「会社は、成果主義を採用すべきなのだろうか?」「成果を出した人を評価するのは当然ではないのだろうか?」
「現実にうまくいかないとしたら、それはなぜだろうか?」――。成果主義に対する素朴な疑問に経営学者が答える。
◇ ◇ ◇
1990年代、富士通が成果主義を先駆的に導入した。当時、富士通では何が起きていたのか、ある方のブログを引用しつつ探っていく。
執筆者を直接確認することができており、匿名にはなってしまうものの信頼性を確認したうえで引用していることにご留意されたい。
IT企業の泰斗だけあって、1990年代初頭に既に社内掲示板があったのだという。この社内掲示板では、他愛もないやりとりから業務上のQ&Aまで、様々なコミュニケーションがなされていたそうだ。
いまどきのSNSとは違って、「治安」もすこぶる良かったらしい。
成果主義への期待
そして、成果主義の導入が始まる。
富士通内では目標管理制度という名称で、成果主義の導入が始まった。つまり富士通での成果主義とは、社員の目標を会社が管理し、その目標の達成度に応じて報酬を変動させる、というシステムであったと理解できる。
ブログで述べられたように、富士通では当初、新しい制度が始まるという期待であふれていたようだった。
バブルがはじけ、年功序列制度といった既存のシステムが「古臭い日本の旧弊」とみなされ始めた事情も影響していただろう。
元々自由な空気で発言がなされていた社内掲示板でも、制度への期待や、もっとこうやれば良くなるはずだ、などの前向きなリアクションが目立っていたらしい。
掲示板の荒廃
ところが当該ブログには、なかなか悲惨な結末が述べられていた。
富士通社内における象徴でもあった社内掲示板に、書き込みがされなくなっていったのだ。熱い意見の過去投稿がそのまま残っていた、というくだりに哀愁を感じる。
その代わりに、社「外」の掲示板には会社の悪口が並んだのだという。当時はまだネット掲示板の黎明(れいめい)期である。社内で活発にコミュニケーションしていた人たちはどこかに去ってしまい、外で会社の悪口を書くようになっていったのだ。
成果主義の導入と先後して、富士通は業績が明白に悪化していく。パソコン通信サービス会社の「ニフティ」を1999年に完全子会社化し、2000年にはさくら銀行(現在の三井住友銀行)と共同で日本初のネット専業銀行であるジャパンネット銀行を設立するなど、全社では積極的な動きをみせていたものの、業績はなかなか芳しくならなかった。
2000年代初頭は米国でITバブルがはじけた時期であり、大きな赤字を計上する。
成果主義が会社を悪くしたのか、会社が悪くなったことで成果主義が機能しなくなったのか。
その因果は定かでないものの、成果主義の導入によって会社は目覚ましく躍進していった、というわけでないことだけは明らかである。
富士通の「敗因」
先述のブログでは、成果主義の失敗の原因を丁寧に考察している。先に、富士通における成果主義とは何であったのかを再確認したい。
富士通社内では成果主義は「目標管理制度」と呼ばれ、それは「半年を単位として、期初に業務目標を設定し、期末にその達成度を評価する」という内容だった。そのうえで、失敗の理由はおおきく三つ挙げられた。
まず失敗の原因として挙げられたのは、社員が「指示待ち人間」化したというのである。期初の目標設定は、上司と相談したうえで決定される。
ここで部下が上司に逆らえないという懸念が浮上する。上司が高い目標を出しても低い目標を出しても、異議を唱えると期末の評価を得にくくなるのでは、と想像してしまうのは理解できる。
制度のかなめであった目標設定に上司が介在するために、従業員は指示待ちの受け身になってしまった。
つまり、目標の設定が上司に委ねられるがゆえに上司と部下の間の権力差がより強化され、不均衡が生じたというわけである。
次に、目標の矮小(わいしょう)化である。成果主義下では、半期の目標とは別に「長期目標」も立てていた。
ただ社員はどうしても、評価の対象となる半年の目標の達成に集中してしまう。短期目標と長期目標では短期目標のみが注意を引きがちであり、結果として長期目標が形骸化してしまったのだ。
かつ、短期で達成できる目標となると、でっかい野望よりできそうな無難なものを選ぶ、というのも理解はできる。
最後に、すり合わせ文化の衰退である。評価につながる仕事が明確化されるため、逆に評価につながらないと思われる仕事を避けるようになるのだ。
社内掲示板の衰退は、ここにつながってくる。社内掲示板は公式業務や人事評価などに一切関係なく、まったくの善意で運用されていたものだった。しかし成果主義が明示化されると、無意識にでも思ってしまうだろう。「とはいえ、ここで人を助けても成果にはならないのか……」
内発的動機づけ説との一致
ここで、デシという心理学者の研究を紹介したい。1970年代に行われた、もはや古典の金字塔というべき業績で、東京大学(当時)の経営学者・高橋伸夫が著した『虚妄の成果主義』(日経BP)においても成果主義批判の根拠として取り上げられた著名な研究である。
デシが行った実験は、雑ぱくにかいつまむと次のようなものだ。
まず、実験協力者の学生を二つのグループに分ける。ひとつのグループには、パズルを解くと金銭報酬を与える。
別のグループには報酬は与えず、ボランティアでパズルを解いてもらう。さて、どちらのグループの方がパズルが解けただろうか、という実験だ。
結果は、ボランティアでやっていたグループの方が「成果が挙がった」というのだ。ここからデシは内発的動機づけというコンセプトに行き着く。
つまり外から報酬を与えられるのでなく、自分の中からうまれるモチベーションによって人は動くという仮説である。
この理屈に基づくと、仕事の成果と報酬を連動させる成果主義は、たいした意味をなさないことになる。
「仕事の面白さ」や「自己への期待」がモチベーションを高めると考えるからだ。高橋もデシを引用しつつ、「次にもらえる仕事」こそが最大の動機づけ要因である、と結論づける。
デシの実験はどうやら一般的にもわりと有名で、かつ、物語として「美しい」。なんというか、華麗な説明である。
であるので、のちに「内発性信奉」とよばれるくらい、内発的動機づけという概念が世に普及し、かつ支持を得ていくことになる。
助け合いの消失
とりあえず富士通では、目標管理制度を導入したところ社内掲示板が使われなくなっていった。
会社組織の中での他者への手助け、特に報酬につながらない助力をすることを組織市民行動とよぶ。富士通では、成果主義によって組織市民行動がみられなくなったのだといえる。
米国では契約主義が強いから、頼みごとをしても「それは私の仕事じゃない」と言って断られることが多いとかいう話をよく聞く。誇張されてはいるものの、大筋で間違ってはいない。というか米国とか関係なく、契約時に仕事の内容をはっきりさせている雇用ならば、契約外の仕事を頼む方が間違ってはいるだろう。
対して日本では、雇用契約において仕事の内容を詳説しない「メンバーシップ雇用」がふつうであったので、都度いろいろ助け合いながら仕事をする。なんなら隣の部署の仕事をちょっと手伝ったりする。これが「すり合わせ」的な働き方である。
なお米国式であっても、契約書にない仕事が発生するケースは多分にあるし、だいたいは「上司と相談」という帰結になるので、契約時に仕事を「詳細に」定義するといったことは一般的でなくなっているようだ。
いわゆるジョブ型雇用でも、契約外業務に対応できるように意図的に「余白」を残すケースもある。
さて、つまり目標管理制度は、互いに助け合うという職場の協働を抑制してしまった可能性が高いとみられているのだ。
沈みゆく日本企業
ところで、例のブログには、こんなエピソードが記述されている。
同時期に韓国のサムスンが日本企業から技術者を引き抜こうとしており、特にリストラされた社員を積極的に雇用していた。富士通が関係していたかはわからない。
主力事業は異なるので、一概に富士通から直接ヘッドハンティングしていたわけでもなかろう。
しかし、空気も業績も悪化する泥船から抜け出そうという社員が少なからずいたことは、なんとなく想像できてしまう。
こうした凄惨なエピソードの結末として、成果主義への期待はいつの間にかしぼみ、忘れられた存在へとなっていく。
=続く
![](https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2FDSXZQO5864334014012025000000-1.jpg?s=9d54a3e510d0461dfe938284b49cc82a)
[書籍『経営学の技法 ふだん使いの三つの思考』(日経BP)から再構成]
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