【大好きな輪島】
絶対行きたかった、絶対行かなきゃと思っていた輪島へ、行ってきました。
僕は2008年から2014年まで毎年、輪島に演奏に行っていました。
2007年の能登半島地震の復興イベントの一つ「能登ふるさと博」での蔵コンサートで、当時の地震で倒壊してしまった蔵を再建し、その中でコンサートを開催する、という企画でした。
まだメジャーデビューする前から、そしてメジャーデビューの時期も、毎年伺っていた輪島。
まさに僕の音楽を育んでくれた、大切なルーツの一つである、大事な、大好きな街です。
なんというか、僕にとって輪島という街は青春そのものなんですよね^ ^
あの頃、蔵コンサートのスタッフやお客様として関わらせていただいたみなさまは、だいたい同年代な方も多くて、なんというか離れていてもずっと大切な友人なんですよね!
まだまだヤンチャだった今井亮太郎に、エネルギーいっぱいの輪島のみなさん。
懐かしいなぁ。
今回、その輪島のみなさんに会ってきたのだけど、みんな全然変わらない!
会った瞬間に、あの頃に戻るんですよね〜。
嬉しかったな〜。
お世話になってる兄貴分の小田原さんも、僕が一番大好きなお酒と公言している“奥能登の白菊”の白藤酒造の喜一さんやお母様も、まちづくり輪島のスタッフの三中さんはじめみなさまや市役所の方も、ピアノを奏でる美穂子さんも、食べに行った定食屋さんのスタッフもお客さんも、子どもたちも!…輪島のみなさま、本当に大変な中でも元気で笑顔だった!
僕の方がエネルギーもらっちゃいました!
もちろん、1月の震災と9月の豪雨があり、街を見ても本当に大変な被害。
まだまだ復興には程遠く、一つ一つクリアしていっている現状なんだな、とあらためて実感しました。
でもね、この街は、輪島は絶対に復活するよ!
確信しました。
前よりもっと素敵な街になって復活する。
だって、輪島の人たち、本当にみんな素敵で、大変な中でもみんな笑顔で、前に向かって一生懸命進んでるから。
小田原さんが僕に言いました。
「亮太郎くんの目で、今の輪島をちゃんと見て行って!次来た時には絶対前よりも良く復活してるからさ!」
だから一生懸命、災害の爪痕もこの目で見てきました。
自分の心に今の輪島の現状を刻むために、被災した状況の写真は撮らなかった。今の実情を写真や記事で伝える人は僕以外にたくさんいるからね。
それよりもね、この輪島で、みんなこの街が大好きで、輪島の海と空と自然が好きで、みんなこの街で普通に一生懸命暮らしてる。みんな日常が今日も進んでいて、大変な状況の中でも笑顔で暮らしてる。
そのことをたくさんの方に伝えたいです。
酒蔵も倒壊はじめ大きな被害を受けた白藤酒造さんも、もう今度の3月からは自分のところで日本酒を作り始めるそう。
震災後、なかなか封を開けることのできなかった我が家の“奥能登の白菊”ですが、喜一さんには「飲んでください!もう次のお酒作るんで!」と言われ(笑)、「確かに!飲まなきゃむしろ失礼だ!」と思いました。美味しくいただきます!!
心から大好きな街、輪島。
大好きな人たちがいる輪島。
また必ず輪島に帰ってきます。
そして、
僕の音楽がいつも、いつでも輪島のみなさまへ届くように、もっともっとがんばります!!
僕も負けないよ!
輪島に毎年行ってた頃の亮太郎。わ、若い(笑)