その1からの続きです。
三崎口から京急に乗り、浦賀へ向かいます。
バスからは、テトラポット堤防の上に立つ鴨居港西防波堤灯台(塔高9.4m)が見えました。

これから向かうのは、久しぶりの、大好きな観音埼ー。
ここは『ガリバー旅行記』のガリバーが日本に入港した場所。しかも、ゴジラまでここから日本上陸したという、知られざるファースト・ジャパンの地なんです。
子供の頃、父に連れられてきた時から、ずっとお気に入りの場所ですが、なかなかどうしてそう頻繁には来られていません。
最後に来たのがいつなのかも、もう思い出せないほど。たぶん10年以上前でしょう。
この前の5/5に車で通り過ぎた時には、恐ろしいほどの混雑ぶりを見て気が遠くなりそうでした。
今回も恐る恐る入園してみましたが、それほど人は多くありませんでした。
やはりあれはGWの異常事態だったのでしょう。
観音様もいないのに、なぜ観音埼というのかと気になっていたら、(の)さんが「さっき説明にありましたよ」と言いました。
人々を苦しめていた大蛇を、行基が倒して洞穴に祀り、そこに観音様も祀ったからだそうです。
その観音様は、この沖で入水して海を鎮めた日本武尊の妃の弟橘媛命を、十一面観音として刻んだものだとのこと。
つまり、観音様はオトタチバナヒメだったんですね。なんだかずいぶん大きな由来でした。
海沿いの遊歩道を散策します。いつも灯台へと続く階段を上るところをそのまま通り過ぎ、大きなカーブのところで(この辺りかな)と見当をつけて、身を乗り出して下を覗きました。
そうしたら、見つけました。探していたものを。

ギリシャの遺跡のような残骸が、波打ち際に転がっています。
これこそが、先代の観音埼灯台(塔高不明)。関東大震災で破壊されてしまったものです。
引き上げられもせず、そのまま波に浸食されるがままになっているという様子に、心揺さぶられます。
このままでいいの?いつか津波がさらっていってしまうかもしれないのに。
この打ち棄てられた感も、まさにギリシアっぽいです。ああ諸行無常、All in vain。
ここだけでなく、三浦半島の灯台は、関東大震災で軒並み倒壊してしまいました。
灯台守や関係者は、すっかり気落ちしたでしょうね。
その後、灯台は頑丈なコンクリになっていくのですが、震災前の華奢な灯台も見てみたかったものです。
さぞかし優美だったことでしょう。
数百年後には、今栄えている社会がこうなっているような気がして、クラクラします。
現役の灯台は三代目で、これは二代目。(の)さんは「一代目はどうなったんだろう?」としきりに気にしていました。

それから、素掘りのトンネルを通りました。これは迫力がありました。
補強されていない、暗い隧道。『ロード・オブ・ザ・リング』で「死者の道」に入っていくシーンを連想しました。

これが死者の道の入り口です。雰囲気、合っていませんか?フー、寒くなる~。
隣に、もう一つトンネルを埋めた跡があります。そちらもなんだったのか、どんな経緯があったのか、気になります。

ぐるっと回って、きれいにレンガ積みされた、第一砲台跡を通りました。
観音埼は、陸の要塞として台場が設けられていたため、そこかしこに自衛設備の遺跡が残されています。

現役の観音埼灯台(塔高15m)に行きました。初代は日本初の洋式灯台。
ここから、房総半島先の富津岬がとても近くに見えました。
その距離、なんとたったの6kmだそうです。以前は遠泳大会も行われていたんだとか。
灯台に至るまでの細道は、両側が岩の切り通しになっていて、「うわあ」とテンションが上がりました。
力士は通れなさそうな細い道が、大好きですー。

それから、東京湾海上交通センターの横を抜けて、うっそうと茂った照葉樹林の中をどんどん進みます。
途中、落盤の危険アリで通行禁止のトンネルがありました。
縄などで閉鎖していないため、その気になれば通り抜けられますが、暗闇の中に吸い込まれそう。
撮影するのもなんだか怖かったので、通行可のレンガのトンネルの方を撮りました。

戦没船員の碑に祈りを捧げてから、めがね橋へと差し掛かりました。
今回の旅に、私の好きな吊り橋はありません。せめてどこか橋を渡りたい!という私のリクエストです。
コンクリ製の、見るからに広くて頑丈な橋なので、期待はしていませんでしたが、橋の真ん中から下を見下ろした時に、息を呑みました。
予想だにしない光景が、橋の下に広がっていました。

橋は、思ったよりもずいぶん高い場所にありました。20-30mくらいでしょうか。
下はまっすぐの道路ですが、その道路の両側にそびえ立つのが、岩の切り通し。
一枚岩なのか、切断面の地層が斜めにくっきりと見えています。
先ほどの切り通しは目じゃないほどの迫力です。

「これは自然の道なのか、それとも何かの目的のために切り開いたのか、どっちなんだろう?」という(の)さんの問いに、答えられずに見渡すばかり。
説明が一切ないため、背景がわからず、謎に満ちています。
下の道路は、今は完全に使われておらず、反対側はすでに草が生い茂っていました。
若干地層好きの私にとって、魅力的な橋でした。
しかし、めがね橋という割には、皇居にあるようなめがねの形ではない、まったく普通のまっすぐな橋。
名前の由来も謎です。とにかくわからないことばかりでした。

あまりに気になったので、ぐるっと周って、橋の下から眺めてみました。
岩の断面にやはり圧倒されます。
このまま自然に埋もれるがままにしておくのは、なんだかもったいないですね。
なにか歴史的遺構ならば、整備して、ガイドコースに入れればいいのに。
団長に、歴史保存会的なアクションを起こしていただきたいものです。ダンチョー、よろしくねー!
少しずつ、日が陰ってきました。
そろそろ夕ぐれ時です。
観音埼京急ホテル沿いの、汐風が心地よいシーサイドボードウォークを通ってバスに乗り、走水海岸で降りました。
走水港の赤白防波堤灯台(塔高赤6.6m、白4.6m)が見えました。

最後の目的である、ヴェルニーの水を飲むためです。
走水には水源地があり、自由に飲むことができるようになっています。
私たちが訪れた時にも、たくさんのタンクに水を汲んでいる人たちがいました。
飲んでみると、軟らかいと感じます。軟水なんですね。(実は硬水だった)
ペットボトルに入れて、持ち帰りました。

再びバスに乗り、馬堀海岸まで行きます。
途中、バスは走水隧道の中を通ったので、ワクワクしました。
2つ続いています。湧水を造船所に引くために作られたんだそうです。
防衛大学校の制服姿の学生に見とれる(の)さんを引っ張って京急に乗り、横須賀に出て、やなせ本店で食事にしました。
ひれかつの老舗だけあって、本当にお箸で切れる、やわらかくジューシーなヒレカツ。
店内は、昔懐かしい昭和な雰囲気ながらも清潔感にあふれ、お肉を揚げるいい音が響いています。
正統派のおちついた美味しさを味わいました。

それから、ドブ板通りを少し散策しました。
もうすっかり暗くなっており、道を行き交うのは、ガタイのいい米兵さんばかり。
横須賀の夜は、NYのブロンクス並みに迫力あるわー。
ジャズクラブやバーはまさに本場アメリカといった大人の雰囲気でした。
駅に戻って快特に乗り、解散です。
この日歩いたのは、2万7千歩、10.9km。
何度も乗物を利用しましたが、ほぼタイムスケジュール通りに動けて、満足です。
あとでジェイク団長に、私たちの三浦パトロールはどうだったか、聞いてみなくっちゃ。
巡り、目にした灯台は、剱崎灯台、間口港灯台、三崎港の赤白防波堤灯台、城ケ島灯台、安房崎灯台、鴨居港西防波堤灯台、観音埼灯台(先代、当代)、走水港の赤白防波堤灯台と、細かく数えると11基になり、灯台ハントの目的も達成できて、満足です。
どの灯台も、海に映える瀟洒な姿がきれいでした。
今でこそ、灯台は全無人となり、LED化も進んでいますが、実際に訪れてみると、往年の灯台守のロマンがそこここに感じられて、ひたることができました。
思えよ~灯台守る人の~とうとき優しき~愛の心~♪
三崎口から京急に乗り、浦賀へ向かいます。
バスからは、テトラポット堤防の上に立つ鴨居港西防波堤灯台(塔高9.4m)が見えました。

これから向かうのは、久しぶりの、大好きな観音埼ー。
ここは『ガリバー旅行記』のガリバーが日本に入港した場所。しかも、ゴジラまでここから日本上陸したという、知られざるファースト・ジャパンの地なんです。
子供の頃、父に連れられてきた時から、ずっとお気に入りの場所ですが、なかなかどうしてそう頻繁には来られていません。
最後に来たのがいつなのかも、もう思い出せないほど。たぶん10年以上前でしょう。
この前の5/5に車で通り過ぎた時には、恐ろしいほどの混雑ぶりを見て気が遠くなりそうでした。
今回も恐る恐る入園してみましたが、それほど人は多くありませんでした。
やはりあれはGWの異常事態だったのでしょう。
観音様もいないのに、なぜ観音埼というのかと気になっていたら、(の)さんが「さっき説明にありましたよ」と言いました。
人々を苦しめていた大蛇を、行基が倒して洞穴に祀り、そこに観音様も祀ったからだそうです。
その観音様は、この沖で入水して海を鎮めた日本武尊の妃の弟橘媛命を、十一面観音として刻んだものだとのこと。
つまり、観音様はオトタチバナヒメだったんですね。なんだかずいぶん大きな由来でした。
海沿いの遊歩道を散策します。いつも灯台へと続く階段を上るところをそのまま通り過ぎ、大きなカーブのところで(この辺りかな)と見当をつけて、身を乗り出して下を覗きました。
そうしたら、見つけました。探していたものを。

ギリシャの遺跡のような残骸が、波打ち際に転がっています。
これこそが、先代の観音埼灯台(塔高不明)。関東大震災で破壊されてしまったものです。
引き上げられもせず、そのまま波に浸食されるがままになっているという様子に、心揺さぶられます。
このままでいいの?いつか津波がさらっていってしまうかもしれないのに。
この打ち棄てられた感も、まさにギリシアっぽいです。ああ諸行無常、All in vain。
ここだけでなく、三浦半島の灯台は、関東大震災で軒並み倒壊してしまいました。
灯台守や関係者は、すっかり気落ちしたでしょうね。
その後、灯台は頑丈なコンクリになっていくのですが、震災前の華奢な灯台も見てみたかったものです。
さぞかし優美だったことでしょう。
数百年後には、今栄えている社会がこうなっているような気がして、クラクラします。
現役の灯台は三代目で、これは二代目。(の)さんは「一代目はどうなったんだろう?」としきりに気にしていました。

それから、素掘りのトンネルを通りました。これは迫力がありました。
補強されていない、暗い隧道。『ロード・オブ・ザ・リング』で「死者の道」に入っていくシーンを連想しました。

これが死者の道の入り口です。雰囲気、合っていませんか?フー、寒くなる~。
隣に、もう一つトンネルを埋めた跡があります。そちらもなんだったのか、どんな経緯があったのか、気になります。

ぐるっと回って、きれいにレンガ積みされた、第一砲台跡を通りました。
観音埼は、陸の要塞として台場が設けられていたため、そこかしこに自衛設備の遺跡が残されています。

現役の観音埼灯台(塔高15m)に行きました。初代は日本初の洋式灯台。
ここから、房総半島先の富津岬がとても近くに見えました。
その距離、なんとたったの6kmだそうです。以前は遠泳大会も行われていたんだとか。
灯台に至るまでの細道は、両側が岩の切り通しになっていて、「うわあ」とテンションが上がりました。
力士は通れなさそうな細い道が、大好きですー。

それから、東京湾海上交通センターの横を抜けて、うっそうと茂った照葉樹林の中をどんどん進みます。
途中、落盤の危険アリで通行禁止のトンネルがありました。
縄などで閉鎖していないため、その気になれば通り抜けられますが、暗闇の中に吸い込まれそう。
撮影するのもなんだか怖かったので、通行可のレンガのトンネルの方を撮りました。

戦没船員の碑に祈りを捧げてから、めがね橋へと差し掛かりました。
今回の旅に、私の好きな吊り橋はありません。せめてどこか橋を渡りたい!という私のリクエストです。
コンクリ製の、見るからに広くて頑丈な橋なので、期待はしていませんでしたが、橋の真ん中から下を見下ろした時に、息を呑みました。
予想だにしない光景が、橋の下に広がっていました。

橋は、思ったよりもずいぶん高い場所にありました。20-30mくらいでしょうか。
下はまっすぐの道路ですが、その道路の両側にそびえ立つのが、岩の切り通し。
一枚岩なのか、切断面の地層が斜めにくっきりと見えています。
先ほどの切り通しは目じゃないほどの迫力です。

「これは自然の道なのか、それとも何かの目的のために切り開いたのか、どっちなんだろう?」という(の)さんの問いに、答えられずに見渡すばかり。
説明が一切ないため、背景がわからず、謎に満ちています。
下の道路は、今は完全に使われておらず、反対側はすでに草が生い茂っていました。
若干地層好きの私にとって、魅力的な橋でした。
しかし、めがね橋という割には、皇居にあるようなめがねの形ではない、まったく普通のまっすぐな橋。
名前の由来も謎です。とにかくわからないことばかりでした。

あまりに気になったので、ぐるっと周って、橋の下から眺めてみました。
岩の断面にやはり圧倒されます。
このまま自然に埋もれるがままにしておくのは、なんだかもったいないですね。
なにか歴史的遺構ならば、整備して、ガイドコースに入れればいいのに。
団長に、歴史保存会的なアクションを起こしていただきたいものです。ダンチョー、よろしくねー!
少しずつ、日が陰ってきました。
そろそろ夕ぐれ時です。
観音埼京急ホテル沿いの、汐風が心地よいシーサイドボードウォークを通ってバスに乗り、走水海岸で降りました。
走水港の赤白防波堤灯台(塔高赤6.6m、白4.6m)が見えました。

最後の目的である、ヴェルニーの水を飲むためです。
走水には水源地があり、自由に飲むことができるようになっています。
私たちが訪れた時にも、たくさんのタンクに水を汲んでいる人たちがいました。
飲んでみると、軟らかいと感じます。軟水なんですね。(実は硬水だった)
ペットボトルに入れて、持ち帰りました。

再びバスに乗り、馬堀海岸まで行きます。
途中、バスは走水隧道の中を通ったので、ワクワクしました。
2つ続いています。湧水を造船所に引くために作られたんだそうです。
防衛大学校の制服姿の学生に見とれる(の)さんを引っ張って京急に乗り、横須賀に出て、やなせ本店で食事にしました。
ひれかつの老舗だけあって、本当にお箸で切れる、やわらかくジューシーなヒレカツ。
店内は、昔懐かしい昭和な雰囲気ながらも清潔感にあふれ、お肉を揚げるいい音が響いています。
正統派のおちついた美味しさを味わいました。

それから、ドブ板通りを少し散策しました。
もうすっかり暗くなっており、道を行き交うのは、ガタイのいい米兵さんばかり。
横須賀の夜は、NYのブロンクス並みに迫力あるわー。
ジャズクラブやバーはまさに本場アメリカといった大人の雰囲気でした。
駅に戻って快特に乗り、解散です。
この日歩いたのは、2万7千歩、10.9km。
何度も乗物を利用しましたが、ほぼタイムスケジュール通りに動けて、満足です。
あとでジェイク団長に、私たちの三浦パトロールはどうだったか、聞いてみなくっちゃ。
巡り、目にした灯台は、剱崎灯台、間口港灯台、三崎港の赤白防波堤灯台、城ケ島灯台、安房崎灯台、鴨居港西防波堤灯台、観音埼灯台(先代、当代)、走水港の赤白防波堤灯台と、細かく数えると11基になり、灯台ハントの目的も達成できて、満足です。
どの灯台も、海に映える瀟洒な姿がきれいでした。
今でこそ、灯台は全無人となり、LED化も進んでいますが、実際に訪れてみると、往年の灯台守のロマンがそこここに感じられて、ひたることができました。
思えよ~灯台守る人の~とうとき優しき~愛の心~♪
灯台の旅でしたら今度は燈明堂も是非。 ここもネタが沢山落ちてますよ。
それと走水は、実は高度110以上のやや硬水なんです。 アクアパッツァなどの魚料理に使うとグーですよ。
次はウェストコーストですね。
燈明堂は、はじめちゃんとリストに入れていたんです。
ただ、駅から近そうなのに、バスが1時間に1本しかないというアクセスの悪さに、観音崎散策時間が減ってしまうと、あきらめてしまいました。
それに、地学の先生から、あそこはちょっとコワイ場所だと聞いたので・・・ぶるぶる。
この前団長と、遠目に眺められたので、良しとしました(^_^)
なんと、硬水でしたか!プチコントレックスなんですねー。また飲んでみなくっちゃ。
楽しい一日でしたー。三浦半島、大好き♪