【北海道初上陸の日本全国御朱印ロードツアー】北海道開拓の祖、北海道神宮を参拝!締めは山形県へ新幹線でGO!
函館から特急で、3時間半で札幌駅に到着。
其の足で、地下鉄で「彩未」を訪れまして、その後。地下鉄を乗り継いで、円山公園の北海道神宮へ。
【北海道神宮の解説】
明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。
約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。
その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。
約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。
緑豊かな円山公園。
山形駅からすぐの、「歌懸稲荷神社」。
当社は元和4年(1618年・江戸前期)に、前身であられた五佛山吉祥院という寺院が、神仏習合によって京都伏見より勧進されたお稲荷様をお祀りしたことから「歌懸稻荷神社」がご鎮座されるようになりました。当時は山形城下・稲荷口(現在の山形駅付近)にご鎮座なされていた寺院。お参りに来られた方々は歌を奉納するという習慣がございました。なぜなら、付近には歌を読まなければ渡ることが許されない橋があったからです。
さて日本全国御朱印ロードツアー、大人の休日倶楽部編。
今年も体力の限界に挑戦。
移動距離も半端なかったですね。
長野県一東京、1往復。
北海道、函館、札幌、東京、1往復。
山形県ー東京、1往復。
今回は梅雨の時期で、雨にドンピシャやられました。
その代わり、非常にお得に東日本を回れました。
この体験をもとに、またまた旅のツアーを企画したいと思います。