結局最後まで読み終えてなお、さっぱり分からなかった「相対性理論を楽しむ本」からやっと解放され、次はちょっと泣ける作品を読もうと思って選んだ本が、辻村深月の『ツナグ』。
読者のレビューを読むとほぼ満点に近い評価ばかりで、さらに泣けるという点においても期待は高鳴るばかり。
さあ、泣かせておくれ!
指定された駅の3番出口で待っていたOLの平瀬愛美は、声を掛けてきた少年の姿に唖然としてしまう。
苦労してやっと連絡が取れた待ち人は、意外にも高校生のようだった。とまどう平瀬に構わず少年ははっきりと語りかける。「死んだ人間と生きた人間を会わせる窓口。僕が使者(ツナグ)です。」
依頼者から既に亡くなった人に会わせて欲しいという依頼を受け、その依頼を持ってさらに相手となる死者と交渉し、その死者が会うことの了解が得られれば、満月の一夜限り、ホテルの一室で再会させるという段取りを整えるのが使者。
急死したそのアイドルに会いたいというOLや、結婚を申し込んだ女性が失踪してしまった婚約者、親友を事故で失ってしまった女子高生などの様々な依頼者の物語が、それぞれ短編的につづられていていく。
会えるはずもない人に会える機会を得た人たちの、切実な思いを意外なほどたんたんと映し出していく描写は、過剰ではない程よい情感に溢れ、しっとりと心に沁みこんでいく。さらに再会した後の依頼者の描写も、こちらの期待をあっさりとかわし、静かに終わってしまうが、ただそれが余計にその後の彼らの姿を想像させて、心地よい余韻を残してくれる。
ただこの物語を読んでいる間、ずっと心に引っ掛かるものがあり、素直に楽しめない自分がいた。
この物語の終わりごろに、使者の力について主人公も考えることなんだけど、この力は人が使っていいものだろうかという疑問である。
死というものを考えた時、再会できるという機会を与えられた特定な人たちと、それ以外のほぼすべての人達との間で、これほど不条理なことはなく、自然の道理も無視したこの背信的な行いが、読んでいる間ずっと頭の隅で否定的な感情が潜んでいて、どの物語にも違和感があり、そこには他の読者のような涙はなく、言いようのない気まずさだけが残ってしまった。
失われたものはどうにもならないからこそ、命とは、生と死とは尊いものであり誰も犯すことのできない神聖なものだという想いのなかで、死者がこの世に残してきたものを、誰かに伝えたいと現れる幽霊ならまだ許せるとして、生者のエゴにより死者を思い通りにするなんて・・・。
なんだか私は考え過ぎなのだろうか。素直に物語に没頭できなくて、なんだか悲しくなる。
それから読後に多分大抵の人が考えてしまうことなんだけど、自分だったら誰に会いたいだろうかって想い。
もし本当に会えなくなった人に会えるとしたら、いったい誰と会い、どんな話をしたいだろうか。私も同じように考えたてみたんだけど、もう一度会えるという喜びより、たった一夜限りでまた別れなければいけないということは、最初の悲しみを繰り返しまた味わってしまうんじゃないかということが、頭をよぎってしまった。
我ながらほんとにネガティブである。
やっぱり私は考え過ぎなのだろうか。そうならないためにも、生きている間に大切な人たちに、日々素直に想いを伝えていきたいね。
恥かしがらずに(^^)