
2008年7月31日の朝、私は単身、東海道新幹線に飛び乗りました。
向かうは静岡駅経由で清水。
叔母さんの告別式に参列する為です。
カミサンとタッキーは既に清水入りしていまして、前日に行われたお通夜にも参列しました。
叔母さんとの一番の思い出は、3年ほど前の2005年のお正月に家族旅行で台湾にいっしょに行った時の事。
気持ちが若くて、エネルギッシュで、明るく、太陽みたいな叔母さん、あの時は本当にお元気でした。
叔母さんが体の異変に気がついたのが、今から2年前の孫達の運動会での事。
顔色のすぐれない叔母さんに、
子供たちが「どうかしたの?」
叔母さん「最近、食欲が無くてねえ」
子供たち「じゃあ今度病院に行って診てもらえば」
叔母さん「そうだね、そうするよ」
そしてその後病院に行って診てもらい、診断の結果は「すい臓がんの末期」。
すぐに入院して、それから2年間は癌との壮絶な闘いでした。
抗がん剤治療や、放射線治療。
すい臓がんは、癌の中でも一番治療が難しく、一番苦痛な癌なんだそうです。
家族や親戚のみんなが、「奇跡」を信じました。
必ず元気になって退院して、また一緒に遊びたい、そんな一途な願いでした。
なんとか入院して、2度目の春を越した頃、
医師からは、「余命1ヶ月」の宣告。
叔父さんは愛する妻のために、自分が代表を務める会社を1ヶ月間休んで、病院に寝泊りして、必死に叔母さんを看病しました。
私たちはみんな、「キセキ」を信じました。
キ・セ・キ・を・・・
ですが、
2008年7月27日、叔母さんは天国に旅立たれました、享年64歳。
7月31日、すすり泣きがあちらこちらから聞こえる告別式の会場で、
私も涙が止まりません。
きっと叔母さんは、
「輝ちゃん(=私)、
〇〇ちゃん(=カミサンの本名)と、
〇〇君(=タッキー)の事、頼むね。」
きっとそんな風に言ってくれていると思います。
だから私は、「叔母さん、天国に行っても元気でね。ぼくはこっちでガンバルよ!」
おしまい
向かうは静岡駅経由で清水。
叔母さんの告別式に参列する為です。
カミサンとタッキーは既に清水入りしていまして、前日に行われたお通夜にも参列しました。
叔母さんとの一番の思い出は、3年ほど前の2005年のお正月に家族旅行で台湾にいっしょに行った時の事。
気持ちが若くて、エネルギッシュで、明るく、太陽みたいな叔母さん、あの時は本当にお元気でした。
叔母さんが体の異変に気がついたのが、今から2年前の孫達の運動会での事。
顔色のすぐれない叔母さんに、
子供たちが「どうかしたの?」
叔母さん「最近、食欲が無くてねえ」
子供たち「じゃあ今度病院に行って診てもらえば」
叔母さん「そうだね、そうするよ」
そしてその後病院に行って診てもらい、診断の結果は「すい臓がんの末期」。
すぐに入院して、それから2年間は癌との壮絶な闘いでした。
抗がん剤治療や、放射線治療。
すい臓がんは、癌の中でも一番治療が難しく、一番苦痛な癌なんだそうです。
家族や親戚のみんなが、「奇跡」を信じました。
必ず元気になって退院して、また一緒に遊びたい、そんな一途な願いでした。
なんとか入院して、2度目の春を越した頃、
医師からは、「余命1ヶ月」の宣告。
叔父さんは愛する妻のために、自分が代表を務める会社を1ヶ月間休んで、病院に寝泊りして、必死に叔母さんを看病しました。
私たちはみんな、「キセキ」を信じました。
キ・セ・キ・を・・・
ですが、
2008年7月27日、叔母さんは天国に旅立たれました、享年64歳。
7月31日、すすり泣きがあちらこちらから聞こえる告別式の会場で、
私も涙が止まりません。
きっと叔母さんは、
「輝ちゃん(=私)、
〇〇ちゃん(=カミサンの本名)と、
〇〇君(=タッキー)の事、頼むね。」
きっとそんな風に言ってくれていると思います。
だから私は、「叔母さん、天国に行っても元気でね。ぼくはこっちでガンバルよ!」
おしまい
ネオンが大好きで、楽しいことが大好きなみつ子さんの分までみんなでニコニコ生きていこうね。
お姉ちゃんと、タッキーによろしく。
コメントありがとうございます。
14日は叔母さんの49日ですね。
カミサンが行きますので、宜しくです。