きょう2012年5月5日、北海道電力は
午後5時から泊原発3号機の出力を少しずつおとして
夜11時ころに発電をとめるという。
(参考:原発ゼロ時代に挑む 運転46年 全50基が停止 東京新聞2012年5月5日)
日本全国で原発がひとつも動いていない、という瞬間まで、あと数時間。
それは、わたしにとっても、生まれて初めて経験する事態だ。
原発まみれの日本の現実をはじめてしった約20年前、
こんな日本に誰がした? と、ただただ茫然とした。
人生100年足らずの人間にとっては
ほぼ「永遠」と呼びたいような遠い未来まで重いツケをのこしていくモノを、
じぶんが生まれるまえに勝手につくられていたことに、腹もたった。
学びたての原発問題をまわりのオトナにはなすと、
インテリの何人かはこういった――「そう。そうなんだよ」。
もうとっくに、もっと詳しく、知っていたのだ。
知りながら、なにもせず、そのままにしていた。
フツーの善良なオトナは、多くの場合こういった――
「知らないあいだに、原発がこんなにあるなんて」。
原発をつくったはずの世代にこういわれ、
まだ生まれるまえで「原発つくられても困るから、つくらないで」という余地もなかった
わたしは、承諾もしていない重いツケを、避けようもなく負されてしまうことへの憤りを
どこへ向けたらいいのかわからず、よけい呆然とした。
この肩すかし感と、ゆえにやり場の(みえ)ない憤りとに共振するものを、
珠洲や祝島で原発立地の現実を生きる人びとのなかに見たから、
自分は原発問題から離れられなかったのかもしれないとも思う。
この20年で原発の数はもっと増えたし、
(トラブルでほとんど運転してないけど)もんじゅとか再処理工場とかもできたし、
数々のトラブルや臨界事故に懲りることもなく、ついに原発震災がおきてしまった。
いまの子どもたちは、承諾もしていない重たいツケを、
あのころのわたしよりずっと多く、押しつけられている。
その一部は、いまではいいオトナになったわたし自身が
防ぎきれずに押しつけてしまうものなのだとおもうと、恥ずかしく、申しわけない。
いまの、そして未来の子どもたちに負わす荷を、これ以上ふやすなんてありえない。
新規の原発立地はもちろん、すでに原発がある地での増設も、
すでにある原発の運転も、すべて論外。
これまでにつくってしまった原発の廃炉と、
原発を運転させることで生みだしてしまった核のゴミの後始末だけで
じゅうぶん重すぎる荷だったのに、そこに
東電の福島第一原発事故への対応がくわわってしまったのだ。
42年ぶりで「原発ゼロ」になる今日は、おりしも子どもの日。
「原発ゼロ」が子どもたちへのいい贈り物になるといいたいところだけど、
実のところ、子どもの日の贈り物というより、むしろ詫び状だろう。
日本全国、原発がひとつも動いていない、という瞬間を
積みかさねようと行動することで、はじめて伝わる手紙かもしれない。