怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

庭仕事本格化

2017年04月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
ここ連日、義両親たちは庭仕事に集中している。
 
伸びすぎた木を切っている。

切り落とした枝、葉、木部は専用破棄場所へ車で運ぶか、暖炉の燃料となる。

彼らは緊張感を持ってこの家事をしている。(金にならないので「家事」とした)
危険が伴う作業だ。たびたび怒鳴りあっている。
とても私は手伝う気になれない。恐ろしい。

言い返す技術と勇気

2017年04月06日 | カテゴリー分けするのに飽き
「そういう時は言い返さなければならないのよ」
バルカン半島出身のA子さんは私を熱心に説得し始めた。
世の中にはどこでも相手を面と向かって誹謗中傷する人物がいるものだ。多くの場合、私はその人との穏便な関係維持のために聞き流して黙っている。
A子さんはそんな私を激励しつづけた。
「そういう人たちはますます付け上りますから」

バスの運転手との口論を記事にしたことがあったな。「運転手と言い争う」
こうした浅い関係では後のことを考えなくていいからむしろ言い争い易いのではないか。
職場や学校、各種のグループなどで毎日、定期的に顔を合わせる人とはなかなか難しい。

私の最近の経験。
縫い物コースの指導者のB子さんだった。
ずばずばとはっきり本音を言うさっぱりした人、と書けば印象はいい。しかし、ちょいと機嫌が悪くなると、たちどころにその気分の悪さを私にぶつけていたものだからたまらなかった。
最後はこれだった。
街のイベントのために朝早くグループの仲間と集合することになっていた。私はバスの運行時間の関係上、うんと早くかうんと遅くしか来れない事をB子さんに言った。
「では、うんと早く来て、ウチで一緒に朝食にしましょう」と彼女は提案してくれた。
当日、約束どおり、朝早く土産のワインを持参で彼女の家に到着した。
その日の準備をしながら話していると、忙しさのストレスのためか、彼女はだんだんイライラしてきているのが明確になってきた。すると・・・
「朝食に人を招くなんて初めてだわ!こんな迷惑なことやっていられない!」
と言った。
何度もこのような急な気分の変化の発言を体験しているので「ああ、またかよ」としか思えなかった私。
黙って朝食を平らげた。
数時間後にはB子さんの機嫌は直ったが、私はすでに彼女の性格についていくことができないと悟り、縫い物コース出席を諦めた。

A子さんの言うとおりに、理不尽なことを言ったB子さんにすぐ言い返して、彼女の発言が私を傷つけているのを伝えていれば、B子さんは自分の言動に注意する機会を得たかもしれない。
言い争っていれば、私はもっとB子さんのその奔放な性格を理解して縫い物コースに今でも行き続けていたかもしれない。
日本の日本人にはなかなか理解しがたいことなのだが、こちらでは激しく言い争いをしても、そのテーマが終わると、ころっと普通に会話することなど日常茶飯事なのだ。
黙っていたら損することが多い。

先週、スーパーでばったりとB子さんに出会った。
私はちょいと躊躇したけれど、お互いにこやかに近況報告をした。
「ああ、りすさん、こんなに痩せちゃって。またコースに来て気分転換しなさい」
心の底からの歓迎振りを披露してくれた。(もう、行かないけれどね。彼女の家には訪問しようかなっ)

週末、近所のティーンエイジャーの女の子たちがウチに金魚をもらいに来た。

つい数年前までのちっちゃい小学生だったのが、義父の背丈をはるかに越えて成長していた。
ああ、いつまでも進歩がない私かも、と彼らの身体つきを観察して、自分のここでの精神の成長振りを振り返ってしまった。



まだまだ知らないドイツ

2017年04月05日 | カテゴリー分けするのに飽き
どこのスーパーでも売られているチーズ。

ウチでは基本的に義母が選ぶ食材しか食べない。義母の選択肢にこの製品は含まれない。
そういうわけで、私は数週間前の外出時にやっとこれを口にする機会があった。
ビニールの包みを開けると、赤いチーズが。
いや、はがすための白い部分が見えるのでこれを引っ張るんだな。

うふふ、チーズが出てきたぞ。

味は日本でよく売られているチーズと似ていて、懐かしくさえ感じた。


さて、実を言うと、初めてこれを食べたとき、この赤い部分も食べてしまったんだ!
誰かと一緒に食べれば、その部分が食品でないことをすぐ知ることができたはずだ。
新しい物事や食べ物が大好きな私だ。始める前にはちょいと注意を払うことを自分に諭したものだ。

まだまだドイツの知らない物事が多い。
新たにここに住む日本人在住者たちに質問を受けても、大抵答えられない私だもの。




どこでも住める気合

2017年04月05日 | カテゴリー分けするのに飽き
街の集合住宅のごみ収集所の様子に驚いて撮影してしまった。

郊外では見られない乱雑ぶりだ。
日頃からもっと便利な街中の集合住宅に住みたい、と思っている私なのに、これを見たらちょいと考えてしまった。
やはり田舎のほうがいいかな・・・

いやいや、そんなことではダメだ。
ゴミの山を見ても平気にならなくてはいけない。
だいたい、普段見慣れないものだからたまに遭遇するとびっくりするのだろう。
この光景が日常になれば、なんとも思わなくなるはずだ。

ドイツのどこでも、いや、世界のどこに住むことになっても果敢に挑戦していこう。
そんな気概でいることにしよう・・・
義両親との同居なんて、へいっちゃらーっ
とか書いてみたりして、きゃぁぁああ。


日本人難民

2017年04月04日 | カテゴリー分けするのに飽き
図書館の子供書籍でこんな本があった。
タイトルは「到着しました!」。四人の子供たちがドイツに移住してからの一年の様子を描いたものだ。

裏表紙をちらりと読んでぎょっとした。「Fukushima」という語を見つけたから。

ゆなちゃんは福島から引っ越してきてデュッセルドルフに住んでいるそうな。

他の三人はシリア、エジプト、コソボからだ。どの国も政情不安定か貧しいか、あるいは更なる高収入を求めてドイツ移住を希望する人々が多い国だ。
そのなかに日本人が取り上げられているのはちょいと嫌な気持ちにならざるを得ない。

とにかく、借りて読んでみた。
著者はドイツ人のようだ。ハンナ・ショット
驚いたことに、かなり正確に日本人の特質などが表現されていた。綿密な取材をしたのだろうか。
西洋人の勝手な想像の日本人像、ではない内容で感心した。

ゆなちゃんは原子力発電所の事故のせいで、両親とドイツに移住してきたらしい。
実在の人物なのだろうか。著者の想像なのか。事故後しばらく外国に避難している人々がいて、私の住まい周辺でもそういう日本人家庭があったと記憶している。
この本の内容では、一時避難ではない。
福島ではレストランを経営していた料理人のお父さんで、ドイツ入国してから早速仕事探しをしていたようだ。
ドイツ人配偶者でもなく、企業で採用が決まっているわけでもない人が外国入国後すぐに労働許可が下りるのは難しい。
一年後、彼は料理人として採用が決まった。
その一年間、この一家はどういう滞在許可で暮していたのかしら、などと突っ込みどころ満載・・・とか書いてみたりして。
もしかして、福島事故難民枠のようなものがあったのだろうか?
っていうか、この話、フィクション?ノンフィクション?

挿絵も素晴らしい。
ゆなちゃんが「リス」のドイツ語がとても発音が難しい、と言っている場面があり、そこの描かれているリスの挿絵は日本の漫画風。
フォルカー・コンラートさん、もしかして、日本漫画ファン?
日本人にとってぎょっとするのは、今上天皇のスーツ姿挿絵が入っていることだ。
特徴がよく捉えられて上手なのだが、日本人の感覚では現在活躍している天皇や天皇一家のイラストや漫画の存在はあってはならない、というものがある。(わたしだけ?私は特に天皇ファンではないの。一般的な感覚を持っていると思う)
その頭の部分に解説が入っている。「天皇は王冠を被らない」
それって、欧州の男性王族たちも式典以外は被らないでは?特に背広だと合わないし。

このように、子供向きの本だけれど、とても興味深い部分があって、読んでみてよかった。
ドイツ語中級者に楽に読めるドイツ語で書かれている。
日本で手に入れることができるかしら?ドイツにお住まいの方々には是非一読をお勧めしたい。



イスラム教徒の訪問客

2017年04月04日 | カテゴリー分けするのに飽き
一年に1,2度定期的に招かれているイスラム教徒のホームパーティ。
奥さんはマレー系マレーシア人、旦那さんはドイツ人で、婚姻のためにイスラム教徒に改宗、とても熱心な信者だ。

食卓にはマレー料理。何気に肉料理が多い。そういえば、イスラム教徒のベジタリアンってまだ遭遇したことがないが、いるのだろうか。ドイツでは菜食主義が大流行だもの。

真ん中の黄色いものはターメリックで色付けした長粒種のもち米だ。おいしい。緑色のものはココナッツを甘くして色づけしたもの。黄色いご飯を甘くして食べたい場合に添えるのだそう。
私はスプーンとフォークを使って食べたが、他のほとんどの人たちはインドのように指を使って食べていた。
今回の招待客の中に、エリトリア人男性がいた。エリトリア人とは数年前に結構親しくしていたが、その時の彼らはみな、キリスト教徒だった。イスラム教徒もいると聴いていたが、この日に初めて出会った。
いつもそうなのだが、招待客の中で異教徒は私一人。個人的には異教徒に寛容なイスラム教徒であることを認識させられる。

デザートはいつもチョコレートケーキ。毎回腕を上げている。おいしい。

帰りがけに米をもらった。ここで売られているバスマティ米のなかでは最高級とも言えるティルダというメーカーの品だ。パッケージも高級品らしく華々しくて好きだ。
嬉しい。

日本在住のときは、インディカ米は日本米より安いもの、という勝手な固定観念があった。
インディカ米のなかでもバスマティ米は高い場合が多い。この品は5キロで3000円近くする。
日本の日本米と同じくらいだろうか。私はとてもこの品を買うことはできないぞっ。貧乏人は米さえ下級品を食らう~

さて、夕方五時を過ぎ、お祈りを済ませた彼らが帰宅し始めた。
「りすさん、ちょっと待ってね、送っていきます」
とこの家の夫婦が車でウチまで送ってくれることを提案してくれた。

ちょいと考えた。
ウチまで送ってもらって、そのままではまずいだろう。
家にちょいと入ってもらって、夫や義両親を紹介するのがいいだろう。
夫人は24時間365日ずっと頭巾をしているような人だ。ウチの夫、義両親たちはしばしばドイツ在住の頭巾女性を批難する人々だ。
うーん。

ウチの玄関まで送ってもらって、すぐに帰ろうとする彼らを明るく引き止めた。
「せめて、庭を見ていってください」
池の金魚を見せていると、サンルームで編み物をしていた義母がやってきた。
きわめて普通に、自己紹介や住まいの場所、金魚の話などになった。
ああ!よかったぁ~

後から「イスラム教徒と付き合うな」などと言われたらどうしよう、とも心配していたけれど、それもなかった。
うわべだけでも、キリスト教徒とイスラム教徒が仲良く暮す国になってね、ドイツ!



広告を理解する

2017年04月02日 | カテゴリー分けするのに飽き
街中のこの広告に私は慌てた。
「洗車をすると命が危ない」という意味が大きく書かれていて、下のほうに大腸がん検診を勧める記述がある。

私は、そのまま意味を受取り、洗車すること自体が病気につながるものなのかと思ってしまったのだ。
身内に大腸がんを患った者がいるので、敏感になっているのだろう。
でも、なんだかおかしい、と思い、大学でドイツ語を専門に勉強した在独日本人仲間E子さんに尋ねてみた。
「車の手入れに夢中になって、自分の健康に気を遣わないことを警告しているのよ!」
と、軽く答えてくれた。
うっほー。
彼女の答えを聞いた後、街中には「買い物をすると命が危ない」という意味の同じがん検診広告を見た。
これはいくらなんでも私でもすぐにわかった!

マクドナルドの広告。
「マスターベーションは盲目にする」
その下に小さく「聞いたことをすべて信じてはいけない」とある。

この広告の前で何分間か考えた。
一番下のマクドナルドのURLに「真実」という言葉が入っていた。
もしかして、ドイツでも「マックのハンバーガーはミミズ肉」という噂でもあるのか、と想像した。
家に帰って早速、そのサイトを見てみた。
やはり、あるようだ。フィレオフィッシュには魚肉が使われていない、とかフライドポテトは木屑からできているとか。
どこの国でも同じようなことが起こるのねぇ、となんだか感心してしまった。
マクドナルドの成功振りを妬んでこんな噂ができてしまうのだろうか。
人の心理はなかなか面白い・・・と結論付けた。

っていうか、広告さえすぐに理解できない私。
この先もここでやっていけるのか不安になってくるぞ。
文盲の難民も立派にここで生きているのだから、大丈夫。広告を読もうとするだけでも偉いじゃあないか、と自分を褒めてみる。


71歳の脚線美

2017年04月02日 | カテゴリー分けするのに飽き
マレーシアの天空の鏡、とされている場所での撮影だそうだ。

「マレーシア在住の母と呼んで!」と言われ続けて約20年友だち関係のS子さんは今年71歳。
上の写真では一番右で跳ねている。凄い。

「私の脚は大根よ」
と謙遜しているが、71歳で堂々と脚を出して撮影させるのは自信があるからだろう。
マレーシア国籍を取得しているのでマレーシア人だが、日本生まれの日本人。山形弁アクセントの日本語を話す。

一緒の女性たちは中国系マレーシア人。
年齢はS子さんと同じ70歳代とは思えない。一般的に日本以外の国では、違う年代と一緒に行動することが非常に多いように思える。
彼女らの脚も、細いわけではないが均整の取れたまっすぐな脚だ。

暖かい地域で長年暮すと、こんな風に明るく開放的になるのだろうなぁ、とうらやましく思う。
脚のまっすぐさ、姿勢のよさは日本以外の国に数年住むと身に付けることができる。
私も70歳代で脚を撮影できるように、日頃から鍛えることを改めて決心した。


干渉したい義母

2017年04月01日 | カテゴリー分けするのに飽き
昼食の献立。焼きソーセージ、ザウアークラウトを甘酸っぱく煮たもの。
 
夫の主食のパスタ、義両親たちの主食、焼きじゃがいも。(日本で言うジャーマンポテトかな!)私は黒米入り米飯。
 
止せば良いのに、義母は息子に言った。
「このおかずにはジャガイモの方が合います、少しとりなさい」
「もっとキャベツ煮物を食べなさい」
一週間に1,2度しか食卓を一緒にしない息子のために、あれこれ気を遣いたい気持ちはわかる。
義父まで耐えかねて義母に忠告した。
「食べたいように食べさせてやりなさい」
私もこの意見に賛成だ。しかし、私まで義母に言ってはいけない。寄生者はおとなしく、ね。
「ほら、外の鳥さえ、自分の食べたいものを選んでついばんでいるじゃあないか」
と、さらに義父は台所の窓のすぐそこに設置されたエサ台にやってくる鳥たちを指差して言った。

また、残り物が出ないよう義母は食え食え攻撃を重ねる。
義母自身はほんのちょっとしか食べないのに、私たちにはもっと食べろ、とうるさい。
家族が飢えないようにするのは一家の主婦の務めと無意識に義務を果たしているのだろうが、この食糧有り余っているドイツではあまり説得力がない。
残念なことに、ソーセージも煮物も夫と私の嫌いな献立だ。
少しだけ食べて、後から自分たちの好きなものを口にしようと企むくらいは許して欲しい。




貧乏暇なし

2017年04月01日 | カテゴリー分けするのに飽き
在独日本人仲間らくだのせなかさんが一家でテネリフェ島へ休暇旅行に行っている。
単純に、うらやましい。
らくだのせなかさん一家だけでなく、多くのドイツで生活している家庭は年に1,2度、二週間から三週間の休暇旅行をする。
例外はどこにでもあって、我家がそうだ。
義両親たちは、子供たちが小さい頃も、夏場の庭仕事の忙しさを理由にほとんど長期の休暇旅行へ行かなかったそうだ。
その息子、私の夫は庭仕事はしないが、日々の生活の糧を得るため激しく労働していて、時には週末にも事務所へ行っている。
「わたしたちは今後の人生、休暇旅行はないと思ってください」と夫は私に宣言した。
貧乏暇無し、の言葉そのものだ。
とりあえず、義両親の家に寄生しているので寝る場所と食べることは格安で手に入れている。
こんな生活ぶりなので、休暇旅行などもってのほかだろう。私も、夫の長時間労働ぶりを理解し、旅行に行きたいなど言い出さないようにしてきた。そうしたら、本当に旅行自体が面倒に思えるようになってきたぞ。
でもね、親しい人たちが南の島に遊びに行くという報告を聴くと、平静でいられなく動揺してしまうのも事実。

そんな私の気持ちを察してか(一般的に男性は人の気持ちを察することが不得意で、夫もそうだ)夫はときどきホテルの朝食バイキングに連れて行ってくれる。
なぜ朝食バイキングかというと、比較的低料金で思いっきり食べることができるから。
夫は痩せているのに量を食べるので、普通の外食の一人前では足りない。外食時はほとんど食べ放題を選ぶ。
ホテルの朝食を選ぶのは、ホテルという休暇旅行の雰囲気を味わえる場所だからだろう。
そのホテル、ウチの近くなんだけれど。涙。

前夜から食事を控え、さあ、開始。

私はドライフルーツやサラダから始めた。夫はパン。
 
もちろん、そのほかいろいろな物を食べた。
厚ぼったい食器だな、と何気に裏をチェックすると、人気のメーカーだった。

ドイツではホテルなどでよく使われていると日本のサイトにあった。その通りだ。
値段は安くない。(ある物資の安い、高いは個人の感覚で全然違うので、正確に書くと「私の生活感覚では安くない」だな!)
三ツ星ホテルだけれど、食器は値段をするものを使っているのだな。うむ。
ときどきの贅沢、ホテルの朝食。
貧乏暇無しの人々にお勧めしたい。