さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

無事退院し、I老健に戻りました

2024-06-03 22:47:26 | 肺炎

病院と老健の対応力の違いなんでしょうが、病院では毎日さっちゃんに直接面会できるのが嬉しかったですね。

老健に戻ると、さっちゃんに対してのキメ細かな介護があって、僕もより安心ですし、さっちゃんも心地よいのではと思います。

ただ、老健に戻ると、直接面会は出来なくなります。

窓越しの通話機を使った面会です。

 

5月30日16:21。病院での最後の面会です。いつも通り、僕がさっちゃんの目の前に顔を出すと、「あ~う~」と何やら小声で少し喋ります。僕の顔の印象、記憶が少しでも残っているのなら嬉しいですね。

 

この日はその後で『オッペンハイマー』を観るので、面会は15分で切り上げました。

さっちゃん、ご免ね。

『オッペンハイマー』は3時間もの大作で、アカデミー賞も受賞しています。

しかし、感動作とは思えませんでした。

扱っているテーマが重いばかりで、映画としては失敗作ではないかと感じてしまいました。

映画として観せるのではなくて、書籍として読ませるべき作品だと思いました。

 

5月31日6時半にアラームで目を覚ましました。

この日はです。

バタバタと準備をし、前日の食器を洗い、朝食を作りました。

自転車でなく、歩いて病院まで行くので、早めに家を出ます。

病院に着くと、入退院受付で入院費を精算しました。

そして病室へ行き、さっちゃんの荷物を背負って来たザックに詰めます。

介護タクシーの会社が用意してくれたストレッチャーにさっちゃんは移されています。

で、介護タクシーの運転手さんと病院を出ました。

病院の玄関を出ると、いきなりの強風でさっちゃんに掛けられていた薄手の羽毛布団が飛ばされてしまいました。

地面に落ちて少し濡れた面を上にして、さっちゃんに掛け戻します。

そのストレッチャーは介護タクシーにしっかりと固定できるようになっていますね。

 

5月31日9:43。介護タクシーの中です。僕はさっちゃんの横の席に座ることが出来ました。さっちゃんは真上の天井を見つめ続けていました。よく揺れますし、右や左に移動しますから、さっちゃんはどんな気分なんでしょうね?

 

I老健に到着すると、さっちゃんはしばらく玄関ロビーで待たされます。

ストレッチャーから老健のリクライニング車椅子に移されました。

羽毛布団もなくなったので、さっちゃんの荷物からミニ毛布2枚と肩掛けを掛けてあげました。

コロナの抗体検査(だったかな?)の陰性結果待ちです。

陰性が分かると、僕もさっちゃんも面談室へ。

さっちゃんは体重を計ると、3階へ行ってしまいました。

これで、しばらくは姿を見ることが出来なくなります。

 

その後、さっちゃんの荷物を老健の人に渡し、医師の説明を受けます。

再入所になりますから、入所手続きの幾つかの書類にサインしました。

次回面談予定が決まり、この日やることの全てが終了しました。

 

雨は止んでいて、買い物をしてからシティバスで帰宅しました。

疲れました。

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月末の退院が決まりました。嬉しくもあり、寂しくもあり

2024-05-29 23:13:00 | 肺炎

痰の吸引は4時間おきくらいになってきていますから、I老健へ戻れる条件は整いつつあります。

病院はI老健よりも近く、15分間だけですけれど、毎日面会もできます。

しかも、直接面会できますから、手で撫ぜたり、鼻を擦り付けたり、唇を当てたりだって出来ました。

I老健では窓越しの面会週1回だと思います。

寂しい限りです。

退院の日が近づいていることを肌で感じ始めていました。

 

5月27日16:57。うたた寝してしまって、目が覚めて、慌てて時計を見たら、16時半でした。一瞬、「これは無理だ、今日は面会できない」と思いましたが、すぐに気を取り直して急いで準備。自転車で病院へ。面会が許される時間は17時までです。それまでにNSに到着すればいいと思い、ぎりぎりセーフ! いったん病室に入れば、許された15分間いたって構いません。あまり長くなると、事務の方が声掛けに来ますけれどね。僕の手も写っていますね。さっちゃんの手、額、顎、頬、鼻、肩、・・・・。あらゆるところを僕は触り、撫ぜます。

 

病室に入って、僕はさっちゃんが目を開けているかどうかをまず見ます。

五分五分くらいの確率で目は開けていますね。

目が開けられていたら、何か喋っていないかなと聞き耳を立てます。

極々たまには喋っていることもありましたが、普通は無口です。

それから、さっちゃんの顔の前に現われて、「さっちゃ~ん、こんにちわ!」と挨拶するんです。

さっちゃんは表情は変わらないのですが、「あ~、う~」などと喋り始めるんです。

そういうことなどを確認するのが、嬉しいですよね。

 

5月28日16:00。この日は一日中雨予報の日でした。歩いて病院へ行こうと外へ出ると、雨は降っていません。道路も乾いています。すぐに戻って、自転車で行くことにしました。そろそろ洗濯物があるころと思っていたのですが、ありません。この3日間の排便記録は全部「-」です。寝巻きが汚れることはありませんしね。

 

写真では撮れませんでしたけれど、さっちゃんの表情が一瞬笑ったように感じられました。

大笑いを10、無表情を0とすれば、どれくらいの笑いのレベルかと言えば、1か2でしょうか。

「僕の気のせいだよ」と言われれば、そうかもしれませんね、反論できません。

でも、ちょっとでしかありませんが、笑ったように見えたんです。

それだけで、僕は幸せを感じることが出来ました。

 

5月29日15:49。この日はちょっと大人しいさっちゃんでした。目を開けている時間がいつもの半分くらいでした。開け方もあまりパッチリではなかったですね。眠たかったのでしょうか?

 

NSで事務の方に呼び止められました。

相談室と連絡を取ってくださったようです。

「ここで会いますか? それとも後ほど電話で話されますか?」

僕はここでしばらく待つことにしました。

相談室に連絡を取ろうとしてくださいますが、なかなか繋がりません。

しばらくすると、電話(院内用?)を持って来て、「これで話します?」と。

で、相談室の方と話をしました。

「痰の吸引が1日5回くらいまでになっているんですよ」

「I老健さんでもこれくらいの状態なら受け入れは可能だということです」

「退院が可能な状況ですが、どうされますか?」

もちろん、僕としても退院には賛成です。

老健では介護面が病院よりも充実しますから、さっちゃんもより心地よく過ごせることでしょう。

「では、月末の退院にしましょうね」

と言うことで、5月31日(金)の退院が決定しました。

 

この後で、入退院手続き窓口で入院費用のおおよその額を教えてもらいました。

退院の日に支払う必要があるからです。

退院は嬉しいことですが、毎日直接面会できなくなると思うと、寂しくもありますね。

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さっちゃんの退院は嘔吐があって延期になりました。今月中に退院できるかな?

2024-05-26 23:09:29 | 肺炎

いろいろとやらないといけないことがあったりして、バタバタと暮らしています。

僕自身も遊ぶところはしっかりと遊び、それが自らのリハビリにも繋がっていますし。

さっちゃんとの面会も日常のルーティン化しています。

もう退院している予定でしたが、嘔吐があって延期されました。

 

5月16日。この日は天覧山での岩トレをしました。自分自身のリハビリを兼ねて、岩にも少し触っておきたかったのです。平日なので独りで行なうことになるだろうと思っていたら、2人も一緒にやってくれることになりました。嬉しいことですね。天覧山に向かう時、病院から電話がありました。退院についての話でした。

 

この日までは、さっちゃんは20日退院することに決まっていたのです。

 

5月17日15:05。この日はさっちゃんの妹さん二人が面会することになっていました。僕も妹さんにお願いすることがあったので、病院には行っていました。ところが、さっちゃんはこの日、嘔吐して熱も少し出たようです。薬の投与もあったでしょうから、この日のさっちゃんは目を閉じて眠り続けていました。妹さん達には不運な日でした。

 

NSの事務の方が、僕に「ちょっとだけなら面会していいですよ」と言ってくださいます。

面会ルールでは2人までですから、もう僕は面会できないはずなのです。

嬉しいことですね。

それで写真も撮れました。

目は閉じたままです。

嘔吐したとのことですから、洗濯物もあります。

家でチェックすると、右袖に嘔吐物が付着していました。

胃液のようなものなのでしょうか?

それほど大量ではありませんから、洗濯はそんなに大変ではありません。

 

5月18日16:50。嘔吐の影響が心配されましたが、大丈夫でした。熱も下がったようです。少しは誤嚥があったかもしれませんが、肺炎を悪化させるほどではなかったようです。

 

5月19日11:39。僕のリハビリ山行に付き合ってくれているT橋さんと二人で奥多摩を歩いて来ました。倉沢見通し尾根ですが、途中、廃村にも寄ったりしました。この日のゴールだった一杯水避難小屋では10数年ぶりの出会いもありました。20年ほど前、よく一緒に岩、沢、雪山へ行っていた若者です。結婚後、危険な山行は止めて、今は50代になりましたが、フリークライマーとして5.14クライマーになっています。凄い! 僕同様、シロヤシオを見に来たそうですが、どうやら今年は裏年のようですね。写真は倉沢見通し尾根上部の落葉広葉樹林です。この辺りがとても綺麗です。

 

5月20日16:26。この頃からの正確な記憶が無くなっていますね。さっちゃんの体調にも変化はないようでしたし。

 

どの日だったかは覚えていなかったのですが、洗濯物が便で汚れていたことがもう1回ありました。

前回と比べると、微々たる汚れでしたから、洗濯も楽でしたね。

 

5月21日15:47。19日の山行の筋肉痛が残っていたのですが、天覧山に誘われました。体を動かした方が筋肉痛にも好影響かと思います。写真は、ちょっと変化のあるルートにチャレンジしてもらった時のものです。

 

5月22日15:30。体調も安定しているので、退院の話も再び持ち上がって来ました。

 

5月23日16:28。いつものことですが、僕が目の前に現われると、何やら声を発してくれます。看護師さんやPTさんが来た際も何やら喋るみたいですね。この日だったか、点滴の針を看護師さんが足の血管に入れようとしていました。さっちゃんはその瞬間、痛いですから足を動かし、痛がる声を発します。

 

5月24日16:41。体調は安定しているようですね。痰の吸引も最初のころは2時間おきとのことでしたが、もう4時間おきくらいになっているようです。

 

5月25日16:15。この日、僕は沢登りする予定でしたが、前日からの腰痛が回復せずに行かないことになりました。で、さっちゃんの元へ。そろそろI老健へ戻る話も具体化するのではないでしょうか。

 

5月26日成木の森トレイルランに参加したS上さんと夕方T川で会いました。

お仲間のランナー二人とも一緒です。

約20kmの山道を3人とも3時間とちょっとで走り抜けたそうです。

凄いですね!

さっちゃんには明日会いに行きます。

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さっちゃんの退院が近いかもしれません

2024-05-17 22:13:07 | 肺炎

5月14日の朝9時41分、前日にひき続き病院から電話がありました。

前日のこともありますから、さほど心臓には負担がかかりませんでした。

前日に「相談員の方からも電話が行くと思います」と言われていましたし。

とは言え、やっぱり病院からの電話は嫌なものです。

 

やはり相談員さんからでした。

さっちゃんの転院先や療養病棟への移動についてだろうと思いました。

ところが、そうではありませんでした。

なんと! なんと! いきなり退院についてでした。

 

5月14日15:23。この日のさっちゃんはどんな風だったのでしょう? この日の面会から数日後に書いていますから忘れてしまいました。僕だって数日後にはいろいろ忘れてしまうことがあるのですから、さっちゃんは僕が連日面会に来ていることを覚えていないのかもしれませんね。それでも、僕は会えることが嬉しいです。

 

この日も朝に、退院についての電話が掛かって来ました。

内容は前日のと同じですね。

 

5月15日16:40。この日もさっちゃんはよく目を開けてくれています。それに何やら喋ってもくれます。意味は感じられませんが、僕に語りかけてくれてるように感じます。僕がいない時、一人でいる時は、こんな風に声を発しているのでしょうか? 目の前に人がいるから喋っているのだとすると、やっぱり僕に語りかけているんだと思います。

 

僕の勝手な思い込みなのかもしれませんが、さっちゃんは僕を見つめてくれていると思います。

もちろん、赤ん坊がそうであるように人の顔をとりわけ強く認識しているだけなのかもしれませんが。

 

この日は洗濯物も箪笥の棚の中に入っていました。

メモ用紙が貼ってあって、どうやら汚れているようです。

汚れているということは、便か尿か、ですね。

帰宅してから、洗濯物をチェックしてみました。

浴衣の寝巻きのお尻より下に便がたっぷり付いていました。

オムツから漏れて出て来たんですね。

お風呂場で便で汚れた部分にお湯を掛けて便を落とします。

バケツで受けているので、バケツの中のお湯をトイレの便器に運んで流します。

お湯を掛けるだけでは落としきれませんから、結局最後は素手で落としました。

ヌルッとした感触が手に感じられます。

自宅で介護していた頃にも便との格闘はよくありましたから、久し振りで懐かしくさえありますね。

浴衣の寝巻きに付着したヌルッとした手触りがほぼ無くなって、その寝巻きを洗濯機にかけました。

洗い終えて見てみると、便で汚れた部分が黄色っぽくなっています。

どうすればいいんだろう?

あっ、そうだ! 漂白剤を使おう!

これまでの人生で僕は漂白剤なるものを使ったことがありません。

探してみると、ありました。

さっちゃんが買っておいたのですね。

細かな文字で書かれた使用方法を何とか読み解いて、バケツにお湯と漂白剤を入れました。

そして、そこに寝巻きの黄色く色の付いた部分を浸しました。

書いてあった時間浸して、ビニール手袋をはめた手で絞って確認すると、黄色みが消えています。

さらにお湯で何度かすすいで、2度目の洗濯機にかけました。

洗濯終了し、薄暮の中、ベランダにひとつ寝巻きを干しました。

その日の晩はそれから雨なんです。

でも、翌日(16日)は山の仲間と天覧山で岩トレしますから、朝はバタバタしています。

とりあえず、夜から干しておくことにしました。

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連日、さっちゃんと面会できるのが嬉しいですね

2024-05-14 13:17:40 | 肺炎

5月7日(火)は、本来ならばI老健でS田さんと面談を行なう日でした。

入院すると、いったん退所扱いになるようで、入所者ではありませんから面談もありません。

そればかりか、さっちゃんの持ち物を全部持って帰らなければならないんです。

まあでも、持ち物のほとんどは入院生活で必要なものでしょうから、どうせ運ばなくてはならないのですけれどね。

 

この日は午後から雨が降りやすくなる予報でしたから、雨の予報と睨めっこしながら、自転車で出かけました。

100リットルの登山用ザックを持って行きます。

I老健に着くと、さっちゃんの荷物が手押しの荷台に載せられて大きな段ボール箱に入っていました。

たいした量はなくて、70か80リットルくらいの量で収まりました。

そして、病院へ自転車を走らせます。

さっちゃんの居る病棟のNSへ行くと、面会の手続きをします。

荷物は適当に備え付けの箪笥に入れればいいとのこと。

5月7日14:39。さっちゃんは窓際のベッドにいました。マスクはしてなくて、酸素チューブは鼻に入っています。頭の下にはアイスノンのようなものがあります。勿論いろんなセンサーや点滴も。

 

写真の右端にちょっとだけ見えているのが箪笥です。

細長くて、容量はほんの少しです。

そこに衣類や口腔ケア用のもの、入院中に必要そうなものを入れました。

寒い時用の膝掛のようなもの等は持って帰ることにします。

 

荷物整理が終わると、さっちゃんのそばへ。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」

「大変だったね~」

「目を開けてごらん」

と語りかけます。

老健での面会と違うのは、さっちゃんが目の前に居ること。

さっちゃんの手を持ち、時々顔を撫でたり出来ることです。

さっちゃんはどう思い、感じているんでしょう?

解熱剤も投与しているでしょうから、この時はさほど熱は高くありませんでした。

そして、ほんの時にですけれど、目を見開いてくれます。

うっすらと半分ほど見開くだけですけれど、僕を見てくれます。

僕のことを分かってくれているかどうかは分かりません。

でも、その一瞬だけでも見てくれれば、ほんのちょっとは幸せな気分になれます。

 

5月8日14:53。酸素チューブが鼻から外れましたね。それだけ容態は良くなっているのだと思います。この日はあまり目を開けてくれませんでした。でも、この写真では左目が少しだけ空いてますね。

 

ティッシュがなかったので、家から持って来ました。

前日は病院の用意した寝巻きを着ていましたが、この日はさっちゃん自身の寝巻きでした。

看護師さんは浴衣タイプの方がいいと言っていましたが、着ているのはパジャマタイプのでした。

看護師さんが来たので、「今日は熱が下がって来たようですね」と僕が言うと、

「でも、朝は40度ちかくあったんですよ」とのこと。

痰の吸引も2時間おきに行なっているそうです。

 

5月9日15:59。ほんの時々、うっすらと目を開けてくれるさっちゃんです。この日は左目だけでなくて、右目も一緒に開けてくれることがありました。この写真も、右目が本当にうっすらと開いてるように見えますね。

 

この日はなかなか目を開けてくれませんでした。

と言うか、完全に寝ている様子でした。

それでも、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、目を開けてごらん」と呼びかけ続けました。

だいぶん経って、声を発するようになり、目をうっすらと開けてくれました。

しかも、両目を。

まあ、すぐに目は閉じるんですけどね。

さっちゃんの両手はかなり拘縮していて、胸の前で組んだ状態になっています。

指も握った状態になっています。

その握られた左手の指の中に、僕の指を差し込みます。

僕はさっちゃんの指を擦り、手の平を擦ります。

さっちゃんは赤ん坊のように僕の指をちょっと強く握るように持つんです。

赤ん坊と同様の反射反応なのでしょうかね?

 

箪笥に紙が貼られていて、オムツチェックの記録(多分)が記されていました。

尿と便の記録が+と-で記されています。

尿は常に+、便は全部-でした。

看護師さんが来たので、さっちゃんが便秘気味だと話すと、

「まだ食事をしていませんからね」と言います。

胃瘻からの食事をしていないので、排便が無いのが普通だと言うことでしょう。

栄養も水分も今は点滴を通じて摂っているんですね。

看護師さんに、家からタオルとバスタオルを持って来たことを告げました。

 

5月10日、病棟のNSへ行くと、

「今、1階で検査してますから、しばらくデイルームで待っていてください」と言われました。

で、待っていると、事務の女性が

「4時半くらいに検査が終了するそうです」

「エレベーターで上がって来ますから、来たら一緒に病室に向かってください」

と伝えに来てくれました。

5月10日16:46。検査帰りなのでマスクをしていますね。出かけていたので、意識がはっきりしているようです。目もしっかり開けてくれています。声も出ていました。

 

洗濯は僕がすることにしています。

「分かり易い所に置いておきます」とのことだったのですが、探しても見つかりません。

帰り際、事務の女性にそのことを話すと、病室に行って探してくれました。

見つかりました。

そして、僕を病室に連れて行って、置いてあった場所を教えてくれます。

箪笥の中に、ビニール袋を固く縛って「洗濯物」と書いて置いてあったそうです。

ちょっと分かりにくい場所でしたが、こんな所に置くことがあると分かったので、次からは大丈夫でしょう。

 

5月11日は手術して退院後、初めて沢登りに行きました。会の仲間3人が僕をサポートしてくれました。小さな易しい沢を登ることが出来ました。本当に嬉しいことです。山仲間の優しさに感謝! 写真はこの沢の核心部の滝を登っている僕です。ザイルで確保してもらっています。

 

この日は面会は出来ませんでした。

夕方5時までしか面会できません。

 

5月12日16:19。入院してから、この日が一番パッチリと目を開けてくれていました。声もよく出ていて、高音の声を発してくれていました。

 

金曜日に受け取った洗濯物を12日の日曜日に洗濯しました。

まず、さっちゃんの服を洗濯し、干します。

続いて、僕が沢登りで汗まみれになった服を洗濯しました。

この日は陽はあまり照りませんでしたけれど、風があって、洗濯物はよく乾きました。

ですから、面会の時に持って行くことが出来ました。

 

5月13日(月)の9時24分、さっちゃんが入院している病院から電話が入りました。

さっちゃんが急変でもしたのかと、ドッキリします。

すぐに、そんな Bad News でないことが分かってホッとします。

さっちゃんの容態が安定しているので、この先転院するか同じ病院の療養病棟に移るかの可能性があるとの話でした。

以前もそうでしたが、肺炎自体が収まって来ていても、痰の吸引がまだ必要なんです。

夜も2度3度、痰の吸引をしなければなりませんから、I老健ではまだ受け入れられないのです。

I老健には看護師さんがいますが、せいぜい夜に1度の痰の吸引が出来る程度の体制なんだそうです。

 

この日はでした。

僕は病院まで歩いて向かいます。

5月13日16:25。前日ほどはパッチリとは目が開いていませんが、よく僕の方を見てくれています。時々、視線もよく動いていました。

 

看護師さんが来て、痰の吸引をしてくれました。

からだけしていました。

カテーテルを鼻から入れると、さっちゃんは嫌だと言う声を発します。

嫌に決まってますよね。

僕も自分でカテーテルを鼻から入れてみたことがありますが、実に不快です。

口から喉へは、いったん入れると少し慣れて、あまり不快には感じなくなります。

でも、鼻は違います。

慣れません。

不快極まる感じが続きます。

痰の吸引も2時間おきだったのが、今では2~3時間おきになったそうです。

そして、この日から胃瘻を使い始めたそうです。

もちろん、まだだけだそうですけれどね。

すぐに栄養を入れると、胃がビックリしてしまうので、最初は慣らすことから始めるようです。

箪笥に貼ってある、さっちゃんの排尿と排便の記録を見ると、前々日から排便の欄に「+」が記されています。

栄養はほとんど摂っていないそうですから、宿便か何かなんでしょうかね?

少しずつ胃腸も活動し始めているということなんでしょうね。

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嘔吐からの誤嚥性肺炎で、さっちゃんは救急搬送されました

2024-05-07 22:17:41 | 肺炎

5月6日(月)の朝、I老健から電話が入りました。

「さっちゃんが昨晩嘔吐して、発熱があります。酸素も使っています」

その後、I老健の看護師さんとも話し、

「今日は連絡が行くかもしれませんから、電話を気にしておいてください」と言われました。

僕はそれを了解し、次のように伝えました。

「今日は用があってこれから埼玉県の方へ出かけます。戻るとしても少し時間が掛かります」

その時点では、さっちゃんの詳しい容態は僕には分かっていませんでしたから、最悪のことまで予想していました。

このまま危篤状態になって、最期を看取れなかったらどうしよう?! と。

そんなことを想像すると、が滲み出て来そうです。

 

この日は僕が所属している山岳会YYDのI橋さんから誘われて、天覧山で岩トレをする予定でした。

もう一人参加者はいるのですが、岩登り初心者なので、I橋さんのためにも僕は参加してあげたいと思っていたのです。

電車に乗っていると、I老健から電話が掛かって来ます。

座席を離れ、車両の隅へ行き、小声で話をしました。

「これから救急搬送することにしたので、急ぎその病院まで来てください」と告げられました。

僕はすぐ戻ることにし、同じ電車に乗っているはずのI橋さんを探します。

彼はすぐに見つかり、事情を告げて次の駅で僕は下車しました。

隣りのホームに電車はすぐに来て、僕はそれに乗って戻りました。

駅からはタクシーでまず自宅に戻り、自宅からI老健に電話を入れました。

救急車がもうすぐ来て、病院へ搬送される直前のようです。

病院は以前にも肺炎で入院していた近くの病院です。

 

さっちゃんの保険証などを持って、自転車で病院へ急ぎました。

休日ですから、正面玄関は閉まっています。

夜間通用口から入り、受付で聞くと、さっちゃんが待機している部屋に連れて行ってくれました

 

▲11:13。さっちゃんがいました。見た感じでは、苦しんでいる様子はありません。体温が38.9度あったことを聞いていたのですが、熱っぽい感じもありません。ただ、目を開けることはなく、声掛けしても反応してくれません。血圧、心拍数、呼吸等をカウントするセンサーが体に付けられています。マスクで隠されていますが、鼻には酸素を送るチューブが入っています。

 

スタッフの一人にちょっと離れた場所に連れていかれ、延命措置について確認されました。

僕もこれまで何度も確認されたことなので、感情的になることなく淡々と答えました。

強制的な延命措置は採らないということの確認です。

心臓への電気ショックとか、人工呼吸器とか、を使用しないことの確認ですね。

 

他にも幾つもの書類の説明を受け、サインをしました。

 

時間が空くと、僕はさっちゃんに声掛けします。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」

目は開けてくれません。

点滴などの影響なんだと思います。

 

しばらくすると、病棟へ移動することになりました。

僕も一緒にエレベーターで病棟へ。

さっちゃんは自分の病室へ向かいましたが、僕はデイルームで待つことになりました。

入院に関するより具体的な説明を看護師さんから受けました。

担当医師からも説明を受けました。

この病院では現在、直接面会することが出来ます。

15分間だけですけれど、病室で会うことが出来るのです。

医師に「明日にも面会は可能でしょうか?」と聞くと、

「もちろんですよ。患者さんにとって良いことなので、是非に来てください」と言ってくれます。

「よしっ、明日は病院へ来る用事があるので、面会しよう!」と決めました。

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介護ベッドが返却されて、寝室が殺風景になってしまいました

2023-05-19 12:34:17 | 肺炎

2月14日の聖バレンタインデイにさっちゃんは自宅に戻って来ました。

そして、3月6日には誤嚥性肺炎で入院となってしまいました。

今日まで介護ベッドや車椅子、吸引器などは返却されないままでした。

入院後しばらくしてから、レンタル用品会社に事情を連絡し、その時点でレンタル料金はストップします。

後は都合のいい時に回収に来てくれる訳なんですが、それが今日の午前中でした。

 

I老健でショートステイ中に嘔吐し、誤嚥性肺炎ということで救急搬送されましたから、車椅子はI老健で回収されたようです。

介護ベッドと吸引器は我が家からの回収でした。

一度も使うことのなかった吸引器は小さいですからともかく、大きな介護ベッドがなくなると、部屋は急に寂しくなってしまいます。

さっちゃんが居なくても、介護ベッドにはさっちゃんの存在が微かに感じられます。

それすら無くなると、寝室は本当に僕だけの寝る部屋になってしまいました。

 

1ヶ月半分のレンタル料金を支払って、担当者が帰る時、僕はこんな言葉をかけました。

「またの機会にはよろしくお願いします」 ・・・・ と。

そう言いながら、僕は内心で考えています。

「この言葉が本当になればいいな」 ・・・・ と。

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療養病棟の担当医師から説明を受けました。そして、・・・・

2023-04-06 23:46:16 | 肺炎

一昨日のこと、さっちゃんが入院している病院から電話がありました。

一般病棟から療養病棟に移ったことと担当医師との面談の場を持つ予定だということでした。

面談の予定日を3日、候補として上げてくれました。

そして今朝、再び電話があって、「今日の4時からいかがでしょう?」と。

 

4時前には病院へ行き、受付に入院申込書兼誓約書を提出、さらに療養病棟へ入る許可を受けました。

療養病棟のナースステーションへ行き、すぐに医師との面談が始まりました。

医師からの説明は、先日相談員さんから聞いた説明とさほど大差はありませんでした。

でも、1点だけは大きな違いがありました。

それは痰の吸引に関してです。

相談員さんからは2~3時間おきと聞いていましたが、今では1日に3、4回に減って来ているようです。

熱も、時には37度を超えることもあるようですが、普段は落ち着いている様子。

ただ、便秘に関しては相変わらずで、4日間出なかったこともあるようですが、薬や浣腸等しているようです。

 

あと、胃瘻の交換についても聞きました。

僕の知っている経緯も話しました。

すると、入院中に胃瘻交換を行なった方がいいと言っていただけました。

そうなると、いいなと思います。

 

さらにさらに、驚いたことに、「さっちゃんと面会できますよ」と言うんです!

「抗原検査とかするんですか?」と聞くと、「15分ほどなので必要ないですよ」とのこと。

医師との面談が終わり、必要書類へのサイン等が終わると、ベッドごと僕がいた場所まで運ばれて来ました。

 

さっちゃんは寝ているようです。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、目を開けてごらん」と僕は呼びかけます。

何度も、何度も。

でも、さっちゃんは目を開けてくれません。

寝ているのでしょうか?

でも、さっちゃんは何やら小声で喋り始めました。

起きてはいるようですね。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、僕だよ~、目を開けてね」と繰り返し呼びかけます。

さっちゃんは何やらブツブツと小声は発しますけれど、目は全く開きません。

▲入院した時に会って以来、およそ一ヶ月ぶりのさっちゃんとの再会です。

 

15分間(くらいなのかな?)ほどの面会時間の中で、一瞬だけ薄眼が開きました。

僕の顔は見えたのかな~ぁ?

次に目が開いたら、マスクを外して僕の顔をちゃんと見てもらおうと気構えていましたが、目は開きませんでした。

さっちゃんのベッドサイドには点滴の袋が吊るされていました。

さっちゃんのすぐ横には小さな計器があって、そこから数本の細い線が出ていました。

さっちゃんの指先にも何やら付いていましたから、血圧や脈拍数やSpO₂などを計測しているのでしょうね。

僕はさっちゃんの手をずっと握っていました。

さっちゃんは握り返したりはしませんが、ほんの少しでも心が通じるような気がします。

自己満足かもしれませんが・・・・

さっちゃんは以前よりも顔の肌が乾燥している感じがしました。

3月1日のショートステイ出発前のさっちゃんに比べると、どうしても生気に欠けるように思えます。

それは誤嚥性肺炎を発症した訳ですから仕方がないことなんでしょうね。

ただ、実際に会うことが出来て、少しはホッとした気持ちになれました。

月に1回面会が出来るんだそうです。

今日の面会は特別なのでカウントはされないそうです。

「今月末に面会するのがいいと思いますよ」と、看護師さんは言ってました。

 

医師との面談の中で、僕は聞き忘れたことが幾つかありました。

聞くべきことをメモして臨むべきだったと反省しきり。

さっちゃんの療養病棟入院がどれくらいの期間になりそうか? とか、肺腺癌についてとか、聞くのを忘れてしまってました。

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病院の相談員さんから連絡が入りました

2023-03-31 23:22:11 | 肺炎

今日の1時29分、さっちゃんが入院している病院の相談員さんから電話が入りました。

「療養病棟に空きが出たので、4月4日にそちらへ移ります」との報告でした。

同じ病院内での移動なので、連絡なしにすでに移動しているのかな、とも思っていました。

でも、わざわざきちんと連絡をくれるのですね。

 

その電話で僕は幾つかの質問をしました。

第1に、痰の吸引はどれくらいの頻度かということ。

2~3時間おきだそうです。

第2には、今現在どのような方法で栄養を摂っているかということ。

もうすでに経管栄養になっているそうです。

200Kcal×3で、1日600Kcalのようです。

それはいいですね。

嬉しいです。

第3は、入院申込書兼誓約書のことです。

僕は昨日、さっちゃんの妹さんにお会いして、連帯保証人欄に記入・捺印してもらいました。

この書類は退院までに提出すればいいとは聞いていたのですが、一般病棟から療養病棟へ移る前に提出する必要があるのかも、と心配もしていました。

でも、もっと後でもいいみたいですね。

療養病棟へ移ることになれば担当医師も代わって、「お医者さんからの説明があるはずだから、その時でいいですよ」と言われました。

 

熱も下がっているようですし、痰の吸引の頻度がI老健でも受け入れられる程度まで収まれば、いいのですけれどね。

 

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さっちゃんは退院後、療養病棟に移動するようです

2023-03-23 22:25:41 | 肺炎

先週、担当のお医者さんから電話があって、「今週中くらいには退院する予定だ」と聞かされていました。

「相談員の者から電話が行くでしょう」とも聞いていました。

昨日の11時34分、ちょうど天覧山にいてトラバースを終了させていた僕に病院から電話が入ります。

病院からの電話は基本的には驚きますし、不安になります。

でも、おそらく相談員さんからだろうな、と予想できていましたから、この時はさほど不安にならずに済みました。

予想通りで相談員さんからでしたが、その内容には驚くしかありませんでした。

予期せぬ内容だったからです。

 

退院後、すぐに自宅へ戻ることは困難だろうとは予想できましたけれど、当然病院から老健へ移るものと思っていました。

それが老健側が「受け入れ困難だ」と返答したんだそうです。

その理由ですが、さっちゃんの現状は痰が多く出ているからなんです。

そのため夜中でも何度も痰の吸引をしなければなりません。

夜中に1回程度なら老健でも大丈夫なのですが、(例えば)2時間おきにとなれば、充分には対応できないのです。

(上記内容は相談員さんの言葉ではなく、僕の類推です)

 

それでどうなったかと言うことですが、病院には療養病棟と言う施設があるのだそうです。

そこでもっと落ち着いた状態(老健へ移動できる程度の)になるまで過ごすことにしたいという訳です。

僕に対して、その許可を得るための電話でもあったのですね。

僕はもちろんOKです。

 

療養病棟、その後の老健、さっちゃんが自宅に戻って来れるのは何ヶ月も先のことになってしまいそうです。

コロナ禍でなければ、自由に面会も出来ますし、さほど寂しさもないのでしょうけれど、今は面会すら出来ません。

さっちゃんは失語症ですし、自分の意志や感情を表わすことが出来ません。

ガラス越しやタブレット越しの面会もじれったさが増すだけで、何の意思疎通もできません。

でも、直接手を握ったり顔を撫ぜたりするだけで、僕の心は充分に満たされます。

さっちゃんがどう感じているのかは分かりませんが、僕にとっては確かなことなんです。

バレンタインデーからのさっちゃんと自宅で共に過ごせた2週間珠玉の日々だったんだと、今ではそう思えます。

再び、そんな日が来ることを強く願い続けたいと思います。

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