ブリットの休日

大好きな映画や小説の感想や日々の他愛ない話と、
聴神経腫瘍と診断された私の治療記録。

読書が好き

2014年11月30日 | 本(その他)

最近は読書が楽しい。

本を読むことは昔から好きでいろいろ読んでいたが、ほぼ時代小説ということで、偏り過ぎていた。

それがある時、伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」と、さらに「死神の精度」を読んで、時代小説以外でも面白い本があることを、今さら知ってしまった。

そこで初めて「本屋大賞」なるものを知り、ランキングされた作品を中心に読んでいったら、ほぼはずれなし。

世の中には知らないうちにこんなにも面白い小説が溢れていたんだと知る。

今更だけどこんなにもたくさんの素晴らしい作家がいたことを知る。

だって満員の通勤電車の中で、思わず笑ったり、泣いちゃったりしちゃうんだよ。

楽しすぎる。

おまけに自己満足だが、感想を書くのも楽しかったりする。

 今映画の方は停滞気味だ。

あんまりいい映画に当たらないのだ。

ただ2015年はお祭りイヤーらしい。

それは人気シリーズ映画の続編がたくさん公開される1年となるから。

「アベンジャーズ」に「ターミネータ」そして「スター・ウォーズ」。

これは楽しみな一年になるね。

ただこういう派手な映画は、観るのは楽しいが、レビューを書く楽しさは、実はあんまりない。

複雑で大がかりな映像を表現するのが難しいし、やっぱり観てただ楽しむ作品であるから、レビューすることが野暮である。

その点小説の感想は、たとえ的外れでも自分が感じたままの、自分の中に映し出された映像を、ただ書けばいいので楽である。

まだまだ気が付いていない素晴らしい小説を、ひとつひとつ探し出していく楽しみが、まだ山のようにあるだろうことが嬉しい。

最近は読書が楽しい。


浅田次郎『鉄道員』あらすじと感想

2014年11月16日 | 本(小説)

 第117回の直木賞を受賞した、浅田次郎の大ベストセラー『鉄道員(ぽっぽや)』を読む。

それまで短編集というのも知らなかったけど、まさかこんな話だとは驚いた。

これはまさかのファンタジーである。

“ぽっぽや”といえば、実際に映画は見てないんだけど、予告編などで雪が降り積もるホームに立つ、健さんのイメージが焼き付いているが、読後のイメージとかなり違っている。

健さんが出てる作品と思って読むと、いい意味で裏切られるだろう。

それにまさか彼がファンタジー作品に出てるとは思ってもいなかったので、今猛烈に映画も見てみたい。

 日に3本しか走らない北海道幌舞線の終着駅になる幌舞駅で、長年駅長を務めた乙松は定年を迎えようとしていた。国鉄時代を共に過ごし、今は美寄中央駅の駅長となった仙次は、一昨年妻を亡くした乙松と一緒に新年を迎えるために、最終便で幌舞駅へとやってきていた。

乙松は仙次の定年後の身の振り方を持ちかけるが、頑なに遠慮するばかり。

やがて二人は昔話に酒を酌み交わし、いつしか眠ってしまうが、真夜中仙次は人の気配を感じ目を覚ます。

「駅長さん」という声にひかれて起き上がると、出札口に赤いマフラーを巻いた女の子が一人立っていた・・・。

 短編8作品からなる本書、テーマ性といい、過去にさかのぼって想いを馳せるところといい、先に読んだ「降霊会の夜」とほとんど同じ感じだったが、より読みやすくそして遥かに情に溢れ、短編ということでより洗練された強烈な印象を残す。

読者それぞれの、過去に抱えるデリケートな部分が見透かされるように、泣きのツボを的確に突いてくるシチュエーションを作り出す上手さ。

そしてそれぞれの主人公に訪れる奇跡は、泣きたくなるほどの切なさと温もりを感じさせ、何度も読み返してしまう中毒性を生む。

 あとがきで北上次郎氏が、“本書はリトマス試験紙のような作品集だ。”

といっている。

8作品どれも面白いんだけど、特に「鉄道員」「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」はやはり印象的で、この4作品について、それぞれ支持する読者がいて、女性は「ラブ・レター」派で、男性は「鉄道員」派と、それぞれの派があり、日々激論が繰り広げられているらしい(笑)

そんな中、私は断然「うらぼんえ」だなあ。

奇跡も作りすぎの所がなく、主人公の窮地にさっそうと現れる痛快さと、希望という光が差し当てられるラストも素敵だ。

結構切ないまんまで終わっちゃうパターンが多いんだよねえ。

よし、次は「椿山課長の七日間」いっちゃおうかなあ。

ただこの作品も既に映画化されていて、観てはないけど主人公が西田敏行ということだけ知ってるので、読んでる時に彼にイメージが固定されなけりゃあいいけど、心配だ・・・。


紅葉

2014年11月14日 | おでかけ

 人並みに紅葉を見ようと、蒜山までドライブをした。

約2時間を費やして到着した絶景は、予想をはるかに上回る、時すでに遅しだったけど。

小雨の中、霞の奥に浮かび上がる山々は、紅葉とは程遠いほぼ灰色とこげ茶色の寒々とした景色。

時期が時期だけに、もうちょっと遅いかなあ、なんて思ってたんだけどここまで色が落ちちゃってるとはねえ。

写真は鬼女台の展望休憩所で撮った一枚。

それまで降っていた雨もこの時は上がり、ちょっとした丘を登り見渡しのいいところまでは行けたんだけど、見渡す限りの灰色と、さらに気温1℃という寒さの中、嬉しそうに自撮りをするカップルを横目に、早々と車の中に引き上げる始末。

もちろん大山は雲の中に隠れて、ほとんど見えなかったのは言うまでもない。

でもねえ、目の前に広がる360度の雄大な絶景は、それだけで素晴らしく、清々しかったなあ。

せめて青空だったらなあ・・・。


三浦しをん『神去なあなあ日常』あらすじと感想

2014年11月07日 | 本(小説)

 2010年の第7回本屋大賞第4位にランキングされた、三浦しをんの『神去なあなあ日常』を読む。

今回も私の中では未だにはずれのない本屋大賞にランキングされた作品を選んだ。

知らなかったんだけど、文庫本の表紙に、何やら伊藤英明やら長澤まさみの写真が載ってて、ここで初めて既に映画化されていたことを知る。

キャスティングが誰なのか、読み進めていく間になんとなくわかっていくのがちょっと楽しかった。

 高校を出てからの進路も特に決まってなく、だらだらと日々を送っていた平野勇気だったが、卒業当日に突然担任から就職を決めてやったぞと告げられる。

家に帰ると母親は既に荷造りも済ませており、訳も分からないうちに送り出され、横浜から新幹線で名古屋まで、そして近鉄に乗り換え、さらに車両が1両しかないローカル線の終着駅へ。

そこで白い軽トラックに乗ってやってきた、金髪でがたいのでかい無愛想な男にそのまま乗せられ、山の奥へと続く曲りくねった細い道を約1時間走った後、集会所のような建物の前に下ろされるが・・・。

 最初の数ページを読んだだけで、絶対に面白いと確信させてくれるほど、主人公がいきなりとんでもない田舎の山奥に放り込まれ、林業をやることになるというシチュエーションがいい。

読み終わった後にすぐにまた最初から読み始めてしまった。

読後の爽やかな心地よさは言うまでもなく、神去に住まう住人たちの、自然に寄り添いながらも逞しく、そして生き生きと過ごすスローライフな日々は、人として本来の姿であるような憧れすらも感じさせる程の魅力に溢れている。

そして主人公の勇気が、都会の垢をこそぎ落とすように力強く成長する姿も微笑ましいが、やはり影の主人公でもある、すべてを包み込む、神秘的なオーラをまとったような大いなる山々の荘厳さが素晴らしい。

深い森の中に静かに息ずく命や、湿った空気、木々の隙間から差し込む淡い光などが、鮮やかにイメージされ、まるで自分も同じ空間を共有しているような錯覚すら感じてしまう。

素敵な癒しがそこにある。なあなあである。

 映画は見てないが、キャラクターのイメージが映画で固定されなくてつくづくよかったと、読み終わった後に感じた。

それぐらい登場人物がどの人も魅力的で、愛おしかった。

とくに荒っぽいが気が優しくて力持ち、愛すべきキャラクターのヨキは、ピタリとはまる俳優が思い浮かばなかった。

多分映画では伊藤英明が演じてるんだろうが、私はどういう訳かずっと赤井秀和がイメージされていた。

伊藤英明だとちょっと垢抜けすぎである。

それと次に読む本を探していると、なんと続編が既に単行本として出版されているのを発見した。

『神去なあなあ夜話』は本作から2年後の様子が描かれているみたいで、神去のみんなにまた会えるっていうことがただただ嬉しいね。


浅田次郎『降霊会の夜』あらすじと感想

2014年11月04日 | 本(小説)

 最初に読んだ浅田次郎作品が、自伝エッセイの「勇気凛凛ルリの色」だったせいもあり、私の中でこの作家は堅気ではないというレッテルを張ってしまった。

しばらく読む気が失せてしまったんだけど、『降霊会の夜』というオカルトチックなタイトルに惹かれてとりあえず読んでみることに。

なぜ「地下鉄に乗って」や「鉄道員」をまず読まないんだってとこだけど、なんかこの作家に泣かされたくないという気持ちが働いたんだろうね、本作を最初に読むことにした。

“-何を今さら。忘れていたくせに。”

別荘地の森の中にたたずむ屋敷に住む私は、しばしば見知らぬ女に過去をなじられる夢を見る。

ある秋の夕暮れ時、籐椅子に座って降り出した雨にかすむ広い庭を眺めていると、大木の根方に座り込む一人の女性が目に入る。

時折光る稲妻に、動けなくなったようで、私は手を引いて家の中に招き入れた。

県道を隔てた西の森に住んでいるという梓と名乗る女性は、ご恩返しをしたいということで奇妙な提案する。それは生きていても死んでいても構わないので、会いたい人に会わせてくれるというものだった・・・。

 まず読み終えて感じたことは、この作家の尋常じゃない人生の経験値と観察眼の鋭さだ。

梓という謎の女性に連れられて行った屋敷の中で行われる降霊会。

少年時代につらい別れをした友人のキヨを念じたことから始まる、霊との交信により、封印していた過去の記憶が蘇るんだけど、呼び出された霊たちが告白する夜話が、恐ろしいほどの生々しさで語られる。

まるで実在の人物の出来事のように掘り下げられる心情は、読む者の心の痛みを伴わせる。

さらに犯罪者の告白に至っては、その一方的で胸が悪くなるほどの不条理な論理は、もはや犯罪者の心理そのものだっただろう。

それから最初の霊が現れた時点で、ある映画を思い出した。

ニコール・キッドマンの「アザーズ」だ。

最後は絶対あのどんでん返しだろうなあと思ったが、見事に外れてしまった。

でもああいう展開でも面白かったんじゃないかなあと、今でも思っているが。

冒頭で主人公に“この齢まで生きて、悔悟のないはずはない”と語らせている。

この一言で、読み手は自身の思い出したくもない記憶を辿らさられることになり、無理やり穿り返される暗い記憶は、物語と一体になって切なさを募らせる。

時代の波にのまれ、偽りの幸福をつかのま享受し、自身も気が付かないうちに本当の自分を見失ってしまっている。

すべてを時代のせいにしてはいけないが、その時代に生きる者は、それを大抵は気が付かない。

人は幸福に生きるために、忘れるという技術を身に付ける。

ただ、よりよく生きるために、過去の罪を悔い改めることも時には必要なのかも。

なあんて、この作品のテーマがこんな教会の懺悔室に無理やり放り込まれるようなことだったら、この作家、そうとう鼻持ちならない。

巻末の解説で、吉田伸子という方も、

“浅田さんが書いてきた物語には、いつもどこかに、善く生きることへの想いがある”

なんて書かれているが、本当にそうだろうか。

最初に「勇気凛凛ルリの色」を読んでしまった私には、そんなきれいごとを言えるような人物とは到底思えない。

返す返す最初に「勇気凛凛ルリの色」を読むんじゃなかったと、この作家を色眼鏡てみてしまうことを後悔しているんだけど、この物語のテーマは“許し”でしょうね。

そしてもう戻ることないその瞬間に感じたことを、素直に言葉にする勇気なんじゃないだろうか。

それはたった一言の「さよなら」という言葉かもしれない。

そんなかけがえのない大切な瞬間を、大事にしてほしいというメッセージも込められているんじゃないだろうか。

ただこの物語、主人公の少年時代と青年時代の2部構成のようになってるんだけど、この二つのストーリーがあまり絡み合ってなくて、違和感を残す。

ちょっと消化不良になってしまったこともあり、俄然浅田次郎の真骨頂が知りたくなったので、次こそは代表作の「鉄道員」を読んでみることにしよう。