東電の福島第一原発事故のあと、
東京電力の記者会見へ通って取材を続ける、
昨年まで吉本の芸人さんで
ジャーナリストのおしどりマコさん。
2019年7月21日投開票の参議院選挙に
立憲民主党から全国比例区で立候補してらっしゃいます。
7/17のおしどりマコさんの街宣@吉祥寺駅の一部を
文字起こししてみました。
強い共感とともに
以下に共有させていただきますので、
ぜひご一読くださると嬉しいです。
*(以下、おしどりマコさんスピーチ文字起こし)*
8年間、定点観測のように
取材を続けてきて分かったことがある。
2011年、
原発事故があったとき民主政権だった。
自民党が長年率いてきた原子力。
事故が起こったときたまたま民主党政権だった。
これ、私、けっこう(民主党は)
貧乏くじ引いたなと思うんですけど。
原発事故が起こって、
8年取材をして、
私は政治のことに疎くて
不勉強だったんですけど、
いま思うと、原子力に関する、
原発事故にかかわる情報の出方が
急に変わった時期があって、
それが2012年、13年。
衆院選と参院選で
自民党が第一党になったとき
だったんです。
あとで、振り返って、
何年か経って、気づきました。
あそこから変わったと
気づいたんです。
どう変わったか?
2011年に原発事故があって、
そのときに原子力を推進しているところが
経産省資源エネルギー庁というところで、
原子力事業者を監督しているところが、
経産省原子力保安院といっていたんですね。
原子力を推進する経産省の中に
監督の保安院があったから、
ちゃんと東京電力を、
事業者を監督できなかったから、
だから事故が起こったんじゃないか。
ということで、事故のあと、
監督する省庁を外に出そうということで、
原子力規制庁というのが、経産省から外に出て、
保安院をなくして、そういう省庁ができます。
規制庁ができた時も、
ずっと取材をしていました。
そして、
原子力規制庁ができたときは民主政権で、
将来的に脱原発をすると決めたときにできた、
省庁だったんです。
なので、2012年、
新しく立ち上がった時の省庁の
職員の方々のなかには、
さっき通りかかった東電の方のように、
規制庁の方々は、
「原発事故はヒドいことだ」と、
「日本で起こしたくなった」と、
「将来的に必ず脱原発をするのだ」と、
そういう思いの方々が、
2012年にできた原子力規制庁にはいました。
新しい職員の方で、
いろいろな会社を辞めて
入ってきた方がいたんです。
読売新聞を辞めて
規制庁の広報に入った方も
おられましたね。
すごくハードな方でした。
どうハードだったかというと、
原子力規制庁のホームページのトップ画面を、
福島第一原発が爆発して
ボロボロになった映像にしたいと。
原子力規制庁として
原発事故を生涯忘れるべきではないから、
原子力規制庁のホームページの
トップ画面に貼るべきだ、って。
そして、
行政がそういう写真をもっていないので、
フリーランスの方々に、
原発事故の後のボロボロになっている写真を
持っていたら提供してください、
ってメールを送ったそうなんですね。
その何人から私、訊かれて。
「原子力規制庁から
『爆発したボロボロの原発の写真を送ってくれ』と
メールがきたけれど、これは詐欺じゃなかろうか」
ってメールが来たんですね。
でも、それは本当で、
規制庁の職員の方が、本当に、
原発事故に向き合わねばと
思ってらしたからなんです。
そういうふうに立ち上がった規制庁だったんですが、
2012年と13年、
衆院と参院で自民党が第一党になったとき、
もう一度、
原子力が「ベースロード電源」になると、
そう政策が切り替わりました。
仲がよかった原子力規制庁の方が、
こう言ってたんですよね当時。
「マコちゃん見ててご覧。
これから、
中がドンドン強硬派になるから」。
そう言われたんです。
キョウコウハ?
ピンと来なかった私は
「ローマ教皇のことですか?」と
本当に訊いたんです。
ローマ教皇ではなくて
原子力推進の強硬派、
ということでした。
「見ててご覧、
中の職員が入れかわっていくから」。
そう聞いているうちに、
原子力規制庁の中の人事異動が
何度も何度も進んで、
人が入れ代わりました。
そしていつの間にか、
脱原発が目的でつくられた原子力規制庁が、
原発事故の後、
もう一度、原子力を動かすための、
その適合検査をするための、
原子力再稼働のための、
規制庁に変わっていったんです。
そうして、東京電力も、
原子力規制庁も、経産省も、
いろいろなところが、
情報の出方が変わりました。
8年取材をしたからこそ、
東京電力や規制庁や厚労省や環境省や経産省や、
はからずも
あちこち定点観測したからこそ、
あそこでタイミングがあったんだ、
情報が切り替わったんだと、
気づくことができたんです。
なので、
取材をしてては、取材だけでは、
足りない部分があるんだと、
政治で、こんなに出てくる情報が変えられるんだと、
よく分かったんです。
なので、
取材だけでは足りないと思い、
今年、選挙に挑戦しました。
(このときの動画は
以下のURLにてご覧頂けます。
https://www.youtube.com/watch?v=P0qjT2d8mZw
なお、ここに文字起こししたのは、
30分頃〜36分頃までのマコさんのお話です)