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菜には2001年9月のオープン間もない頃から菜の定休日以外は、雨の日も、台風の日も、そして雪の日も、毎日菜のラーメンを召し上がる常連さんがいらっしゃいました。その方は本業の他に少年野球チームの監督さんをやっていた事から、私達は「監督さん」とお呼びしておりました。
私も何度か監督さんを菜でお見かけしました。ある時はお一人で、またある時はご家族で、そしてまたある時は少年野球のちびっ子達を従えてご自分のポケットマネーで、菜の美味しいラーメンをみんなにご馳走していらっしゃいました。監督さんはご家族や、ちびっ子や、菜のラーメンをこよなく愛された、私達にとって尊敬すべき「市川市民」でいらっしゃいました。
そんな監督さんの訃報を、私は菜のご主人から聞きました。
菜には「伝説の常連さんがいたんだ!」その事を皆さんにお伝えしたくて、私は当時を懐かしみながら「菜、伝説の常連さん」というタイトルの監督さんの記事を書きました。そして残されたご家族にご相談せずにその記事をHPラーメン・ミュージアムにアップしました。するとその記事は菜ファンの皆さんに、驚きと感動の言葉で迎えられました。
「そんな伝説の常連さんが菜にいたなんて今まで知らなかった。」
しかし反響が大きくなればなるほど、逆にご家族にご相談せずにHPにアップした罪悪感に私は悩み苦しみました。しかしご家族の方と接する機会のない私には、なすすべがありませんでした。
ですがある時、偶然HPを見た監督さんのご親戚の方がご家族にその事実を伝え、奥様と息子さんも私の記事を読んで下さり、大変喜んでいたというお話しを菜で耳にしました。私はその時にほんと、罪悪感から開放されました。月日は流れ、ある時菜のご主人から、監督さんの奥様からのご伝言という形で、「夫の事を記事にして下さり、大変ありがとうございました。ただ亡くなった人間ですので、いつまでも掲載したままというのも如何なものでしょうか。そろそろ掲載を止めていただく事は出来ないでしょうか」というご依頼を頂戴しまして、すぐに掲載を終了しました。
そして更に月日は流れ、今週になって突然、ミクシイの中で監督さんの息子さんから一通の電子メールが届きました。内容は掲載を終了した「伝説の常連さん」の記事をもう一度読んで見たいので、記事を送って欲しいという事と、ぜひ私に会いたいという内容でした。
もう監督さんのご家族の方には一生お会い出来ないのではないかと思っていた私にとって、それは大変な朗報でした。すぐにスケジュールを調整し、待ち合わせの「魂麺まつい@本八幡」に向かいました。先に待ち合わせの時間前に到着。息子さんは菜で以前お見かけした時と面影が全く変っていませんでしたので、私はすぐにわかりました。
「感動の再会」
監督さんの生前のお話などで時間の経つのも忘れて、2次会は居酒屋「あじたろう」で語り明かしました。そういった意味ではミクシイにも感謝ですね。
私も何度か監督さんを菜でお見かけしました。ある時はお一人で、またある時はご家族で、そしてまたある時は少年野球のちびっ子達を従えてご自分のポケットマネーで、菜の美味しいラーメンをみんなにご馳走していらっしゃいました。監督さんはご家族や、ちびっ子や、菜のラーメンをこよなく愛された、私達にとって尊敬すべき「市川市民」でいらっしゃいました。
そんな監督さんの訃報を、私は菜のご主人から聞きました。
菜には「伝説の常連さんがいたんだ!」その事を皆さんにお伝えしたくて、私は当時を懐かしみながら「菜、伝説の常連さん」というタイトルの監督さんの記事を書きました。そして残されたご家族にご相談せずにその記事をHPラーメン・ミュージアムにアップしました。するとその記事は菜ファンの皆さんに、驚きと感動の言葉で迎えられました。
「そんな伝説の常連さんが菜にいたなんて今まで知らなかった。」
しかし反響が大きくなればなるほど、逆にご家族にご相談せずにHPにアップした罪悪感に私は悩み苦しみました。しかしご家族の方と接する機会のない私には、なすすべがありませんでした。
ですがある時、偶然HPを見た監督さんのご親戚の方がご家族にその事実を伝え、奥様と息子さんも私の記事を読んで下さり、大変喜んでいたというお話しを菜で耳にしました。私はその時にほんと、罪悪感から開放されました。月日は流れ、ある時菜のご主人から、監督さんの奥様からのご伝言という形で、「夫の事を記事にして下さり、大変ありがとうございました。ただ亡くなった人間ですので、いつまでも掲載したままというのも如何なものでしょうか。そろそろ掲載を止めていただく事は出来ないでしょうか」というご依頼を頂戴しまして、すぐに掲載を終了しました。
そして更に月日は流れ、今週になって突然、ミクシイの中で監督さんの息子さんから一通の電子メールが届きました。内容は掲載を終了した「伝説の常連さん」の記事をもう一度読んで見たいので、記事を送って欲しいという事と、ぜひ私に会いたいという内容でした。
もう監督さんのご家族の方には一生お会い出来ないのではないかと思っていた私にとって、それは大変な朗報でした。すぐにスケジュールを調整し、待ち合わせの「魂麺まつい@本八幡」に向かいました。先に待ち合わせの時間前に到着。息子さんは菜で以前お見かけした時と面影が全く変っていませんでしたので、私はすぐにわかりました。
「感動の再会」
監督さんの生前のお話などで時間の経つのも忘れて、2次会は居酒屋「あじたろう」で語り明かしました。そういった意味ではミクシイにも感謝ですね。