僕のお師匠さんは還暦を迎えたころにほぼアルパインクライミングの第一線を退きました。
当時は50代で一ノ倉沢や滝谷を登攀しているクライマーは珍しくて、お師匠さんは目立つ存在でした。
日常的にジョギングや腹筋・背筋のトレーニングをしていると、聞いていました。
冬が近づくと、アイスクライミングのために木刀の素振りも加えていたそうです。
そんなお師匠さんでしたが、還暦が近づくにつれクライミング能力がみるみる低下してしまったのです。
その一因は僕を弟子にしたことに理由があると、僕は感じています。
何故かと言うと、僕がお師匠さんから岩場をリードする機会を奪ってしまったから。
お師匠さんに指導してもらうようになって1年後くらいから、僕は毎週一緒に山へ行くようになりました。
必ず木曜日に電話を入れて、週末の計画を聞き、山行を共にするのです。
丹沢での登攀的な沢登り、谷川の一ノ倉沢や幽ノ沢、赤岳西壁での冬の岩稜登攀、アイスクライミング等々でした。
岩トレも、越沢バットレス、三つ峠、氷川屏風岩、日和田などへよく通いました。
雪山も谷川の西黒尾根、富士山などをよく登りました。
GWには岳沢から奥穂南稜やコブ尾根を登ったりしました。
夏休みには滝谷へ行き、クラック尾根でさっちゃんと初めてザイルを組んだりもしました。
それほど密着してお師匠さんと山行を繰り返した期間はそんなに長くはありません。
2年間ほどだったと思います。
僕はさっちゃんとザイルパートナーになり、お師匠さんからは自立していきました。
でも、お師匠さんにとっては、その2年間の影響は甚大だったようです。
途中から岩場でのリードはすべて僕が行なうようになりました。
僕自身がリードしたくてしたくてたまらなかったからです。
リードする機会を僕に譲り、僕の成長を喜んでくれたお師匠さん自身は急激に登攀能力が衰えて行きました。
そんなこともあって、お師匠さんは還暦を機にアルパインクライマーを止めたんだと思います。
いろいろなトレーニングもしなくなりました。
いま僕は、そのお師匠さんを反面教師としています。
僕自身が同様にリードすることが極端に少なくなってしまっているからです。
後輩の成長を願い喜ぶ気持ちが強くて、岩のゲレンデでも滝の登攀でもリードを譲ってしまうのです。
気が付くと、リードをしない自分がそこにいます。
長くリードをしない期間が続くと、リードすること自体に不安感を覚えるようにすらなってしまいます。
前々から「それじゃあ駄目だ」とは薄々感じてはいたのですが、ようやく明瞭に意識するようになってきました。
「お師匠さんの二の舞いはしてはいけない」
「同じ失敗を繰り返すと、お師匠さんだって悲しむだろう」
僕は初心に立ち返ることにしたのです。
このモミソ沢で久し振りに滝のリードをしました。
詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。
▲10:59。ザイルを出して僕がリードした滝やチムニー滝の記憶はありましたけれど、その他の小滝の記憶は一切消えてしまっていました。モミソ沢はそんな小滝も含めてなかなか佳い沢ですね。
僕のリード能力はかなり低下してしまっています。
回復する部分もあるでしょうが、眼の影響もありますから、低下が仕方ない部分もあります。
ただ、それらすべてをひっくるめて、現状よりも成長したいと思っています。
そう思うと、今後が自分でも楽しみですね。