風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2012-11 福井いにしえのドラマ1-2

2012-11-04 | 中部(北陸)
1-1からの続きです。

○ 一乗ふるさと交流館で昼食~朝倉膳
○ メンバー挨拶
○ 復元城下町と蘭麝酒
○ 平泉寺白山神社
○ 勝山城(と越前大仏)


○ 一乗ふるさと交流館 昼食~朝倉膳

ふるさと交流館でお座敷に通されると、すでに今回の参加者たちが勢ぞろいしていました。
お膳には見慣れない料理が並んでおり、料理人の方に一つ一つ説明していただきました。



朝倉家が将軍に献上したものを簡素に、そして現代風味付けにアレンジしたものだそうですが、13品もあってとっても豪華。
天ぷらは、今風につけられたとのことです。
「呉汁」というのは、丸大豆で作った、一乗地区の料理だそうです。



私は「ごまころ」がとても気に入りました。
里芋に、細かくすったペースト状の黒ゴマをつけたものです。
一つのおイモに5gものゴマがついているとのことで、栄養価たっぷり。
家でも食べたいわ。



「福井では、水ようかんは冬に、こたつの中で食べるものです」と言われて、ハッと思い出しました。
そういえば、『秘密のケンミンSHOW』でも取り挙げられて、(うそでしょ~)と思って見ていました。
本当なんですね!
こちらでは、夏には食べないんだそうです。なぜなのー?不思議よー。
福井の水ようかんは、薄味で、つるっとのどごしいいものでした。

○ メンバー挨拶

食後に、メンバーの自己紹介をしました。
主催者側3名のほか、今回招待を受けたブロガー7名は、私以外、なんと全員福井の人でした。
ふくいブランド大使の人が多く、Facebookのフォロワーが4000人いる人など、選ばれし県民のようです。
アレ、私は…うっかり飛び込んじゃった感じ?

そのためか、ワタナベさんにマンツーマンでガイドをしていただくという、とても丁重な待遇を受けています。



これまで福井出身の人にほとんど会ったことがないため、私以外全員福井人というシチュエーションがとっても新鮮。
みんなが話す県内の地名がわからず、ちんぷんかんぷん。
私が「神奈川出身です」と言ったら、「金沢?」と聞き返されました。
お隣の県じゃありませーん(笑)!

○ 復元城下町・蘭麝酒

食後は再び復元城下町に向かい、いったん自由行動となりました。
改めて見学し直します。
染物屋の暖簾がかかった家の中に入ると、染料を入れた大甕がいくつも置いてありました。





「戦国あさくら市」ということで、通りには市がたくさん並んでいます。
売り子さんがみんな、当時の格好をしており、雰囲気たっぷり。







さらにここでは「円」ではなく、当時の通貨の「文」でお買い物をします。
本当にタイムスリップした気分。



市場を散策していたら、一乗谷のお酒、蘭麝酒(らんじゃしゅ)を見つけました。
朝倉氏一門の健康維持のために造られ続けてれた健康酒だそうです。
名前もなんだか秘密めいているし、朝倉家ゆかりのお酒なら、買ってみようっと。
「よっ、お菊はん、この銭で売ってくれぇな」「あいよっ」という感じに、入手しました。



冷え性にいいらしいので、この冬はこれで乗り越えられそう。

○ 平泉寺白山神社

その後、ワタナベさんに平泉寺白山神社に連れて行っていただけることになりました。
今回、私が個人的に永平寺や平泉寺白山神社に行く時間はあるかと質問したところ、「個人では交通の便が悪く難しいから」と、便宜を図っていただいたのです。
ほかの地元メンバーにとっては見知った場所なので、私一人。恐縮の至りです。
永平寺は入山時間が限られているので、また次の機会に。

九頭竜川に沿って、勝山市まで向かいます。橋を渡る際、すぐ横にダムがありました。下荒井ダムでした。



平泉寺白山神社は、朝倉氏との関係も深いため、セットで見学することをお勧めしたいというお計らいです。
一乗谷の戦いの時に、早々に谷を脱出した朝倉義景はこのお寺に逃げ込みましたが、裏切られて自刃に追い込まれました。

白山神社は、西暦720年頃に、泰澄(たいちょう)大師が創建した古社で、平泉寺はその別当寺です。
室町時代には、48社・36堂・6千坊を数えという巨大な宗教都市となり、恐るべき僧兵8千人の力を有していたとのこと。
それでも、朝倉家滅亡の1年後に、一向一揆により壊滅したそうです。

6千坊って!!善光寺にもたくさんの坊がありますが、それでも数十戸でしょう。
どれだけすごい数だったのか、考えるだけでめまいがしそう。

壊滅後、江戸時代に少し復興し、明治時代の神仏分離で寺から白山神社となったそうです。
平泉、と聞くと、どうしても中尊寺の方を連想しますが、今では平泉寺とは、地名のみが残っているとのこと。
神主さんは平泉さんというお名前だそうで、由緒の正しさを感じます。



資料館でひとしきりの説明を受けた後、お参りに上がります。
敷地内に入るまでに、かなり杉林の中の坂道を上がっていきましたが、社殿はさらに上にある様子。





苔むした石段の両脇には、青々としたみごとな苔の絨毯が広がり、脚の疲れを忘れます。
うっそうとした杉林から漏れる日光を浴びて、キラキラと輝く芝生。気持ちよさそう。
境内の苔は、京都の西芳寺と比類するほど有名なんだとか。





静寂が広がる、幽玄な雰囲気。ここでは七五三や結婚式は行われないそうです。
拝殿は、かつては三十三間拝殿と言われる国内最大のだったそうですが、兵火で焼失し、今は風雨にさらされた小ぶりの木造社殿でした。



見渡す限りの杉木立に囲まれ、満ち満ちた自然のパワーを感じます。
拝殿奥の寛政年間建立の本殿に参拝し、竜の木造彫刻の躍動感に目を奪われました。





石畳道を踏みしめながら歩きます。この石畳もすべて発掘されたものだそう。
プリミティブな自然に捧げる、人々の信仰の力を思います。



途方もない手間と年月がかかっていますが、その道の人にとってはワクワクする作業でしょう。
それにしても今回は足場の悪いところを歩くことが多く、(スニーカーでよかった)と思いました。



南谷の発掘現場は、休日ということもあり、無人ながらも作業途中の現場が見られました。
土塀と門が近々復元されるようです。



朽ち果ててなお自然に抱かれた幽玄な雰囲気に、京都の高山寺を連想しました。
あそこのように、ここも世界遺産に認定されればよいのですが。
ところで、福井の名所、東尋坊は、悪僧東尋坊を突き落とした場所ですが、彼はここの僧だったそうです。
手に負えない僧兵の中でも、どうしようもなかった悪玉で、もう、酔わせて突き落とすしかなかったんでしょうね。

お土産屋さんは天井に驚くほど太い梁の渡った、立派な古民家でした。



店先には、色鮮やかな唐辛子が干してありました。



「この辺りの家々に特徴的なのが、あのように白壁に桟を入れた建築です」と教えてもらいました。
たしかに、この界隈には昔ながらの大きな家々が立ち並び、あちこちでこうした壁を見かけます。



イギリス・チューダー様式の建築に似てるなあと思いました。
こんなおうちが故郷の実家だったら、すてきだわあ。

○ 勝山城・(越前大仏)



帰りに、巨大なお城を見つけました。
「あれは、地元のタクシー会社の社長が、故郷に錦を飾ろうと、私費で建てたものです」
「その話なら知っています。越前大仏を建立した人ですね?」
「そう、お寺は向こうの山麓に見えます」



お城もお寺も、目を引く巨大なものでした。
これはすごいわー。でも、見るからに、新しい出来合いさが感じられます。
ワタナベさんは「地元の人にはちょっと評判は…」と、あまり話題にしたくなさそうでした。
その気持ち、わかりますが、これはこれで話題スポット。
少なくとも創建中は、地元の雇用は潤ったわけですからね。

奈良の大仏よりも巨大な、日本最大17mの越前大仏は、お堂に入っていて、外からは見られませんでした。
ちょっと残念ー。

1-3へ続きます。


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