外勤の際に見つけた。
明治29年、独立歩兵大隊が置かれ、後に歩兵第25連隊に改編された。
この兵営正門(営門)前に植えられた2株のうちの1つ。多くの兵士が出征、
凱旋するのを見守った松である。
よくわからなかったので検索すると、詳しく書いてあるブログを見つけた。
営門の松
月寒中央通5丁目2
外勤の際に見つけた。
明治29年、独立歩兵大隊が置かれ、後に歩兵第25連隊に改編された。
この兵営正門(営門)前に植えられた2株のうちの1つ。多くの兵士が出征、
凱旋するのを見守った松である。
よくわからなかったので検索すると、詳しく書いてあるブログを見つけた。
営門の松
月寒中央通5丁目2
息子の会社の方から、家庭菜園が趣味のようで、好きなだけ持って行って
と言われ、少しだけもらってきたとのこと。
小さい玉ねぎです。
どのくらい小さいか比較対象がないと分かりにくいと思い、マシロちゃんと
一緒に撮影。
比較対象が悪かったせいか、あんまりよくわからなかったですね。
いつもありがとうございます。
炭鉄港カードをもらうために、そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターに行ってきました。
ちゃんとポスターが貼ってあります。
てっきり岩見沢駅前にあると思って迷いました。市道1条線にあります。
中の様子。炭鉄港関連グッズがいっぱいです。
旧北海道炭礦鉄道 岩見沢工場(岩見沢レールセンター)
北海道近代化を支えたレンガ造りの工場
1899年、手宮工場の分工場として設置。車両の組み立てや機械の製作修理に
あたり、現在もJR北海道が使用している。
朝日駅舎
石炭運搬と住民生活を支えた駅舎
1919年に開駅。万字炭鉱、美流渡炭鉱、朝日炭鉱から石炭を運搬するために
開設された万字線の当時の様子を今に伝える。
そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター
岩見沢市1条西4丁目3
こちらで2種類の炭鉄港カードをもらえます。
駐車場がなくて行きづらいところです。
職場に栗の木があって、毎日2~3個ずつ拾っていたら、栗ご飯1回分
くらいに集まりました。
札幌都心部にあるし、ライバルが多くて、これだけ拾えたのが奇跡です。
一晩水につけてから皮をむき、渋皮も丁寧に取り除いて、4~5個は腐って
いたので廃棄してこのくらいです。
今年も栗ご飯をいただけました。年に1回は食べたいです。
(それ以上は面倒くさくて嫌です)
炭鉄港カードをもらうために、旧栄小学校(アルテピアッツァ美唄)に
行ってきました。
ギャラリーはマスク着用
校舎2階の、こちらのカウンターの向かいの
窓際のテーブルに置いてあります。
以前、こちらに美唄ダムカードをもらいに来ましたが、今はコロナのため休止中です。
旧栄小学校(アルテピアッツァ美唄)
北海道近代化の歴史と芸術の融合
1950年に開校。1959年に30学級・1250名となりピークを迎えた。
現在は彫刻家安田侃氏の作品を展示する美術館として活用。
旧栄小学校(アルテピアッツァ美唄)
北海道美唄市落合町栄町
校舎の一部に幼稚園が入っていましたが、令和2年3月に閉園になっていました。
健康診断の結果が出ました。
今年はコレステロールが要観察。
貧血が悪化し、要精検でした。
毎年微妙に貧血で要観察だったんだけど、要精検は久しぶり。
あと心電図で初めて引っ掛かりました。
要精検だった血液検査の二次検査をしました。
なぜかヘモグロビンが10.1に改善されていたので、要観察に格下げになり、
治療の必要はなくなりました。
来年は人間ドックが当たる年なので(職場では5年に1度優先的に受けられる)、
心電図はその時にじっくり調べてもらいます。
とりあえず鉄のサプリメント始めました。
余談:フォトショップで久しぶりに線を引きました。
すっかり忘れていて、ネット検索してしまいました。
文字ツールじゃなかった。ブラシツールだったか。
実家から食べきれないから取りに来い とメールがあり、在宅勤務の息子に
取りに行ってもらった。
札幌市の端と端に住んでいるので、簡単に来いと言われても遠いんですよ!
立派なシャインマスカット。
みずみずしくてたいへんおいしゅうございました。
ぷりっぷりですね。
お裾分けありがとうございました。
車を走らせていたら、たまたま見つけたんです。
炭鉄港カードになった鉄道橋梁です。
日本遺産構成文化財 炭山川橋 展望広場に行ってきました。
旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁
●規模・構造:橋長 L=94m、川床からの高さ H=32m
橋梁構造~鋼板桁上路6連(緩やかな曲線を描く)
鉄橋 ~鉄筋コンクリート造円柱5本及び2連アーチ橋
●竣工年月:1945(昭和20年)年12月
●沿革:1940(昭和15年)年
三井鉱山(株)が芦別駅~西芦別駅間L=4.1kmを結ぶ三井芦別炭鉱の
石炭運搬専用鉄道を敷設した。
1944(昭和19年)年に軍需省から石炭増産要請を受けた三井鉱山(株)
は、第2坑(頼城)緊急開発の一環として、同年中に線路の延長工事に
着手した。
工事の下請業者は、日本人や朝鮮人の労働者を使役し難工事に当たった
が、炭山川と芦別川の二つの橋梁が完成し、芦別駅~頼城駅間L=9.11km
が開通したのは、終戦後の1945(昭和20年)年12月であった。
1960(昭和35年)年には三井芦別鉄道(株)が独立、1989(平成元年)年
3月に廃線となるまで、延べ3600万トン以上の石炭を運搬したという。
●文化財:平成21年1月に国の登録有形文化財に登録され、令和元年5月には、文化
庁の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財の一つに認定された。
立入禁止でフェンスの向こう側には行けませんが、
橋梁の様子は見ることができます。
橋上のディーゼル機関車と石炭貨車セキ3820は文化財ではないとのこと。
炭鉄港カードが作られなければ、存在すら知らなかった橋梁です。
芝刈りされ、きれいに整備されていました。
旧三井芦別鉄道炭山川橋梁
芦別市西芦別町・中の丘町
屋根を塗り替えました。
サイディングも換えたのかと思ったけど、吹き付けただけ。
ひびが入っていたサッシの角もきれいになりました。
灯油タンクも使い勝手のいい場所に移動していました。
家を建てるときに母はこの場所に置きたかったのだけど、庭が狭くなるのが嫌で
父が絶対に譲らなかったのだそうです。
半世紀にわたり、軒下に無理やり置かれた灯油タンクのせいで、草むしりや
雪かきに多大な労力がかかっていました。
奥に行くのに、隣の家の敷地を通らないと行けなかったんです。
今回のご要望。畑を片付けてほしい。
トマトは青い実がついていましたが、もう赤くなりません。
ささげもほぼ取りつくしました。
大木になったピーマン
こんなに残っていました。
全部抜いてきれいさっぱりしました。
残骸は、月に1度の枝葉のごみ(無料回収)の日に捨てます。
いただいてきました。まだきゅうりなっていたの?びっくりしました。
ピーマンもたくさんいただきました。
いつもありがとうございます。
頼城郵便局の隣
芦別警察署 頼城駐在所の向かいに
坑夫の像 があります。
碑文(要約)
この像は昭和19年7月、軍需生産美術推進隊彫塑班の古賀忠雄氏等に
よって製作された。
鉄線を芯としたコンクリート彫塑であったため半世紀を経て風化損傷
著しく、かつてのヤマの象徴は崩壊寸前となった。
平成8年9月、この状況を憂えた地元の元炭鉱マン達が「坑夫の像
保存会」を結成し像の保存に取り組んだ。
当初修復保存を目的としたが原像の崩壊は如何ともしがたく本複製像を
製作することとし、ここ三井芦別炭鉱終焉の地、頼城町(二鉱)にこれ
を建立する。
平成9年5月11日
坑夫の像保存会
修刻 明地信之
芦別物語 に解体の新聞記事が見られます。
頼城郵便局
芦別市頼城町4-63 の隣です。
ちょっとした公園になっており、整備されています。
車を走らせると
浄土真宗大谷派 光明寺 でたまたま発見。
お坊さんの像です。
相河了瑞師之像
入植当時の光明寺の住職のようです。
光明寺
北海道芦別市常磐町558