新聞である大学教授が、
秋篠宮家の長女・眞子さんが、出会いについて問われた時西暦で答えたこと
国会の答弁で西暦を使う者がいる
のを嘆いたとの記事を読んだ。
「なぜ、西暦というキリスト教の暦に合わせる必要があるのか。
我々は生きている時間を、元号によって、天皇の存在と連動して考えてきた。
それを失われれば、日本人のあり方そのものが変質しかねない」
との言い分らしい。
この記事を読んで率直に思ったのは、いまだにこのような保守的?な学者がいるのだなということ。
良きにつけ悪しきにつけ、日本はたくさんのものを外国から教えを受け工夫してきた。
漢字・貨幣・陶磁器・鉄砲・天文学・アラビア数字・物理学・化学・政治等々枚挙にいとまがない。
ほとんど全てにおいて影響を受けたといっても過言ではない。
それと暦とは全く別の問題だというのは、あまりにも手前勝手な話だ。
以前、故金田一春彦先生の講演を聞きに行った時のことを思い出した。
「ら抜き言葉はもう市民権を得ていると自分では思っているが、他の先生は認めない。
私は、言葉は時代と共に変わっていくのが当たり前だと思っている」
という趣旨の内容だった。
変革しないものに進歩はないと思う。
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