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ロスチャイルド財閥ー10 イングランド銀行

2022-09-26 02:32:56 | 国際政治・財閥
 


巨大になったロスチャイルド家は、今度はイングランド銀行に触手を伸ばしました。 

イングランド銀行は、たとえ法令で公的責任を負っていても、民間銀行であり、ロスチャイルド家とは業務が競合していました。

 
1825年、ラテンアメリカで投機バブルが破裂したことを引き金に、ヨーロッパが恐慌に陥ります。イギリスでも多くの銀行が破綻し、各地方銀行の発行銀行券への信頼が損なわれました。

イギリスにおいては、イングランド銀行のほか、多数の地方銀行がそれぞれに銀行券を発行していて、発行限度額なども各銀行の判断に任されていました。

 
イングランド銀行は、「全国における銀行券流通に堅実さと力強さを与える」ため、1826年から1829年にかけて11の支店を設け、「銀行の銀行」として、自らの銀行券のより広範な使用を推進しました。

イングランド銀行と協定を結んだ地方銀行は、各行の銀行券の発行を停止し、金(Gold)準備の必要から解放され、その代わりイングランド銀行券を無利子または3%貸し出しで受領し使用しました。
 

こうして、地方銀行券のシェアは徐々に低下していくことになります。 しかし、イングランド銀行自身も恐慌の煽りで金(Gold)が枯渇していき、苦境に陥りました。

ロスチャイルド家の5兄弟がロンドンに集まり策を練り、ネイサンが中心となって、イングランド銀行の短期ローンを盛んに利用しながら、巧妙にも同行から毎日繰り返し金貨を引き出し追い込んでいきました。
 
 
一方で、彼らは、イングランド銀行がそれまで貸し出していた金(Gold)を回収する形で、フランス銀行等から同行に金(Gold)を補填し、さらに、大量のポンドを供給して準備金を補填し、取り付け騒ぎが起こっていた動向を救済しました。

標的を追い詰め、そして救済の手を差し伸べるというやり方で、ネイサンは支配するのに十分な株式を取得し、同行(イングランド銀行)とその通貨発行権を手に入れました。
 
 
 


 
金本位制を利用した金融経済

イングランド銀行は、ロスチャイルド家が世界戦略を推し進める上で、もっとも役に立つ代理機関あるいはフロント企業の一つとなりました。
 
元々同行は、株主名を公開しないことを宣していました。 議会の直接命令をはじめとする数々の調査が行われて、株主名の公開を迫りましたが、それでも公開されませんでした。

 
同行の総裁や理事たちも、ロスチャイルド家ゆかりの人間で占められていたからで、その支配はさらに増していきます。
 
これ以降、ロスチャイルド家は世界戦略上、イングランド銀行をモデルとして、各国に中央銀行をつくっていきます。 さらに金本位制を、まず大英帝国で、そして他の国々で完成させていきます。
 


金銀貨幣は昔から世界各地で使われており、当時既にイギリスでは金貨が主流となっていました。
これを推し進めて、金(Gold)をコントロールすることによって、「世界」を操ろうとしたのがロスチャイルド家です。
 
金本位制は、金融経済の操作と富の集中の道具となります。 ネイサンは、自分の別荘で催したパーティで、次のように述べています。

 
 
「太陽が沈むことのない帝国を統治する英国の王位に、どのような操り人形がいようと、私は気にかけない。 英国の通貨供給量を管理する者が大英帝国を支配するのである。そして、私は英国の通貨供給を管理している」。
 
イギリス政府も、戦争を含めて国家的な大事業に直ちに資金を用意できるロスチャイルド家に頼らざるを得ません。 


オーストリア、プロシア、ロシアもロスチャイルド家なしにはやっていけず、ロスチャイルド家のヨーロッパにおける政治的な影響力は絶対的なものとなりました。 

1825年、5つのロスチャイルド商会の資産は、1815年時点から10年間で、実に50倍になています。
 
 
 
 
 
東インド会社を通して引き継ぐアジア利権

1832年、ネイサンは、「イギリスは世界の銀行である。 インド、中国、ドイツ、そしてロシアにおける商業取引は、すべてイギリスの仲介によって指揮され、取り仕切られている」と語っています。 

そのイギリスの中枢にあるのが、N・M・ロスチャイルド&サンズだったのです。
 


インドは、イギリスの時刻本位の関税政策のために、伝統的な綿織物産業は壊滅し、逆にイギリスの綿製品の巨大な輸出市場となっていました。 
 
イギリス東インド会社は、1600年設立のイギリスの勅許会社であり、アジア貿易の独占権を認められ、オングランド銀行から融資を受けながら、アジア各地の植民地経営を行っていました。
 
 

最初にアジアに進出してきたヨーロッパ勢は、まずはカトリック王国のポルトガルとスペイン。フィリピンの国名は、 スペインの植民地となった時代にスペイン皇太子だったフェリペ(後の国王フェリペ2世)の名前にちなんで、1542年にラス・フィリピナス諸島と名付けられました。
 
ヨーロッパでは、ドイツを舞台に、カトリック vs プロテスタントの大きな宗教戦争(30年戦争:1618年ー1648年)が起こります。 戦場となってしまったドイツは荒廃し、周辺のヨーロッパ諸国から約200年発展が遅れたとされています。  


 
中世ヨーロッパを500年間支配していたのが、オーストリアのハプスブルグ家ですが、太陽が沈まない国、スペインと我々は教科書で習いますが、当時のスペイン王はハブスブルグ家のカール5世です。
 
少しややこしいので、簡単に説明すると、当時のスペインという国は、アラゴン王国のフェルディナンド2世とカスティリャ王国のイザベル1世が結婚し、国家として合同する事で誕生しました。
 

しかしながら、フェルディナンド2世とイザベル1世の間の子供たちは次々と若死にしてしまい、フアナがただ一人残った王位継承権者となってしまいます。


 
フアナは、ハプスブルク家の一員の下に嫁に行ってカルロスを生んだ訳ですから、スペイン王・カルロス1世(=オーストリア・ハプスブルグ王カール5世)は、ハプスブルク家の一員だったと言えます。

こうしてスペインは、ハプスブルク家の一員を王として頂くことになった訳です。

 

カトリックの盟主である、ハプスブルグの神聖ローマ帝国が広域にヨーロッパ大陸を支配し、今日のオランダという国もその一部でした。
 
ウェストファリア会議は、神聖ローマ皇帝、ドイツの66の諸侯、フランス、スウェーデン、スペイン、オランダなどの代表が参加した、世界で最初の大規模な国際会議で、会議は1645年から実質的な討議に入り、延々と3年を要して、1648年にようやくウェストファリア条約が締結され、三十年戦争を終結させました。



ここで、スペイン領(=神聖ローマ帝国領)だったスペインからオランダという国が独立し、スペインと覇権を争うのです。

ちなみに、日本の豊臣vs徳川は、スペインvsオランダの代理戦争です。関ヶ原の戦い(1600年)の後、両陣営は、大阪冬の陣(1614年)大坂夏の陣(1615年)と2回、戦っています。
 


大阪冬の陣では、スペインからもらった銃で豊臣側が徳川側を蹴散らしますが、大坂夏の陣ではオランダが長距離届く大砲を新しく開発し、それを徳川側は購入し、大阪城を遠距離から攻撃し、豊臣側はなすすべくもなく敗北し、決着しました。

佐渡金山や石見銀山利権を手にし、世界覇権はオランダに移り、オランダ東インド会社がアジアに進出し、台湾やインドネシアを植民地にしました。
 


今でも台湾はオランダのPhilipsと関係が深く、最近話題のTSMCも台湾政府・ITRI(台湾工業技術研究院)の合弁会社で、最先端半導体に不可欠なEUV露光機も、世界シェアを独占しているのがオランダのASML社で、彼らが販売先をコントロールし、台湾TSMCに優先的に出荷しています。 
 
ASMLのEUV露光機も、Philipsとその親戚であるロスチャイルド家が主導するIMECというナノテクノロジー・半導体の研究コンソーシアムの成果です。
 

よく半導体材料はほとんど日系企業が独製造製造装置は ASMLを除き、日本とアメリカがほぼ独占しています。 

ものづくりを得意とする日本がファブビジネスをなぜやらないのか?という疑問を持つ人が多いですがが、ASMLが売ってくれるとは限らないのです。 

欧米、ロスチャイルドは戦略的でキモをちゃんと抑えているのです。
 


フィリップス財閥 (ロスチャイルド家と縁戚関係)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c37fe1b33f4e7f76239b0d1d048ebfc1

 

 

そして、オランダ東インド会社の次にでてきたのが、イギリス東インド会社です。 案外知られていませんが、インドネシアは一時、イギリスの植民地であったことがあります。
 
オランダ東インド会社とイギリス東インド会社は激しく戦い、結局、話し合いでインドネシアはオランダの植民地とし、イギリスはシンガポールを植民地とすることで決着するのですが、イギリスは中国と日本を植民地にしようとしていたのです。




実際、その後に起こったのが中国での阿片戦争、阿片戦争で清(中国)から奪えるものはすべて奪った、イギリスの次のターゲットは日本です。
 
当時の世界覇権はロシア帝国vs大英帝国。 この両者がぶつかったのが満州・朝鮮半島・日本です。
 


狡猾な大英帝国は、尊王攘夷と口だけでワーワー騒ぐ長州・薩摩の維新連中を金と女?で篭絡し、いつの間にか、日本は、尊王攘夷を捨て、挙句の果ては尊王攘夷の急先鋒であった孝明天皇を毒殺し、親イギリスと親ヨーロッパと反ロシア。
 
そして日露戦争では、大英帝国の代理人としてロシアと戦わされ、日露戦争での日本人の戦死者は約9万人、大英帝国のイギリス人は一滴も血を流していません。 
 


徳川との内乱(戊辰戦争)で活躍したアームストロング砲は、ロスチャイルドGrの兵器会社アームストロング社製(英国)日露海戦で大活躍した戦艦三笠もロスチャイルドGrの兵器会社ビッカース社製(英国)。 
 
そして、巨額の借金をした日本ですが、これらの借金を完済できたのが、バルブ経済で沸く1980年代後半。 結局は、したたかな大英帝国のために命を落としながら戦い、ロスチャイルドのマネーゲームに利用されました。 
 


今のウクライナと構造は全く同じです。これが明治維新です。 つくづく、彼らの頭の良さ(狡猾さ)には脱帽で、日本人が立ち向かえるレベルではありません。話を戻します。
 
 

イギリス東インド会社は、1773年にインドで阿片の専売権を獲得し、中国への組織的な阿片の売り込みを始めました。
 
インド産の阿片を中国に輸出して銀を吸い上げる麻薬貿易が、茶貿易と並んで、東インド会社のみならず、同社の貿易に深く関与していたシティそしてユダヤの大商人サッスーン家にも莫大な利益をもたらしました。
 


ネイサンの邸宅には、たびたび東インド会社の幹部が訪れ、助言を求めました。 
 
1833年、インドを実質的に植民地支配してきた東インド会社のアジア貿易独占権がイギリス議会で廃され、東インド会社は商業活動を停止しました。
 


東インド会社のほとんどの利権を、補償金を支払って引き継いだのはネイサンとその義兄弟モンテフィオーレで、東インド会社の貿易ルートを主として受け継いだのがロスチャイルド・グループのエリアス・サッスーンでした。
 
サッスーン家については、後ほど詳しく述べる予定です。 そして、1840年の清(中国)との阿片戦争によって、イギリス・インド・中国の阿片や茶の三角貿易体制が完成しました。


 
1830年代、ネイサンは鉱業にも乗り出し、当時、体温計や金(Gold)の精錬に欠かせなかった水銀を独占します。
 
オーストリアの水銀鉱山に加えて、1833年にスペインで起こった王位継承問題に関与し、アルマダ大ス銀鉱山の支配権を獲得しました。

 
 
そして、水銀の価格を2倍、3倍に吊り上げて、巨額の利益を得たのです。
 
 
 
 
 
(関連情報)


・ロスチャイルド財閥ー9 ウィーン体制
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bdb88089d7be05f04ad603f308e78bfd

・ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/251288d5f7831aabc04a9f9e8dc1fdd8

・ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1e2fa5625a9d19f29501b9a2fab08287

・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bf1ef0b119dc91fe01175386fdcfdd16

・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/51d373b45f326e454062fb2a23aca712

・ロスチャイルド財閥-3 宮廷御用商
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d3a104615c2562e9e9e56f8b87d8e2fb

・ロスチャイルド財閥ー2 創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5d6c686e25057050e0bc970e0d133912

・ロスチャイルド財閥-1 先祖

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・フリーメーソン・イルミナティ・秘密結社 ここまでのまとめ
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・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
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ロスチャイルド財閥-9 ウィーン体制 そしてオーストリア帝国宰相クレメンス・メッテルニヒの直系の孫であるメッテルニヒ氏との食事会 

2022-09-25 08:47:43 | 国際政治・財閥

 

 

 

 


私Renaissancejapanがオーストリアに住んでいた頃、ウィーンでのクリスマスパーティでの写真。 


右奥に見える威厳のある年配の方が、教科書にも掲載されているオーストリア帝国宰相クレメンス・メッテルニヒの直系の孫であるメッテルニヒ氏、現在オーストリアでは貴族称号が禁じられているのでドイツのミュンヘンにお住いのようです。 

バイオリンの演奏者は、名前を忘れましたが世界N0.2のバイオリン奏者で有名な音楽家らしい。 
この日のために、銀行の金庫から国宝のストラディバリウスを取り出してきたと司会者が言われていました。

 
ナポレオンの追放を受けて1814年から1815年に開催されたウィーン会議では、旧勢力によるヨーロッパ支配体制が復活しました。 

1815年9月には、オーストリア、プロシア、ロシアの各王によって、「三国王は一宗教(キリス教)の三分枝、すなわち、オーストリア、プロシアおよびロシアを統治することを神意によって委ねられている」と謳う「神聖同盟」が締結されました。



旧勢力の老舗銀行家たちは、新興ユダヤ人ロスチャイルド家を排除しようと画策しました。 しかし、ロスチャイルド家は公債相場の暴落を仕掛けて、老舗銀行家たちへの逆襲に成功します。 

その結果、ユダヤ人でありながら、ロスチャイルド家は旧体制ともいうべき神聖同盟の銀行という不動の地位を築きました。





オーストリア帝国宰相メッテルニヒとの蜜月関係

オーストリア帝国の外相(後に宰相)クレメンス・メッテルニヒには、低利で巨額な個人的融資を取り計らい、深く食い込みました。 

ロスチャイルド家がウィーン会議に派遣した二人の代理人は、ウィーン警察から革命分子と疑われ退去命令を受けましたが、メッテルニヒはこの命令を破棄しました。


ナポレオン時代、束の間の自由を得たドイツのユダヤ人たちも、ナポレオン戦争後にはユダヤ人の商売に脅威を感じた人々から迫害を受け始めました。

 ロスチャイルド家も狙われ、アムシェルも命を狙うと脅迫されたり、フランクフルトのアムシェルの家が群衆に襲われたりします。


メッテルニヒは、大衆の過激行動に反対でしたので、ロスチャイルド家は彼の保守主義が、大衆の攻撃から自分たちを守ってくれるものと考えました。 ここに、ロスチャイルド家とオーストリア帝国宰相メッテルニヒとの蜜月関係の鍵があります。


1694年にイギリス政府に軍事費を融資する目的で設立されたイングランド銀行は見返りに、勅許状で、銀行券(通貨)を発行する特権を与えられ、以降、ロンドン地域における銀行券発行を独占していました。

さらに、イングランド銀行は、イギリス政府の財務代理人としての務めを果たしていたため、年間10万ポンドを賦与されて、その資産や業務は免税扱いされていました


一方で、イングランド銀行は、稼ぐ義務を株主に対して負う民間の商業銀行であり続け、金融業や諸産業への融資を盛んに行っていたので、ロスチャイルド家の初期の競争相手でもさりました。 

イングランド銀行の理事は、イギリス政府の植民地政策に関わるシティの商社やマーチャント・バンク(国際銀行)などから血縁や」友人関係によって選出されていて、キリスト教徒による閉鎖的な社会をつくっていました。




国際的な債券市場の誕生

ロスチャイルド家によって国債という形での資金調達が、ヨーロッパ格国に広く紹介され普及していきます。 外国債の仕組みを最初にイギリスやプロシアに紹介したのもネイサンです。 

イギリス国債はロンドン市場だけでなく、フランクフルト、ベルリン、ハンブルグ、アムステルダムそしてウィーンの市場でも発行され、国際的な債券市場を形成しました。 


政府の資金計画に対して革新的かつ複雑な方法で資金提供を行うことが、ロスチャイルド家の主力業務となります。国際的な債券市場の誕生は、ロスチャイルド家が近代経済の発展へ果たした最も大きな貢献の一つです。 

1818年の5人の兄弟間のパートナーシップの契約によると、ロスチャイルド家全体の資本金の総額は、1815年からの3年間で13倍も増えました。所有する資本額と事業経営上の責任とを考慮に入れた兄弟間の損失と利益の配分率は、N・M・ロスチャイルド&サンズでは、ネイサンは倍増して50%にまで及んで突出しました。


N・M・ロスチャイルド&サンズは世界の債券市場を支配する国際的な巨大銀行となっていきました。分かり易いイメージとしては、J・P・モルガン、メリル・リンチ、モルガン・スタンレーにゴールドマン・サックスを合わせたくらいの巨大さで、またIMFのように数多くの国家の財政を安定させる役割も担いました。 

そして、ネイサンと兄弟たちは、後に各国の中央銀行が果たすことになる国際的通貨協力の仕組みを構築し、国際金融市場でも支配的な地位を築きました。


1820年、ネイサンは、当時のヨーロッパでの垂涎(すいぜん)の名誉職、ロンドン駐在のオーストリア帝国総領事に任命され、それに伴う免税などの特権も手に入れました。 

1820年代に入ると、ほとんどの大国の財務大臣がロスチャイルド家に買収されていました。 


それだけではなく、1820年に即位したイギリス王ジョージ4世も、ワーテルローの戦いの英雄で、1828年に首相に就任したウェリントンも、同家から多額の借金をしていて、その掌中にありました。 

国が公債を発行して借金をしては、その都度莫大な金額をロスチャイルド家に支払う異常な取引も多発しました。


ロスチャイルド家は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの対立構造を巧みに利用して最大限の利益を得ました。





5本の矢による五極体制の完成

1820年、メッテルニヒとの親交が厚い次男・サロモンが、ハプスブルグ家での仕事が増えたためにウィーンに移住し、ウィーン・ロスチャイルド商会を正式に設立して、オーストリア政府の御用銀行となりました。 ウィーン・ロスチャイルド家の誕生です。

1821年には4男・カールがナポリに移り住み、ナポリ・ロスチャイルド商会を正式に設立しました。 ナポリ・ロスチャイルド家の誕生です。


フランクフルトの本店を守る長男・アムシェル、ロンドンで大銀行家となった3男・ネイサン、パリでの大立者5男・ジェームズとともに5本の矢による五極体制の完成です。 

ただし、ウィーンとナポリの場合は、引き続き、1848年までフランクフルト商会の支店の地位にありました。 


821年、ネイサンに続いてジェームズも弱冠29歳でパリ駐在のオーストリア帝国総領事に任命されました。 フランス貴族にとっても垂涎(すいぜん)の名誉職です。 

彼は、その地位にふさわしい住まいとして、パリのラフィット街の壮大な宮殿を買い取っています。



ジェームズの銀行は、競争相手をすべて追い越し、彼の資産はフランスの他の金融業者全員の資産合計よりも3割以上大きいと見られていました。

1822年、遂にオーストリア皇帝によって、経大人全員とその男性の嫡出が「男爵」に叙せられました。


ナポレオン戦争時のイギリスからの補助金と、戦後のフランスからの賠償金のオーストリアへの支払いにロスチャイルド家が果たした役割への褒美です。

名実ともにロスチャイルド家はヨーロッパの上流社会に入りました。 このとき、貴族としての「紋章」を与えられました。




                 ロスチャイルド家の紋章


オーストリアの鷲とヘッセン・カッセルを表す獅子とを合わせたデザインで、中央に赤い盾を刻み、おおきな盾の中には5人兄弟の結束を象徴する5本の矢を握る腕の図柄をあしらった、ロスチャイルド家の家訓として、Concordia, Integritas, Industria (調和、誠実、勤勉)という銘が刻まれました。 

これは、もちろん、オーストリアのメッテルニヒ首相に対して、ロスチャイルド家が多額の金銭を貢いだ成果でもあります。 

ただしネイサンは、この後も「ロード」ではなく単なる「ミスター」で通しています。彼はイギリス国民として帰化していて、「自由なイギリスでは専制王国オーストリアの男爵などくだらない」と語っていました。





ヨーロッパ金融市場の支配者

オーストリア帝国にとって、ロスチャイルド家はかけがいのない存在でした。 オーストリアだだけではありません。 

1820年代、30年代を通じて、5兄弟が重要な取引をしていた政府は、イギリス、フランス、プロシア、ドイツ諸国、ベルギー、ナポリ、スペイン、ポルトガル、ブラジルなどに及んでいました。
 

ロスチャイルド家はヨーロッパ中の王室をも顧客にし、ヨーロッパ中の王室が同家に金を無心(むしん)したのでした。 

ヨーロッパを支配するグレート・パワーは、イギリス、オーストリア、ロシア、プロシア、フランスの5大国およびロスチャイルド家だと言われました。これは、ロスチャイルド家がイギリスの名門ベアリング家から経済的覇権を奪い勝ち取った証でもありました。


一方で、1820年代、ロスチャイルド家は富への妬み、ユダヤ教への反感、そして保守的な政治姿勢への非難を広く受け始めました。 ヨーロッパの多くの富裕なユダヤ人が、社会的同化のためキリスト教に改宗しましたが、同家はユダヤ教への信仰を守りました。

同家の神聖同盟との関係は、自由主義者たちの批判の的となりました。 ロスチャイルド家は、しばしば新聞にも非難されました。 これに対してネイサンは、イギリスで最も影響力のある新聞『タイムズ』を彼らサイドのメディアとして、他の新聞に対抗しました。 以降、ロスチャイルド家は世界中でメディアへの影響力を大きくすることに傾注します。



ロスチャイルド家は海外に乗り出し、アメリカ合衆国やインド、キューバ、オーストラリアといった遠方の市場に積極的に進出していきます。 

ネイサンは、マンチェスターで織物を扱っていた頃にアメリカ南部から綿を買入れて以来、アメリカとの関係を築いていました。 

 

彼はアメリカの農業・工業の発達に強い関心を寄せ、同地に確固たる地盤を築きたいと思っていました。彼はいくつかの州政府に貸し付けを行い、一時期、民間の中央銀行である合衆国銀行の保証人にもなりました。

N・M・ロスチャイルド&サンズは、パリ、ウィーン、ナポリに支店を設け、各種債権などを取り扱いながら、銀行・鉄道・鉄鋼・軍需などの会社の財政業務の代行や監督を行いました。
 

ネイサンは、当時の新聞にしばしば「ヨーロッパ金融市場の支配者」と書かれました。 1825年の兄弟間のパートナーシップの契約を見ると、ロスチャイルド家がますます大きくなっていることが分かります。 

ロンドンとフランクフルトとパリを合わせたフラン建ての資本金は、1818年に比べて2.4倍の1億フラン以上となっています。 ちなみに当時のフランス銀行事実上の資本金が6000萬フラン、またパリでロスチャイルド家に次ぐ銀行と言われたラフィット家の資本金は700万フランで桁が違います。 ポンド建ての資本金は2.3倍となっています。




(関連情報)

・ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/251288d5f7831aabc04a9f9e8dc1fdd8

・ロスチャイルド財閥-7 5本の矢https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1e2fa5625a9d19f29501b9a2fab08287

・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦いhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bf1ef0b119dc91fe01175386fdcfdd16

・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/51d373b45f326e454062fb2a23aca712

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ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ 

2022-09-25 03:48:58 | 国際政治・財閥



 

1812年、マイアーが68歳で亡くなると、35歳の3男のネイサン(1777年ー1836年)が総主を継いで、ロスチャイルド2世となりました。

ネイサンには、前述のように並外れた商才と実績がありました。 
長兄のアムシェルはそれを認め、長子相続を自ら放棄し、他の兄弟も認めました。 


当時のヨーロッパ大陸ではナポレオン皇帝による反ロスチャイルド政策が続いていたため、ビジネスの拠点としてロンドンが最も適していたという事情も背景にありました。

ネイサンは、父の死に先立ち、ロンドンのニューコート地区に、N・M・ロスチャイルド&サンズ(N・Mはネイサン・マイアーの頭文字)という銀行を立ち上げていました。



N・M・ロスチャイルド&サンズが創られたのは、フランクフルトのM・A・ロスチャイルド&サンズの業容が巨大になり過ぎたため、経営効率上、ロンドンの活動を大陸の活動と分けるためです。 

現在のシティにおいても大きな影響力を持つN・M・ロスチャイルド&サンズは、現存するもっとも長い歴史を誇るマーチャンド・バンク(国際銀行)です。 アメリカ合衆国のトランプ政権のロス商務長官も同行の出身です。


尚、最古のマーチャント・バンク(国際銀行)は、1762年に創業したベアリング家のベアリングス銀行でしたが、1995年にシンガポール支店のトレーダーが日本の証券市場でのデリバティブ取引に失敗して大損失を出して倒産しています。





ナポレオン戦争への大規模支援
ネイサンは、アメリカやインドからヨーロッパ大陸に流れる金塊取引から巨利を得て、多くをイギリス国債に投資しました。 

ナポレオン戦争(1803年ー1815年)で、イギリスの国債発行額は一気に増加しましたが、かなりの部分が彼によって引き受けられました。 



ネイサンのイギリス政府支援は、大陸のロスチャイルド家にとっては、ナポレオン政権に知られてしまうと、身に危険が及ぶリスクの高い行為でした。 さらに、彼はイギリス政府から軍資金や通信文の輸送を任せられました。

イギリス政府は、ナポレオン戦争の最後の数年間、オーストリア、プロシア、ロシアに対して莫大な軍事費の援助を行いました。 



当時、危険を伴うために金地金(インゴット)の輸送が難しかったのですが、ネイサンと兄弟たちは、お互いの間で、最初の国際的な手形交換所を設立し、イギリス政府が同盟国に宛てた送金業務の大部分を取り扱ったのでした。

加えてネイサンは、イギリス軍のウェリントン将軍の片腕としてナポレオンと戦うスペイン独立戦争(1808年ー1814年)の財政計画を立て、軍資金(金地金)をポルトガルにいるウェリントン将軍に送り届けました。


当時、このウェリントン将軍は、インドの軍事支配への貢献により貴族の最高位「公爵」を授けられて「ウェリントン公爵」となり、「鉄の公爵」の異名をとっていました。






ワーテルローの戦いでぼろ儲け
ヴィルヘルム9世の投資も引き続いてネイサンの名義でなされ、ネイサンによる莫大な金額の取引がシティを席巻するとともに、彼は巨額のイギリス国債を保持して政府の財政を牛耳る資本家となり、ネイサンは政財界のトップにも影響力を持ち始めました。

1814年にナポレオンはウェイントン将軍との戦いに敗れ、エルバ島に追放されます。 王政復古となり、ネイサンやジェームズが用立てた資金で、ルイ18世の輝かしいパリ入城が実現しました。 



この年、N・M・ロスチャイルド&サンズは、北ドイツのハンブルグを本拠とした、ドイツのユダヤ系大手企業、M・M(モーゼス・マルクス)・ウォーバーグ商会を系列に加えました。

この後、ウォーバーグ家は繁栄を謳歌していきますが、その子孫たちはロスチャイルド家のために尽くしていくのです。 



1815年6月、イギリスはエルバ島を脱したナポレオンとの最期の決戦ワーテルローの戦いに勝利しましたが、この戦いを支えたのもロスチャイルド家でありました。

ネイサンは、ワーテルローの戦いでのイギリスの勝利の報を、ロスチャイルドの情報ネットワークによって誰よりも早く知っていました。 ところがネイサンたちは「ウェリントン将軍は敗れた」と言いふらし、これみよがしにイギリス国債を大量に投げ売りしたのです。



イギリスが敗北したものと思い込んだ市場関係者は「ワーテルロー・ショック」の恐慌を引き起こし、皆がイギリス国債を超安値で投げ売りしました。 その間ネイサンたちは密かに投げ売りされた国際を底値で買い集めました。 当時は、携帯電話もインターネットもありません。 

イギリスが勝ったという知らせが48時間たってから首相官邸経由で市場に伝わると、大歓喜が沸き起こって国債は猛烈に暴騰し、ネイサンは買い集めた莫大な国債を高値で処分しました。



このように自ら仕掛けて証券市場に大変動を起こし、それを利用して膨大なキャピタル・ゲインを獲っていくやり方こそ、ロスチャイルドが最も得意するお家芸でした。

ロスチャイルド様が言っていたかどうかは知りませんが、「みんなアホネ!」と言っていたのかも知れません。



ワーテルローの戦いの前後5年で、ネイサンの富は、7万倍弱になったと言われています。 彼自身は、1815年から5年間の間に財産を2500倍にしたと控えめに自慢しました。

ワーテルローの戦いで勝利したウェリントン将軍は、後に二度にわたってイギリス首相を務めます。 ウェリントン将軍は戦争で大いに世話になったロスチャイルド家とは切っても切れない関係になっていました。



ネイサンは、イギリス政府からヨーロッパ大陸各国への戦後処理の補助金についても、資金手当てや送金業務を担い、名実ともにイギリス政府を支える公(おおやけ)の金融家となりました。

1815年にナポレオン戦争に伴う大々的な金融事業が終結すると、5人の兄弟はパートナーシップ契約を再締結し、新たな統一体としての再編成を行いました。 



前述のように、各商会の全体の貸借対照表(たいしゃくたいしょうひょう)は、毎年フランクフルトに集められ、ロスチャイルド家全体の貸借対照表が作成され、全体として一つに」まとまった「何人かの長を持つ単の商会」を形成していきました。

5人兄弟の資本の配分は、ネイサンが表に出て66%と突出し、アムシェルとソロモンが各13%、カールとジェームズが各4%でした。各商会を合わせた全体としては、世界最大の銀行でした。



ネイサンは、フランクフルトに対して従属的な立場に甘んぜず、独創的かつ革新的にビジネスを展開しました。 兄弟の力量の差によって資本の配分は相対的に変動しました。 

もっとも、引き続きロンドンが極めて重要な位置にあったことも背景にあります。尚、このときのN・M・ロスチャイルド&サンズの資本の配分は、ネイサンが27%、アムシェルとソロモンが各20%、カールとジェームズが各16%でした。







(関連情報)

 

・ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1e2fa5625a9d19f29501b9a2fab08287

・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
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ロスチャイルド財閥-7 5本の矢

2022-09-24 17:12:53 | 国際政治・財閥

 


マイアーは、ヨーロッパにロスチャイルド帝国の基礎を築くために、5人の息子たちを、それぞれ矢を放つようにヨーロッパの主要都市に配しました。 ロンドンに配した3男のネイサンについてはすでに述べました。

長男のアムシェル・マイアー(父親の名をひっくり返した名前)は創業の地フランクフルトに留まりますが、次男のサロモンがウィーン、4男のカールがナポリ、5男のジェームズがパリに配されました。



そしてマイアーは、息子たちに、それぞれの国の政治有力者に贈り物・貸付・投資機会などの賄賂を与えることで、特権を獲得してビジネスで成果を上げるよう、徹底的に指導したのです。

1810年9月にマイアーと5人の息子たちがパートナーシップ契約を結んでいます。 フランクフルト・ロスチャイルド商会の資本金を、マイアー48%、アムシェル24%、サロモン24%、カール2%、ジェームズ2%として、利益や損失もこの出資比率で分配することとしました。



マイアーの出資分には、当時ナポレオン戦争のため表面上関係を絶っているように見せていたネイサンの持ち分24%が含まれていました。 

また、この契約によって、同商会はM・A・ロスチャイルド・アンド・サンズ(M・Aはマイアー・アムシェルの頭文字、サンズは息子たち)と称することになりました。



注目すベきは、遺産の処分にあたっては、5人の兄弟は平等に5分の1ずつ相続するということ、事業は5人の息子たちのみが携わり、娘や娘婿は口出しする権利も、帳簿を見る権利も与えられないということです。

男子の跡継ぎが生まれなければ、お家断絶となります。





マイアーが遺した4つの家訓
1812年にマイアーが手術の古傷が悪化してなくなる2日前、弁護士を呼んで遺言を書きとらせ、4つの家訓を遺しました。 


1、長男がロスチャイルド家の当主(総主)となること。本家も分家も長男が継いでいくこと。
  ただし、一族の多数が同意した場合は例外も可で、早速1812年にやり手の三男ネイサンが総主
  に選ばれました。


2、いとこ同士の結婚など一族内の結婚によって財産の分散を防ぐこと。 
  五男ジェームズが1824年に結婚したのは次男サロモンの娘ベッティ、才女にしてパリ社交界の
  花形でした。これ以来、ロスチャイルド家では近親結婚が相次ぎます。 

  マイアーの孫は18組の結婚のうち16組が従兄弟従姉妹同士の結婚でした。 その後も約半分が
  一族同士の結婚をするという傾向が続きます。 

  ただし、女性の側ではさほど厳密には守られませんでした。 厳格な家訓への反抗心もありまし
  たが、一族以外の大金持ちのユダヤ人と結婚することは財産を大いに増やすことになりました。

  娘たちがユダヤ人以外と結婚するケースもあり、ネイサンの孫娘ハナが後のイギリス首相ローズ
  ベリー卿に嫁ぐなど、富裕な貴族と結婚して閨閥を広げていきました。 


3、一族の財産を秘匿すること。 財産を裁判所その他の場所で公表しないこと。遺産についても、
  法的措置をとらず、いかなる形でも絶対に公表しないこと。


4、一族は間断なく連携すること。 一族の財産を統一的に管理すること。そして、当初の共同経営
  者とその男系子孫のみが会社を帰営すること。




ちなみに、このような既定の仕方で一族を保全しようとする処置は、日本の三井家の三井家憲(享保7年、明治33年)と共通しています。ロスチャイルド家と三井家とは歴史的立場や家の性格に通じるものがあります。




・日本の三大財閥の一つで、世界で最も古い歴史を持つ財閥は住友財閥https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c20f898fe02c3047a9e0f3e8971b583e

・世界最強の財閥・ロスチャイルド家より古い歴史を持つ住友家https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/851659949fd3bf4aa65d9f6c0a13940a

・三井財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6d0bb2d7f4aaf01429a8671faf7d590b

・三菱財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ff1869da00b5825eccba224f6c98762c

 



そもそも伝統的にユダヤ人は身内のことについて外部に話しません。 常に迫害を受けてきた歴史から学んだ防衛策です。 そのなかでも、遺言にあるロスチャイルド家の秘密主義は徹底しています。

五男のジェームズが伝えるところによると、「父は、永遠の別れのときに、(中略)我々が緊密にむすびついていること、そして彼の創設した銀行の運営を共同で続けることを求めました。
 

彼はスキタイ(古代の騎馬遊牧民国家)の王の行為を語りました。 この王は死の床のまわりに息子たちを集め、はじめ強く縛った矢の束を差し出します。誰もそれを折ることはできません。しかし、次に王は矢の束をほどき、一本一本の矢を次々に折っていくのが容易であることを示しました。 

『君たちは強力であるだろう。君たちが離れ離れになる日に、君たちの繁栄の終わりが始まるだろう』


日本の「三本の矢」の逸話に通じます。



フランクフルト・ゲットーのユダヤ人として、長きにわたて外界から攻撃を受ける状況にいたロスチャイルド家の人々の鬱屈と緊張は、外界への反発とともに、彼ら内部での禁欲主義と強固な「連帯」を生み出していたのです。

この頃、マイアーが自宅に掲げていた楯章は、フランクフルト市章を模したもので、赤い盾に描かれた一羽の鷲の爪から五人の息子を意味する五本の金の矢が広がるようにあしらわれていたのが特徴でした。





その後も、現在に至るまで、「五本の矢」はロスチャイルド家の誇るべきシンボルであり続けています。





ロスチャイルド・ネットワーク
また、ロスチャイルドの強みは、5人の息子による、5つの商会だけでなく、的確な第林の配置でそのネットワークは強化されました。 

代理人には、イタリアのローマなどに毎年派遣される代理人、スペイン・ハバナ・ニューオリンズ・リオデネジャイロなどでの取引に都度派遣される代理人、北西フランスに派遣される常駐の国内代理人、そして国外に派遣される常駐の在外代理人の4タイプがありました。



常駐の在外代理人は、独自の銀行の開設を許され、ロスチャイルド家の「支店」のように機能しました。 彼らは、現地の政治的な領域でも相当の立場を築きました。 

ブリュッセル(ベルギー)、マドリード(スペイン)、ニューヨーク(アメリカ)に優れた常駐の在外代理人が派遣されましたが、特に1835年頃にニューヨークに移り住んで大活躍したのが、オーガスト・ベルモントという人物です。



ロスチャイルド家が、ヨーロッパの5都市に加え、それ以外の都市にも卓越した代理人を配置して構築した「広域で迅速な情報網」は、ロスチャイルド家に先行してイギリスを拠点にマーチャント・バンク(国際的な銀行)を大々的に展開していたベアリング家も及びもつかないものでした。







・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦いhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

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ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い

2022-09-24 12:26:35 | 国際政治・財閥

 

 

コーエン家のハンナの妹ジュディスは、1812年、モーゼス・モンテフィオーレ(1784年-188年)と結婚しました。 

モーゼス・モンテフィオーレの母親はロンドンの有力な地金ブローカーであるモカッタ家の娘でした。


 
モカッタ家は、イングランド銀行が求める金銀のブローカーとして一大勢力を形成し、同時に、イギリスのマーチャント・バンク界においてネイサンにとっての強敵であったキリスト教徒のベアリング家に金塊を運んでいました。

モーゼス・モンテフィオーレはネイサンの株式仲買人となり、以降、モンテフィオーレ家はロスチャイルド家のビジネスパートナーとなりました。



ちなみに、モーゼス・モンテフィオーレは、1835年から1874年前までの間、イギリス最大かつ最古のユダヤ人共同体組織である「ボード・オブ・デピュティーズ」(ユダヤ人代表委員会、1760年設立)の会長を繰り返し務め、史上最長の在任期間を果たしています。 

ネイサンは、ハンナの姻戚関係を利用してモカッタ家の閨閥(けいばつ;妻方の親類を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係)の中に入りこむことに成功しました。 そして、それを梃子(てこ)に巨大なベアリング家に戦いを挑んでいったのでした。 



ベアリング商会(ベアリングス銀行)は、シティで最古の1762年に、フランス・ベアリングによって創業され「女王陛下の銀行」とまで呼ばれた名門マーチャント・バンクです。

当時、ロスチャイルド家に先んじて、インド貿易やアメリカ投資、さらにはフランスでの商売で巨富(きょふ)を築き、ヨーロッパ一の商人として君臨していました。



1810年、ネイサンはロンドン証券取引所の大商いでベアリング家と争って勝ち、以来数年間、ナポレオンに対抗するイギリスがヨーロッパ同盟諸国に提供した累計4200万ポンドの半分を調達する強大な力を得ました。

そして、シティに君臨していたベアリング家総帥とゴールドシュミット兄弟が亡くなると、彼が無敵の王者としてシティを動かし始めます。



なお、1810年以降、金融の力に魅せられたネイサンの判断により、ロスチャイルド家は密貿易をはじめとする物品の商いを停止し、金融ビジネスによって巨利を得ることを方針としました。

ちなみに、革命家のカール・マルクスとフィリップス電機創業者のフレデリック・フィリップスは、ハンナの従兄ナネット・コーエンの孫で、すなわち2人はロスチャイルド家とつながっています。



 

(関連情報)

・フィリップス財閥 (ロスチャイルド家と縁戚関係)
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・ジーメンス財閥
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・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
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・ロスチャイルド財閥-1 先祖
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