2012年9月17日の日本経済新聞、春秋より~
古びた赤レンガ駅舎は取り壊してしまい、
高層ビルに改築しよう。
首都の顔である東京駅をめぐり、
そんな構想が浮上したのは第二次大戦後、間もなくだったそうだ。
壮麗なドームは空爆で焼け、木造の骨で仮屋根を造り、
駅としての役目をなんとか果たしていた頃だ。
新幹線の開業もにらみ、1950年代の後半には24階建ての建物の完成予想図も公開されている。
実現すれば、日本の超高層ビルの第一号は霞が関ビルではなく、
東京駅になっていたかもしれない。
その後、石油危機などを経て、文化や歴史、景観という物差しが重みを増していく。
改築から保存復元へ、天秤は傾いた。
2年後に100歳を迎える赤レンガ駅舎で、
当初の姿を取り戻す復元工事が来月(10月)終わる。
文人たちが愛したステーションホテルも営業を再開する。
空襲や高層ビル計画だけでなく、地下に大規模なホームを増設する工事の為、
駅舎を半分取り壊す案が検討された時代もあるという。
幾多の危機を乗り越えての復活劇だ。
外観の覆いがほぼ消え、
威容を背に写真を撮る人も増えた。
開業した1914年は日露戦争の勝利から9年後。
欧米に並んだぞ、
との国威を示す狙いも巨大駅にはあった。
戦後の超高層ビル案からは、
戦後復興を世界に見せつける心意気が伝わる。
新生赤レンガ駅舎は将来、
どんな時代の象徴として記憶されるだろうか。