サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

三内丸山遺跡 その2

2020-03-02 05:47:36 | お出かけ♪

三内丸山遺跡 の続きです。

子どもの遺体は、土器に入れて埋葬しました。

棺に使われた土器は、丸い穴が開けられたり、口や底が壊されており、煮炊きに
使用する土器とは区別されていました。
中からはこぶし大の丸い石が出土した例もあります。

大人は、地面に掘られた穴(土坑墓)に埋葬されました。
土坑墓は同りょの両脇に向かい合うように列状に並んでいます。
墓の中からは、副葬品として石器やヒスイ製のペンダントが出土した例もあります。

北盛土
盛土は竪穴建物や穴などを掘った時の土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器
などが同じ場所に長期間継続して捨てられており、小山のように盛り上がっています。
ここでは発掘調査された当時のまま展示しています。
一面に敷き詰められたような土器は縄文時代中期(期限前約3000年)のものです。
展示している部分はほんの一部ですが、盛土ではこのような状態で何層にも重なって
広がっています。

掘立柱建物

掘立柱建物は、地面に柱穴を掘り、柱を立てたもので、地面に炉や床などの跡が
見つからないことから、高床建物であったと考えられています。

柱は約35cmの倍数で配置されています。

茅葺き

竪穴建物の復元
竪穴建物は地面を掘って床を作り、柱を立て、屋根をかけています。

縄文時代中期(紀元前約3000年)の竪穴建物を復元しており、屋根は発掘調査の
結果や民族例を参考に、茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類で復元しています。
時代によって、平面形、柱の配置、炉の位置や構造に違いが見られます。

樹皮葺き

拡大

土葺き

夏だと屋根に草が生えていて緑色なんだと思うよ。

こういうの再現する人もすごいなぁと思います。

コメント
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