格化していると非難し、その非人道的行動を非難した。また、社会主義に対しても批判的な態度をとり、1937年の回勅『ディヴィニ・レデンプトーリス』(『聖なるあがない主』)では共産主義を容認できないものとして弾劾している。 wiki






ローマ法王の警告回勅

1031年、スペイン共和政府を作った社会主義者の多くの信念も真摯でした。 彼らは「赤い」共産主義も「黒い」ナチズムの加担も望んでいませんでした。 しかし、彼らはあまりに無力で、共産主義者およびアナーキストによってその革命プログラムの第二部が実行されるのを防ぎきれませんでした。革命指導者が採用した策略は、あらゆる機会に社会主義者を裏切ることでした。

政府内部の赤い分子は政府に幾つかの愚かしい過ちを犯させました。 一方で政府外の赤い分子は、政府を無能で役立たずの腐敗集団として非難。 共産主義者およびアナーキストはプロレタリアによる独裁支配だけが政府を確立できると主張し、モスクワの代理人たちはありとあらゆる罪を重ねて、国家治安の責任者の評判を失墜させました。

デ・リヴェラ将軍は、その独裁支配の期間、ラルゴ・カバリェーロを大いに利用して労使間の意見の相違を取り除きましたが、共和政府が成立すると、ラルゴ・カバリェーロはその本性を現しました。 1935年、彼は「スペイン国内に何万人もの共産主義細胞をばらまいた」と豪語しました。 第三インターナショナル第11回総会(プレナム)でスペイン代表団は祝福されました。 「スペインでは速いペースで革命のための必須条件がつくりだされつつある」というのがその理由でした。

第12回総会になると、スペイン代表団への祝福の言葉は次のように変わりました。
「皆が承知しているように、スペインではとくに、スペインのプロレタリアートにとっては、初めてと言えるほど長い歳月に渡って、革命のためのストライキ闘争が繰り広げられている。 このような闘争のなかで生じていることこそ、スペインの革命のさらなる一歩に他ならない」。

古いことわざに「謀りごとは蜜なるを尊ぶ」というのがあります。 これはスペインで生じたことをまさに物語ります。 スペインにおけるモスクワ系地下組織の指導者といえば、ホアキーン・モーリン、ヴィクター・セルゲス、アンドレ・ニーンの名が挙がります。 いずれもスペインでの指導者としての役割を任じられる以前に、モスクワのレーニン研究所で革命運動の専門訓練を受けた若手の活動家です。

モーリンは、16歳のときからカタロニアの分離主義者の運動に関わっていました。 早熟のこの知的思想家は17歳で、世界経済問題に対するソヴィエト式解決策についてスペインの人々に説き始め、21歳のときにはアナーキストの長に選出されて憎しみと暴力の、その持論を実践していました(1914年には20年の服役刑を宣告されていますが、このときには、まだそのような処罰の対象年齢に達していませんでした)。

また、1921年にで開かれた第三インターナショナル第3回大会には代議員として出席しています。 彼は好意的な関心を集めていました。 プリモ・デ・ヴィラが辞任すると、モーリンはスペインに戻りました。 フランスやモスクワに身を潜めていたのです。 彼の人生は波乱に満ちていました。 刑務所を出たり入ったりし、脱獄もやってのけました。 1925年には負傷もしています。 モンジュイックの砦に監禁されたこともあり、一説によれば、彼が生涯で穏やかな時間を過ごしたのは、若い妻とパリで過ごした1927年から30年にかけての3年間だけだったとされています。

1936年、モーリンは本を書きあげました。 ヴィクター・セルゲスが序文寄せました。 その著書『二番目の革命へ(Hacia la Segunda Revolution)』のなかで、彼はスターリンがマルクス主義のイデオロギーから離れたことを暴露したばかりか、共産主義勢力を利用して自ら抱く帝国主義的全体主義にもとづく秘密の野望を実現しようとしているとして、スターリンを非難しました。

モーリン、セルゲズ、ニーンが1936年に公然とスターリンと決別してからも、労働階層のなかでの3人の影響力が極めて大きかった為、スターリンは彼らが自分の目的のためにその役割を果たすまでは、生かしておくよう命じました。 そしてスペイン内戦の直前まで利用したのち、3人の抹殺命令を下しました。それも「3人の死は、彼らが共産主義の大義に殉じたかのように大衆の目に映るよう引き起こさなければならない」と言い添えて。 モーリンはフランコの勢力に売り渡され、裁判の後、処刑されました。 セルゲスは戦闘中に共和制支持者によって射殺されたと報告されています。ニーンも同じように抹殺されました。3人の死は共産主義の敵による暴力行為によって生じたと声高に論じられました。



ヴィクター・セルゲスは、
「ソヴィエト共産主義の進化は1936年に、革命的インターナショナリズムから、諸国で配下の党を手足の様に使う大軍事国家のナショナリズムとなって完成された。 1936年7月以後、スターリン主義者は第三インターナショナルと連携する統一社会党を組織した。スターリン主義の狙いはフランスを包囲するためにファシスト的性格の新たな列強、すなわち準備されているその戦争におけるロシアの同盟国をつくることである」と記しています。


モーリンは、
「英国の伝統的政策は敵を破壊し、保護者のふりをして征服された人々の復興を不可能にすることである。 スペインは先ず英国の、次にはフランスの食い物とされていて、それを嫌がれば、英国もフランスも激しくスペインを攻撃する。 また英国に傾けば、フランスからの圧力が増大する。 フランスも英国も資本主義国家である以上、どちらもスペインにとって自然に同盟国となる筈がない。 必然の境界線となるのはポルトガル、ドイツ、イタリア、そしてロシアを貫く曲線である。 そしてこの自然ブロックがフランスおよび英国を無力化する」と述べています。


さらに、セルゲスは共和制支持者のプロパガンダが世界的な新聞に実に多く取り上げられているのに対して、フランコのプロパガンダについての報道はほとんどなされない理由も説明しています。

「敵を攻撃するために、遠距離から真相など頓着せずに絶え間なく流されるプロパガンダのなかで、スターリン及びその手先でる第三インターナショナルによるプロパガンダほど低俗で士気を挫くための方策はかつてなかった。 皮肉を込め、執拗に繰り返すその手法はほとんど機械的でさえある。

ソヴィエトの官僚たちはこのやり方を世界的規模で展開しようとしている。 ヴァレンティアの『イズヴェスチア(Isvestia)』紙の特派員によって発表された悪評はすぐさま一斉にパリ、ストックホルム、オスロ、ブリュッセル、ロンドン、ニューヨーク、メルボルン、ブエノスアイレスといった都市の機関誌に取り上げられ、嘘で固められた悪評が何百万部も発行される。 しかも、何百万ものロシア労働者にとっては、それが唯一の情報なのだ。 そして英国、アメリカ、中国、ニュージーランドの新聞はこの嘘を子の順で転載する。

知識人も、そうした新聞は反ファシスト的だと思ってウから、記事を信じてしまうことになる。 このように士気を挫くための許しがたい企てが世界的に機能してることは誰の目にも明らかであり、トロッキーの言葉『スターリン主義者のコミンテルンのプロパガンダは労働の梅毒である』が過酷なほどに正鵠を射た発言だと思わないでいられない」





1936年にモーリンとセルゲスが記したことは、ローマ教皇ピウス11世が1937年3月に発布された回勅『ディヴィニ・レデンプリトス(Divini Redemptroris)』を裏付けるものでした。 有名な勅書の第1章には以下のように記されています。 「その上、許遺産主義の思想が敏速に広まったのは、真に前代未聞の悪魔的な宣伝のおかげである。

この宣伝は、ただひとうつの中心によって統轄され、種々の民族の条件にきわめて巧みに適合させられているし、潤沢な資金、巨額な組織、国際大会、良く統制された無数の勢力を利用している。 その上、この宣伝は、小冊子、雑誌、映画、演劇。およびラジオと通じて、小学校から大学に至るまでおこなわれ、徐々に、あらゆる環境、最良の環境にまで侵入しているので、その害毒は、ほとんど知らず知らずのうちに、絶えずますます、人々の精神と心の中に浸み込んでいくのである。 第三の要因は全世界の出版物の大部分が、謀略的に沈黙を守っていることである。

余は、謀略という言葉を用いる。 何故なら、日常生活のささいな出来事を報道して飽くことが無い出版物が、ロシア、メキシコ、スペインの大部分に起こった恐るべき出来事について長い間、沈黙を守り、モスクワの指導下にある共産主義という広汎な世界的組織について、比較的わずか氏k報道しないと言う事は、謀略によるというほかならないからである。

この謀略は、ある程度、短見な政策に鼓吹されたものであるが、永年前からキリスト教的社会秩序を破壊しようと努めている種々の秘密結社に援助されているのである。

この悲しむべき結果は、我々の眼前に展開されている共産主義は、キリスト教とキリスト教文明の根底までも破壊し、人々の心、とくに、青少年の心から、そのすべての記憶を消し去ろうと努力した。これは、共産主義が公然と声明したところである。 スペインにおけるように、できることなら、キリスト教のすべての教会、すべての修道院、そのすべての形跡をも、破壊しようとしたのである。

凶暴な共産主義者は、司教たちをはじの司祭、修道者、修道女、しかも他の人よりも熱心に労働者と貧者のために尽くしていた者を殺したばかりでなく、さらに多数の信徒を、あらゆる階級に渡って殺戮した。 現代では可能と思えないほどの増悪、残虐、蛮行によって遂行されたのである。 スペインにおけるこれらの事件が、明日は他の文明諸国において、繰りかえされるかも知れないと思うとき、健全な判断を持っている人、その責任を自覚している要人のうち、恐怖におののかない者はいないに違いない。

人間には、個人の場合でも、社会を営んで生活をしている場合でも、拘束が必要である。 しかしながら、人間の心から神の観念が消える時は、奔放な情欲は、これを駆って、最も野蛮な残虐行為に走らせるのである」。[『デヴィニ・レデンプトリス』]



次の投稿は、いよいよスペイン内戦です。







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