サバ奈子

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栗山町 野外彫刻 栗山町開拓記念館

2021-08-20 05:36:32 | 野外彫刻

栗山町開拓記念館です。

開拓記念碑です。

泉麟太郎記念碑です。

中に入るとまず、鮭の木彫りが目につきます。
栗山町発祥の木彫りの鮭(千瓢彫)です。

栗山町 本田数馬 作

本田数馬(号・千瓢)
  ・明治2年(1869)~昭和39年(1964)
愛媛県温泉郡余土村字市の坪で、父伊佐衛門、母すぎ子の長男として出生するも
6歳で父を、10歳で母を相次いで失った。
少年の頃より絵や彫刻の才があり秋祭の辻行灯などに祭風景を描き人々を驚かせた
という。17歳の頃狩野派の絵師に日本画の手ほどきをうける。
24歳のとき、先に入植していた実弟の與市を頼り北海道当別町に移住その後、岩見沢
村を経て明治22年、現在地の栗山町雨煙別(緑丘)に北炭の山林小作人として入植、
山林事業の傍ら開拓農耕に励む。
65歳の頃から仕事の合間に熊などの木彫りを始め、72歳の時、雨煙別川の改修工事で
掘り出された埋もれた木の木目が鮭に似ているのを見て、以後は鮭の木彫りに専念
する事となる。これが木彫り鮭の元祖となり新聞やラジオで広く世に知られるように
なった。
翁は又、書は中村武羅夫の父、逞次に俳句は河東碧悟東の父、坤の教えを受けている
(正岡子規と同門と思われる)。
この様な素養に裏づけされた翁の作品は、単なる民芸品としてではなく芸術品として
高く評価され全国から注文が来たが、翁は請われて彫るだけで売る事は好まなかった
ため、一目見たいと遠方から訪れる人も多かった。
献上先は昭和・今生天皇、各宮家、鳩山一郎首相、トルーマン米大統領など枚挙に
いとまがない。
門弟に辻田清(号・二承)、中原和一(号・秋峰)、中原篤(号・鳩杖)がいる。

栗山町 中原和一 作

中原和一(号・秋峰)
  ・明治42年(1909)~平成7年(1995)
栗山町鳩山で、農業中原喜代治の長男として生まれ、小学校の頃から絵を描く事や
彫刻が得意であった。
敗戦の空虚さを紛らわす様に厳しい農作業の合間をみては彫刻等を握っていたが、
本田翁の作品に魅せられ本格的に鮭の木彫りに打ち込むべく昭和30年、長男の篤と
共に翁の門をたたいた。
やはり周囲には「一銭にもならないのに木をいじくりまわしている」と変人扱い
されたものです・・・と述懐している。
「最初は本物をよく見る、次は自分の写生を見て彫る、写実性を離れずに個性を出す
事」という師の教えを守り、得意の絵で孵化場や捕獲場を回り丹念にスケッチを重ね、
さらには動きを捉えるために写真を参考にするなど作品作りに情熱をかたむけた。
几帳面な人柄から、鉛筆画や鮭の写真、旅行先の参考になる彫刻の写真などが良く
整理保存されており、献上先・贈呈先も見事な字で良く記録されている。
作品は昭和天皇、今上天皇に献上されているのをはじめ、政官界への贈呈、伊勢神宮、
明治神宮に奉納するなど数知れない。

栗山町 辻田清 作

辻田清(号・二承)
  ・大正5年(1916)~昭和56年(1981)
栗山町鳩山で、農業辻田四方一の長男として出生。
子供の頃から歴史や美術に興味をもっていて、農業に従事するかたわら昭和15年頃から
彫刻等を手にし、壁掛け、狛犬などの置物を作っていた。
二度の召集の後千歳の航空基地に勤務、休日の唯一の楽しみは千歳川で釣りや遡上する
鮭を観察したり木彫りをする事だった。
終戦後栗山に戻り、再び農業に従事したものの彫刻への思い断ちがたく昭和21年、高名な
本田数馬翁に師事し、本業の合間を見ながらその技術の習得につとめた。
しかし当時は「いい若い者が年寄りのまねをして・・下駄ならヘタでも使えるのに」など
と周囲の中小にさらされ、親からも農業のじゃまになると反対され、仕事の後に物置や
馬小屋にかくれて彫り続け、師匠から後を継ぐという意味から「二承」の号を授かり、
他の仲間と共に研鑽し制作に励んだ。
「師匠は川の鮭が得意、自分は海の鮭」と云うその作品は、ウロコ、背びれ、尾びれの
何れも本物と同じ数だけ彫るもので、その精緻さに台所に置いてあった作品に猫がかじ
りつき歯を欠いたという程、本物と変わらないものだった。
作品は多くの官公庁、著名人に贈呈されているが、その中でも特筆されるのは、ケネディ
米国大統領、フルフチョフソ連首相に贈呈されている事である。

そしてお目当ての彫刻です。

海の詩
米坂ヒデノリ
贈 角田商工会

2本の剣が組み合わさったような作品。

米坂ヒデノリは栗山町にアトリエをかまえていたことがあるので、栗山町内に作品が多い。

もう一つ胸像を発見。

今井弥平次翁胸像

角田郵便局の局長を勤めた方なので、一号丸型ポストと一緒に展示されています。
この郵便ポストは栗山町角田の杉山商店街前にあったもので、昭和25年(1950)
~平成2年(1990)まで使用されていました。

栗山町開拓記念館
夕張郡栗山町角田60番地4


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