食物や残飯を整理してネズミがアクセスできないようにしたら現れなくなった、と油断して洗面所の石鹸をかじられたのは数日前の事だが、それ以降はまったく気配がない。
殺鼠剤に口をつけないので、細かく砕き、ご飯にまぶして置いてみた。
その傍にホイホイも仕掛けたが、変化なし。
スルーしたのか、そもそも現れなかったのか分からない。このまま現れなければ結構。
きょうもジョギング中に腹具合で苦しんだ、7.53km。
食物や残飯を整理してネズミがアクセスできないようにしたら現れなくなった、と油断して洗面所の石鹸をかじられたのは数日前の事だが、それ以降はまったく気配がない。
殺鼠剤に口をつけないので、細かく砕き、ご飯にまぶして置いてみた。
その傍にホイホイも仕掛けたが、変化なし。
スルーしたのか、そもそも現れなかったのか分からない。このまま現れなければ結構。
きょうもジョギング中に腹具合で苦しんだ、7.53km。
昨日、今日、誰とも会話せず。きょうはスーパーの駐輪場で、隣の御仁に話しかけられたと思ったら、独り言だった。誰かと会話しているような、しかしスマホも見当たらず、聞き耳を立てたら独り言だった。なにやらジャンボ宝くじのことをブツブツ言っていた。
お墓の樒は生けてから一月近くになるが青々していた。
四十九日の法要の時、僧侶に言われて墓石に仮位牌を括りつけた。いつまで置いておくのかお寺に訊ねたら、三回忌までだが49日が過ぎれば外してもいい、と意味不明なことを言われた。括る必要なかったのでは。少なくとも私は他所で見かけたことがない。
外した仮位牌は寺へ持って行けば焼却してくれるそうだが、持ち帰って自分で焼いた。縛り付けておくのは見世物のようで嫌だったのでほっとした。
youtubeを聴いたり、持っている譜面を開いたり、どの曲を練習するか悩ましい。やさしい曲は面白くないし、これと思う曲は難しい。結局何も決まらないまま半日暮れた。いつかはバッハ。
包丁を研いだ。研ぎ場が建物北側の日陰なので、今日のような風のない暖かい日でなければやる気が出ない。4本研いだ。
何を思ってか、娘がLINEに牡蠣を片栗粉で洗う動画を上げた。つられて、今夜は牡蠣フライにした。片栗粉がもったいないし、粉を落とすのがちょっと面倒なので、きょうも塩で洗った。
田辺聖子著「小倉百人一首」に青年と中年の二人が登場する。青年は崇徳院の「瀬をはやみ・・・」、中年は藤原清輔の「ながらへば・・・」が良いという。
若い人には崇徳院が受けるのだろう、何かの対談で芦田愛菜も「ながらへば・・・」が好きだと言っていた。
老年の私は当然「ながらへば・・・」で、このブログの概要にしている。
崇徳院といえば怨霊伝説と落語の「崇徳院」を想起する。怨霊伝説は勿論、落語のくだらないサゲも無ければいいのに。
4日に水槽ポンプの1台がうなり出したので掃除した。続いてきょうまた別のポンプから異音が出た。
モーター内部と周辺の塩を掃除し、パイプの中の汚れを落としたら、水流の勢いが驚くほどよくなった。2台回しているが1台でもいいくらいだ。
私の血管にこびりついたコレステロールが無くなれば血の巡りも良くなるだろうが、剥がれて血栓になってはかなわん。
春のような海。
風はあるものの温かだったので砂浜を走りたかったが潮位が高く諦めた。
川の堤で、また腹具合が急になった。うねりを二つ乗り越えて、なんとかショートカットせずに走りとおした。腸の通りは悪くない。7.56km。
顔を洗いに行くと石鹸がかじられていた。ネズミだ。
だいぶ飢えているようだが、殺鼠剤には触った様子がない。他の方策が必要だ。
スーパーに七草粥セットが並んでいるのを見て、ラディッシュを蒔いたのを思い出した。
時期が悪いうえにほったらかしなので全然大きくなっていない。こっちは虫にかじられている。
ブロッコリー・レタス・キャベツ・人参・ピーマン・玉葱と合わせて七草サラダにした。
葫が効くのは "疲労回復" ではなく "疲労感のマスキング" と知ってから少し熱が醒めたが、果樹と一緒に葫にもたっぷり肥をやった。
芝生の雑草を抜いた。