さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

「なんて素敵な笑顔なんでしょう!」と、相談員のS田さんは言いました

2022-06-29 23:58:11 | 介護老人保健施設(老健)

今週の月曜日、月に一度の相談員・S田さんとの面談がありました。

僕は実に久し振りのハードな山行の影響で、月曜日と火曜日疲労感に沈んでいて、ブログでの報告どころではありませんでした。

水曜日になって、食欲も通常の感じに戻って来ました。

ですから、やっとここにご報告できます。

 

面談がスタートするとすぐに、S田さんが言うんです。

「さっちゃんは最近笑顔をよく浮かべるんですよ!」

「なんて素敵な笑顔なんでしょう!」

「あんな表情をする人なんですね」

そう、そう、そうなんですよ!

さっちゃんの笑顔は最高なんですよ!

僕も「我が意を得たり」と嬉しくてたまりません。

 

認知症が重くなるにつれ、笑顔を浮かべることは少なくなりましたけれど、たまに浮かべる笑顔の素敵さは増したような気がしていました。

それが大腿骨骨折で入院し、肺炎で救急搬送され、立つことも起き上がることも、自分で食べたり飲んだりも出来なくなりました。

自力では何も出来なくなって、表情も失われてしまいました。

老健入所時は、体に触られると「いや!」という言葉だけは発していたそうです。

最近は「口腔ケアしましょうね」とかスタッフさんが声掛けすると、「は~い」と応えるんだそうです。

まあ、もちろん毎回そうだとは限らないと思いますけれど。

S田さんがおっしゃるには「ここでの生活(人や環境)に慣れてきたようですね」とのこと。

介護の方のコメント:発語も多くなっている。笑顔も多く見られている。

PTのコメント:リハビリ中、身体に触れるのに強い拒否はなくなり、アイコンタクトや笑顔が増えたようです。

STのコメント:入所時に比べ、声かけに対し笑顔で何か話したり、頷きがみられたりと表情豊かになっています。

 

老健での生活に慣れてきたというのも、体調の安定があるからだと思います。

体温、脈拍、血圧等も安定していますし、排便状況もまずまずのようです。

経鼻経管による栄養や水分の摂取も順調なようです。

鼻からの管は常時エヘン虫を感じてるようなものなのに、さっちゃんは一度も外そうとはしないそうです。

S田さんは「外すことが良くないことだと分かってるんでしょうね」と言います。

「それはどうなんだろう?」と、僕には分かりませんけどね。

 

僕は疑問に思っていた次の点も聞いてみました。

それは老健は3ヶ月間入所期間の限度なんじゃないか、ということです。

それ以上入所し続けるためには、途中で別の病院へ入院して、いったん退所として改めて入所し直すなどの対応をするのではないか?

そんな風に僕は漠然と思っていたんです。

それは、遅くとも3ヶ月後にはさっちゃんは退所して、僕との生活が始まるんだ、と希望的観測の裏付けでもあったのです。

でも、なかなか胃瘻造設手術の日程も決まりませんし、そんな楽観論は砕かれてしまいましたけれどね。

ただ、老健自体が病院と家庭の橋渡しのような役割をするのですから、「長居は無用」のような基本的考え方があると思っていました。

そんな風に考えていた僕に対する、S田さんの答えは以下のようなものでした。

「要介護1の方には3ヶ月以内という目安はあります。でも、要介護2~5の方にはそのような目安はありません」

 

そうなんですね。

3ヶ月間というのは無理でも、どちらにせよ短期間だとばかり僕は思っていました。

でも、少し長期戦になる可能性も考慮しなければならないようです。

 

他にも幾つかのことを話し、聞きました。

S田さんは胃瘻造設手術のことを医師に聞いて確認してくれるようです。

 

S田さんと別れ、I老健から帰りながら、僕はが滲んで来ます。

さっちゃんの笑顔が復活していることが嬉しくてたまりません。

直接、あの笑顔を見たくて仕方ありません。

だけど一方で、老健での生活に慣れるのに反比例して、僕のことを忘れているんじゃないかと寂しくなってしまいます。

僕に対していちばんの笑顔を向けて欲しいと願ってしまいます。

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令和3年分の確定申告をしてきました。え~っ!? 今ごろ?

2022-06-23 23:46:44 | 社会生活

遅ればせながら、今日やっと税務署へ行って、確定申告書を提出して来ました。

今年は本当に忘れてしまっていたんです。

2週間ほど前にそのことに気付き、すぐに作成しなければならなかったのですが、ウダウダと先延ばしにしてたんです。

さっちゃんの大腿骨骨折による入院に始まり、肺炎による緊急搬送、老健への入所と、心落ち着かない日々が続きました。

 

と言っても、僕は毎年確定申告書の提出は遅いんです。

国民としては怠惰のそしりは免れませんが、いい加減で自堕落な僕にはそれが普通だったんです。

一度(たった一度かい!)、3月に税務署へ行って提出したことがあったんです。

でも、その人混みを嫌に感じて、二度と3月には行きたくなくなりました。

それを過ぎると、人も少ないですしね。

でも、悪いことだという自覚はあるんですよ。

決められた日時は守らなければなりません。

 

書類を提出できてホッとしたので、この10年間の提出日を調べてみました。

2013年:5月31日    2014年:5月27日    2015年:5月20日

2016年:5月16日    2017年:5月1日    2018年:6月7日

2019年:6月6日    2020年:6月2日    2021年:5月28日

2022年:6月23日

今年はやっぱりダントツで遅いですね。

失念していましたからね。

そして、2016年からさっちゃんの確定申告書も僕が書いていますね。

さっちゃんが認知症との診断を受けた年からですね。

それ以前のさっちゃんの書類は僕の手元にはありません。

さっちゃんが自分で管理していたのでしょうから、どこかに仕舞っているのでしょうね。

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今回の日陰名栗沢は僕の新しいステージへの第一歩になると思います

2022-06-21 19:35:03 | ザイルと焚火と焼酎と

さっちゃんも僕も決して強い登山者ではありませんでした。

クライミングもさほど上手なわけでもありませんでした。

せいぜい中級の下、あるいは初級の上くらいのレベルだったと思います。

でも、二人でザイルを組んだりして、少しずつ自分たちの行きたい範囲を広げていきました。

二人とも山が好きで、山の自然が好きで、その中に浸ることが大好きだったからだと思います。

毎週のように二人で、あるいはそこに山仲間を加えて、山行を繰り返しました。

 

さっちゃんとの濃い想い出は山の中にあります。

ですから、僕はいつまでも山の中に浸っていたいと思うのです。

2020年12月6日がさっちゃんと歩いたハイキングの最後になってしまいました。

それから1年間は、僕自身も山に行けない日々が続きました。

僕の山体力はさっちゃんに恥ずかしいレベルまで落ちてしまいました。

それで2021年11月21日からスタートした僕の山体力復活作戦。

それから7ヶ月が経過しました。

僕の山体力復活作戦は第2ステージに入ります。

それが今回の日陰名栗沢でした。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

日陰名栗沢の遡行は僕にとっての山体力復活作戦の第2ステージです

 

▲11:55。日陰名栗沢は美しい日本庭園のような沢です。登攀的要素はなく、ひたすら美しい森の中を沢に沿って歩き続けるのです。

 

今回の日陰名栗沢から僕は『少し長い距離を歩く』シリーズと命名しました。

僕の命名好きや分析好きは許してくださいね。

その結果の詳細をここに記しておきます。

                 コースタイム  実際にかかった時間

東日原バス停~八丁橋        1時間        48分

八丁橋~日陰名栗沢出合       1時間        46分

(出合での準備                      26分)

日陰名栗沢出合~石尾根終了点    3時間30分   3時間53分

(装備解除の時間                     12分)

石尾根終了点~鷹ノ巣山避難小屋      50分      30分

鷹ノ巣山避難小屋~峰谷バス停    1時間40分   1時間20分

トータル              8時間     7時間55分

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深夜の雨や昼の雷雨でびしょ濡れの天覧山、でも、充実した岩トレが出来ました

2022-06-17 18:24:44 | ザイルと焚火と焼酎と

山岳会に所属するメリットは次の2点にあると思います。

①山の仲間と出会うことが出来る。

②山の技術の教育システムがある。

僕自身に関しても、①については今のYYDで十分に享受しています。

②に関しては、僕は年配者であり、様々な山行の経験者ですから、教える側の人間になることがほとんどです。

以前30年間ほど所属していた山岳会で、僕のお師匠さんから様々教えてもらいました。

岩登り、雪山、アイスクライミング、冬の岩稜登攀、等々。

 

という訳で、僕は新人2名の岩登りトレーニングを担当することになったのです。

梅雨の真っ最中ですから、天気が心配でしたが、何とかトレーニングすることが出来ました。

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

YYDの新人2人が天覧山で初めての岩登りトレーニングをしました

 

▲13:41。天覧山最下部の岩場で午後の練習スタートです。トップロープて哲さんが登っています。上まで来たら、右に垂れているザイルを使って懸垂下降をします。彼にとっては人生初の懸垂下降になります。その方法は僕が上にいて教えます。下では手伝いで参加してくれているK野さんが、最後まで確保してくれています。

 

▲15:19。この日のうちに懸垂下降だけは完璧に出来るようにしました。この写真のように懸垂下降しては、歩いて再び上に行って、また懸垂下降するのです。自信が持てるまで何度も何度も実践します。上ではK野さんがアドバイスとチェックをし、下では僕が対応します。もう一人の新人O崎さんもマスターできたようですね。

 

この日、僕には大いなる反省点がひとつありました。

それは岩トレ終了後の反省会(という名の打ち上げ)でのこと。

上記ブログの最後にも書きましたけれど、居酒屋さんを出るのが凄く遅くなってしまったのです。

僕は近いのでいいのですが、他の3人は遠くから来ています。

そんなことを配慮して、1時間は早く切り上げた方が良かったと反省しました。

 

下山後の打ち上げは緊張感が緩んで、解放感で溢れていますから、酒の上での失敗は数限りありません。

でも、こんな場にさっちゃんがいれば、いつもさっちゃんがコントロールしてくれていました。

だから、僕は何の心配もすることなく、下山後の解放感に浸りきることが出来ました。

思いっ切り、飲み、食い、喋ることが出来ました。

飲み過ぎているようなら、耳元で囁いてくれ、遠慮してあまり食べないメンバーには食事を勧めてくれていました。

帰りの電車の中でも、必ずどちらかが目を覚ましておくことにしていました。

たまに僕一人だけだったりすると、よく寝過ごして、遠くの駅まで行ったりしていたものです。

丹沢からの帰路、一度は正しく乗り換えたのですが、電車内で寝てしまったことがありました。

神奈川県まで行ってしまい、終電で何とか山手線までは戻ったのですが、結局、漫画喫茶に泊まったことがありました。

本番の岩登りでも、沢登りでも、雪山でも、アイスクライミングでも、冬の岩稜登攀でも、僕の大切なパートナーでした。

それ以外のところでも、常に僕の足らない部分を補ってくれる重要なパートナーだったんです。

 

居酒屋さんでの件を反省しながら、さっちゃんのことを想い出していました。

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サイドFIRE、この言葉からさっちゃんへの感謝を抱きました

2022-06-15 22:33:30 | 気分や思い

僕はまったく知らない言葉だったのですが、山仲間からサイドFIREという言葉を聞きました。

彼は働き盛りの年齢で、多忙な毎日を過ごしています。

趣味の登山に自由に打ち込みたいと思っていても、なかなかそうはいきません。

そんな流れの中で出て来た言葉がサイドFIREでした。

ネットで調べてみると、その意味はこんなものです。

サイドFIRE とは 「不労所得で生活費の半分を賄い、残りは働いて稼ぐ」 というFIREの中間的な考え方です。 仕事を全くしなくても生きられる状態 が FIRE 、 不労所得とちょっとした仕事で生きられる状態 が サイドFIRE というイメージです。 要するに、 どれだけ不労所得を積み上げるかの違い なので、FIREを目指す過程で一定の目標を超えればサイドFIRE達成です。

 

サイドFIREの正確な意味をまだ知らない時に、僕は彼に以下のようなメールで返事しました。

サイドFIRE 初めて聞く言葉でした。 是非、早めに実現させてください。 僕はサイドFIREを逆の方法で実現させたかもしれません。 その方法は貧乏生活幸運に頼ること。 にも頼りましたしね。 20代の頃から、最低月にいくらあれば暮らせるのか、考えていた人間ですから。 当時は5、6万円あれば暮らせそうだな、と思っていました。 それを短期間で稼いだり、不労所得を得る方法を考えたり・・・・  でも、そんな楽な方法はなくて、労働は必須ですね。 ただ、貧乏生活に耐えれば、時間は余ります。

 

上記のように書くと、何となく格好いい感じがしますよね。

でも、実際にはただ怠け者で自堕落で無計画な人生を送っただけだと思います。

それに、サイドFIRE(みたいなもの)実現のポイントを貧乏生活と幸運と人3つ挙げています。

幸運の最大要素は健康だと思いますが、それは親がそんな体に産んでくれたことが大きいですよね。

貧乏生活に耐えることは、少しは僕自身の功績かもしれません。

ですけれど、最初のメールの文章では書いていなかったんです。

でも、「貧乏生活と幸運だけじゃあないよな」と感じましたから、もう少し考えたんです。

すると、すぐに心に浮かんだのが、人との出逢いでした。

人との出逢いがなければ、幸せなサイドFIREは実現するはずもありません。

独りでは惨めなサイドFIREになってしまうのは確実ですよね。

その人とは幾人かはいるでしょうけれど、最大の影響を及ぼして、いちばん長く、今に至るまで大切な人がさっちゃんなんでしょうね。

ですから、僕がサイドFIREっぽい(気儘な、不労所得もない)生活を送ることが出来たのは、

健康な体に産んでくれた親と、僕と共に生きてくれたさっちゃんのお陰だと思います。

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久し振りに散歩すると、さっちゃんとの思い出ばかりが心に浮かびます

2022-06-11 22:23:24 | 散歩

今日はコンビニに用事があったので、ついでに散歩もしました。

本当に久し振りの散歩です。

日没はまだまだ2時間ほど先ですから、綺麗な写真は期待できません。

でも、カメラは持って行きました。

すると、歩き始めてすぐに驚きの出会いが。

▲16:16。長い間、姿を消していた野良猫との再会です。実に1年ぶりくらいでしょうか? 元気そうです。さっちゃんは猫を見ると、嬉しそうでした。一度なんかは、「ネコ!」と言葉に出して、猫がいることを僕に教えてくれたこともありました。意味ある言葉がほとんど出なくなっていた頃だったので、僕は本当に驚きました。

 

多摩川土手を歩いていると、土手の北側に黄色のキク科の花がたくさん咲き誇っていました。

▲16:20。毎年、この場所で咲くオオキンケイギク(大金鶏菊)かなと思います。毎年、この花を指差して「綺麗だね」とさっちゃんに言ってました。

 

去年の散歩の様子がありますから、読んでみてください。

昨日は久し振りに散歩しませんでしたから、今日は長いコースを早い時間に歩きました

ほぼ毎日散歩していたんですね。

 

基本周回コースを歩いて、途中、コンビニで用事を済ませました。

▲16:51。湧水沿いの流れに来ると、カルガモ2羽残っていました。留鳥なので渡りはしないそうですが(例外あり)、冬にこの場所にたくさんいた他のカルガモはどこへ行ったのでしょう? さっちゃんはカルガモにはあまり関心がないようでした。

 

I老健からはまったくの音沙汰なしです。

6月上旬には胃瘻造設の予定が立つのでは、と予想していた僕でしたが、外れてしまいました。

主治医の先生の診察が毎週木曜日にあって、そこで今後の方針が決められるとのことでした。

ですから、木曜日にはS田さんから連絡が来るのではと、待っていましたが、結局来ませんでした。

さっちゃんに会うことも出来ず、ただただ待たされるのは辛いものがあります。

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さっちゃんと10年前に登ったシダクラ尾根をYYDの仲間と歩きました

2022-06-10 14:57:53 | ザイルと焚火と焼酎と

いろいろと考えることがあって、前日の土曜日にYYDの山行に参加させてもらうことにしました。

入会者募集のための体験山行&地図読み山行で、奥多摩のシダクラ尾根を登る山行です。

多摩川をシダクラ橋で渡ると、正面の尾根がシダクラ尾根です。

ところが、この日のリーダーであるK藤さんは左下のシダクラ沢へ下っていくじゃあありませんか!

「あれっ? シダクラ尾根は真正面の尾根だよ!」と僕は呼び止めます。

そんな僕にはお構いなく、みんなシダクラ沢へ向かい、沢を渡って、対岸の尾根を登り始めます。

K藤さんは山行計画書に添付してあった地形図を僕に見せて、「ここがシダクラ尾根ですよ」と言うんです。

反論しても意味がないので、「まっいいか。初めての尾根を登れるわけだし」と思うことにしました。

途中でシダクラ峠との道標が出て来ると、「ほら、この尾根がシダクラ尾根よ」と言われます。

 

もうひとつ、僕はK藤さんに叱られました。

僕は子供のころから担任の先生やクラスの真面目な女子生徒たちに叱られることには馴れている人間です。

高齢者になって、自分の娘くらいの年齢のK藤さんにこっぴどく叱られても僕は大丈夫。

怒られている訳ではなく、叱られているのですしね。

僕自身が悪かった訳ですからね。

何が悪かったかというと、この山行は地図読み山行でもあるわけです。

だけど僕はこんな風に思ってしまいました。

「シダクラ尾根はただ登って行きさえすれば迷うことはない。その先は一般登山道ばかりだから大丈夫」

実際には、シダクラ尾根を登った後にも、一部分は一般登山道から外れる箇所がありました。

それに迷うか迷わないかの問題ではなくて、地図読みの練習をする山行だったのです。

地形図も昭文社のMAPも所持して行かなかった小生は、ランドセルを背負って行かなかった小学生みたいなものですね。

 

では、この山行の詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

10年ぶりのシダクラ尾根。新鮮な感覚で感動できました

▲10:47。広葉樹林と岩っぽさがある尾根なら、楽しさは倍増しますね。

 

シダクラ尾根は右岸か左岸か? ですが、僕は帰宅後いくつかの地図や宮内敏雄著『奥多摩』で確認しました。

すると、シダクラ沢右岸尾根がシダクラ尾根であることが判明しました。

僕が間違えていたのです!

ところが、それだけではこの問題は終了しませんでした。

上記『ザイルと焚火と焼酎と』のブログの最後に10年前にさっちゃんと登ったシダクラ尾根の記録があります。

な、な、なな、なんと! 僕たちはシダクラ沢右岸尾根を歩いているんですね。

その後どこかで、僕の記憶が間違えた方向へ変化してしまったようです。

まあでも、目出度し、目出度し、ですよね。

 

     *   *   *   *   *   *   *   *

 

前にも書きましたけれど、入院中もそうでしたし、今の老健入所中もさっちゃんと僕との間には大きなが立ちはだかっています。

コロナ禍なので面会が出来ないからです。

でも、病院に入院している時は、医師からの病状の説明や看護師からの近況報告が頻繁にあったりしました。

A病院ではリモート面会もあったりしました。

それなのに、今のI老健では月に1度の相談員さんとの面談くらいで、他には何もありません。

 

さっちゃんの顔を見ることが出来ないどころか、近況すら知らないことに慣れてしまう自分がになってしまいます。

さっちゃんが入所しているから可能になっている自分の山行が充実していくことにすら、申し訳なさを感じてしまいます。

 

今朝、テレビで沖縄の旅番組をチラッと観ました。

さっちゃんと幾度も実行した島旅のことを思い出しました。

さっちゃんと二人で小さな、本当に小さな、何もない島への旅。

他の誰とでもない、心の通じ合っているさっちゃんと旅するからこその、穏やかで幸せな島旅でした。

そんなことが思い出されて、番組を観ながらしてしまいます。

あんな島旅はもう出来ない、そう思うと悲しくなってしまいます。

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Y山さんの沢登りに参加しました。実力を付けつつあるメンバーと共に遡行するのは楽しいですね

2022-06-02 23:05:46 | ザイルと焚火と焼酎と

先日の5月29日(日)、奥多摩の鷹ノ巣谷へ行きました。

YYDのY山さんの計画した沢登りです。

彼とそのグループは今年は更なる実力向上を目指して頑張っています。

伸びつつある姿を見るのは、嬉しくて楽しいですね。

慎重さは失わず、大胆に挑戦して欲しいですね。

 

この日は大滝までの往復計画でしたから、体力的には比較的でした。

沢歩き、岩場やゴーロでの足さばきや体さばきが重点ポイントになっている僕にとっては良いトレーニングになったと思います。

思い出や感じたこと面白い挿話などは『ザイルと焚火と焼酎と』に書きましたから、読んでみてください。

登山や沢登りに興味の薄い方には長すぎる文章ですが、飛ばし読みでも大丈夫ですよ。

YYDの山行で、鷹ノ巣谷を大滝まで往復して来ました

 

▲YYD最年長の僕(左)と2番目のK田さん(右)。(撮影:Y山)

 

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