ブリットの休日

大好きな映画や小説の感想や日々の他愛ない話と、
聴神経腫瘍と診断された私の治療記録。

ありえない話

2011年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝は偶然ネットで見つけた、NHKの朝ドラ「てっぱん」のクランクアップセレモニーの動画を見て、もう泣いてしまった(^^;)このドラマもほんと良かった。

5月3・4日に総集編があるみたいで、録画を忘れないようにしなければ。

 話は変わって、3日に岩手から帰ってきて、次の日は一日休みをもらい、その次の日久しぶりの出社だったんだけど、いきなり連絡船で島に渡るっていう工程が組まれてて、その時に起きたどうしたらこんなことになるんだろうという話をちょっと。

その日は連絡線が朝10時半出航で、まあ初めて行く港だったのでちょい早めに会社を8時半に車で出て、なんとか10時前に港に到着した。

小さな港の前を走る道路を挟んで反対側に、遊園地のチケット売り場みたいな小さな小屋があり、そこが乗船券売り場だとすぐに分かり一安心。

小屋の中には人の良さそうなおじいさんが一人座っている。

「次は10時半だからまだちょっと時間があるよぉ」 なんて言うので、 「そこにある休憩所で待ってますよ」 とか言って乗船券を買う。

港の入り口にも小さな休憩所があり、そこに座って5分くらい待ってると、観光客らしい3人の若い女性が、船着場に停泊してる船にガヤガヤと乗り込んでいくのを見かける。

着いた時から気がついていたんだけど、既に1艘の連絡船らしい船が船着場に停まっていた。

まだ誰も乗ってなかったのであの船なのかなあ?なんて思ってたところだったので、

「なんだあの船なんだ、こんな硬いベンチに座っとかず、さっさと乗って待っとけば良かったよ

と、すぐにその船に乗り込むことにする。

あの賑やかな3人組は上の風の当たる座席の方へ上がっていったので、自分は下の静かな客室の方に入る。

入り口すぐの座席に中学生くらいの女の子が一人座っている以外はまだ誰もおらず、これはゆっくり休めるぞっなんて、真ん中当たりの窓際の椅子に座る。

そしてこの時間を使って、東北の支援活動のレポートをちょっと書こうと思い立ち、メモを書き込み始める。

いろいろ思い出しながら、日にちを順に追って書き込んでいると突然、「ボッボ~~」と汽笛の音が聞こえてきた。

ああ、もう出発の時間がきたんだ、なんて思いながら、また続きをメモに書き込む。

不意に船のエンジンの振動がないことに気付き、あれ?なんだか動く気配がまったくないような気がするんだけど、なんて思って時計を見ると、既に10時33分ぐらいになっている。

んん?嫌な予感がしてちょっと外に出てみると、まったく同じ形の船が遠ざかっていくのが見えた。

「???」

同じ客室にいた中学生の女の子はまだ座っていたが、心配になり乗船券売り場のおじいさんのところへ行って、恐る恐る聞いてみる。

「そこに停まってる船に乗ってたんだけど、もしかしてもう出ちゃいました?」

「いやあ~、あんたあの船じゃがぁ、そこに停まってる船は待っとる間に乗って休んでるだけで、船が着いたらみんなそっちの方へ乗っていったじゃろ~」

なんとメモを書き込むのに夢中になりすぎて、15mぐらいしか離れていない隣の船着場に船が入ってきたことも、乗り換えていった人達のこともまったく気がつかなかったのだ。

あの残っていた中学生の女の子は、実は島の子で、いつもあそこで遊んでいるんだという情報も、いまさらだけど聞き出す。

こんなことがあるんだろうかと、あまりの情けなさにしばし呆然・・・。

次は12時で11時半ぐらいには船が入ってるからと言われ、近くに停めてある車の中に戻ることに。

そこからの1時間が長かったこと(^^;)

やっと時間が来たので、車を降りまた港に向かう。

歩いている途中で、そういえばこの船券だけど、降りるときに渡したらなくなってしまうから、領収書をもらっとかなきゃいけないことに気がつく。

おじいさんに今停まってるあの船ですよねえ、なんて当たり前のことを言い

「すいません、さっきの船券の領収書もらっていいですか」

と言うと、おじいさんから衝撃の一言が・・・

「あんたそりゃ~はよ~いわにゃあ~。あんたやっぱりちょっとテンポがずれとるなあ~」

「・・・」

領収書ももらい、ちゃんと船で島に渡ることができたが、おじいさんにバッサリと斬られた心は、しばらく立ち直れなかった・・・。


春の日差し

2011年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日盛岡から秋田の空港と羽田を乗り継ぎ、久しぶりに自宅に帰って来た。

ついさっきまで目の前に広がっていた信じられない光景がウソのように、まったく変わらないいつもの景色。

言い知れない居心地の悪さのなかで、それでも普段のなんでもないことがいかに幸せなんだということをかみ締める。

たった10日間という短い滞在期間の間にも、何キロもの行列ができていたガソリンスタンドに燃料が行き渡り渋滞は解消され、目新しい電柱が瞬く間に何本も打ち立てられ停電も解消し、前の日まで使えなかった携帯も気が付けば使えるようになっていたり、日本中の力が結集して、被災地のライフラインがものすごいペースで復旧していることを実感できた日々だった。

そんな大きな力の中に、今回の自分達の活動もほんの少しだけど加わることができ、うれしいというより今はホッとしている。

次はいつ声がかかるか分からないけど、何か自分にできることがあれば参加したい。

 今窓から差し込んでくる暖かい春の日差しを感じながらも、まだまだ復興への道のりは長く厳しいという現実に、心が萎縮しそうになる。

それでもね、春は必ずやってくる。

一日も早い復興へ向けて、自分が今できることをやっていきたい。