さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

僕の緑内障の状況はさほど悪くはないようです。前回言われた手術名を確認して来ました

2022-01-31 22:46:49 | 僕の病気や体調
昨晩、3種類の目薬の内のひとつがなくなったので、今日の午後病院へ行って来ました。
こんな感じでほぼ月に1回ペースで病院へ行っています。

今日の眼圧は左右ともに12。
前回が右眼14、左眼11でしたから、まずまずでしょうね。
矯正視力は左右ともに1.2でした。
右眼は以前からその値ですが、左眼の1.2というのは驚きです。
最近はずっと0.5でしたから、
今日、視力を計ってくれた方がかなりしつこく長くねばって待ってくれたので、その影響かと思います。
僕もその期待に応えるように、頑張りましたから。
でも、30秒間視力検査の一部欠けたあの輪っかを探しても、見えるのはほんの一瞬、0.1秒とかです。
それだって、クリアには見えず、半分くらいしか見えません。
1分、2分ねばって探して、数回見えた断片を繋ぎ合わせて、上と左は繋がっていたよなぁ、右か下だよなぁ、と予想するわけです。
後は賭けですね。
多分、今日はそのギャンブルが多く的中していたのでしょう。
個人的には、最近目が疲れているので心配していましたから、意外な結果でした。

検査の後、先生に診察してもらいました。
僕は前回言われた手術の正式名を確認しました。
前回は適当に聞いていて、ネットで調べれば緑内障の手術ということで、手術名もすぐ分かるだろうと甘く考えていたのです。
ところが、僕はその手術名の最初の言葉さえすぐに忘れてしまっていましたから、調べてもさっぱり分からなかったのです。
今回は、聞いてからすぐにメモしておきました。
それは、繊維柱帯切開術(トラベクロトミー)です。
似た内容、名称の繊維柱帯切除術(トラベクレクトミー)というのもあるので、メモしておいて良かったです。
メモがなければ、帰宅後ネットで調べても、どちらなのか判断付きませんでした。

繊維柱帯切開術について、ほんの少しは理解が進みましたけれど、今行なった方がいいのかどうかは分からないままです。
現在診てもらっている眼科の先生の紹介で、手術をする大病院(多分)に行くことになるのでしょう。
その大病院で診察や検査をして、手術予定日が決まるまでどれくらいかかるのか?
手術をすると、その後入院を1週間前後しなければならないようです。
ですから、手術を受けることを決断して、明日先生にその旨連絡し、とんとん拍子に進んでも、素人考えですが、退院するまでに1ヶ月はかかるでしょう。
もっとかかるのが普通のような気がします。
となると、さっちゃんの退院とどちらが先か微妙な状況になってしまいますよね。

というっ訳で、僕の現段階での結論はこうです。
さっちゃんの退院後の状況がはっきりするまでは無理だ、ということでしょうね。
さっちゃんの退院後のショ-トステイとの関係。
さっちゃんがショートステイで安心して過ごせるかどうか?
僕が1週間入院しても、その間心配なく居ることが出来るかどうか?

緑内障とは死ぬまで付き合わなければならない病気でしょうから、それほど慌てる必要はないと思います。
今後いつか、手術を受ける好機が必ず訪れることがあるでしょう。
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僕の所属する山岳会YYDでも、若いメンバーが育って来ています。嬉しいことです!

2022-01-28 22:56:20 | ザイルと焚火と焼酎と
先日の23日の日曜日、日和田で岩トレをしました。
もともとはY山さんがするはずだったのですが、ご家族の都合とコロナ第6波の影響で、しばらく山行をお休みすることになったのです。
彼の代わりと言っては、僕にとって荷が重すぎますが、誰かが企画実行した方がいいですから、僕がやることにしたんです。

すると、K野さんが参加してくれることになりました。
彼はそれなりに登攀できるようになっていたのですが、コロナ禍の影響で長く山から離れていました。
ワクチン2回接種を終え、山行に戻って来たのが昨年の暮れ、そして今回1年8ヶ月ぶりに岩トレへも戻って来てくれたんです。

僕も昔、半年ほどですが、クライミングから遠ざかっていたことがありました。
久し振りに登ると、バランスは悪くなっていて、落ちそうで怖い想いをしたことがあります。
その日のうちにバランス感覚は戻りましたが、K野さんはブランクがもっと長いですから、苦労するだろうな、と予想した訳です。
でも、ブログを見てもらえれば分かりますが、彼にはブランクなんか関係なかったょうですね。

では『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

YYDのK野さんは1年8ヶ月ぶりの岩登りトレーニングで3本の4級+ルートをリードしました!

ブログの最後でも下山後に麓のうどん屋さんで打ち上げをしたことが書かれています。
そこで僕の昔の山の話もいろいろとしました。
沢登りと岩登りの事初めについて、喋ったかどうかは記憶にないのですが、翌日からやたらとその当時の出来事が思い浮かぶようになりました。
ですから、このブログとは一見無関係な僕の昔の思い出話を書いたわけです。
もちろん、山を抜きにしては、さっちゃんとの出会いはありませんでしたし、付き合うことも、同棲も、結婚もありませんでした。
二人にとっては山が仲人のようなものであり、生活の舞台、リズムのようなものでしたからね。


久し振りに今日、散歩をして来ました。
昨日、山を歩いて来たので、散歩することで体を少しほぐそうと考えたのです。
ここしばらくは、散歩しない日の方が多かったんです。
寒い日や北風の強い日が多かったですからね。
何やらかにやら家で用事をしていると、すぐに4時ころになってしまって、それから散歩に行く気分にはなれなかったんです。
さっちゃんがいれば、それでも必ず出かけていましたけどね。


▲15:31。基本周回コースよりももう少し長いコースを散歩しました。さっちゃんの足なら1時間のコースです。帰り道、いつもの湧水沿いの遊歩道でカルガモを見ました。今日は14羽いました。偶数羽ですね。みな、番ばかりでした。あのはぐれ者の鴨がいなかったようです。それとも、相手が見つかったのかな~ぁ。
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僕の沢登りと岩登りの事初め

2022-01-26 22:19:00 | 昔の思い出
こんなところでこんなことを書くのも何ですが、僕の沢登りとの出会いを書いておこうかな、と思います。
僕が沢登りを始めたことがきっかけとなって、その数年後にさっちゃんと出会うことになるのですから。

僕が27歳春、京都の大原へ旅行し、民宿に泊まりました。
夕方、時間があったので近所を散歩したのです。
お寺を囲む塀があって、その塀沿いに小さな川が流れ、道路も川に沿ってありました。
その日は春にしては暖かな日で、日差しもたっぷり降り注いでいました。
僕は川沿いの道路を歩き、緩やかな坂道を歩き上ります。
そのうち道路は終わりましたが、小川沿いには歩ける踏み跡が付いていたので、今度はその土の道を散歩することにしたのです。
小川沿いに踏み跡は続き、僕は山の自然の中に入って行きました。
夕方とはいえ、まだ高い陽が水の流れを煌めかせていました。
フキノトウが水の煌めきの脇で、これまた輝いていた記憶があります。
そんな桃源郷のような風景の中を僕はゆっくりと登って歩いていました。
そのうち、踏み跡も薄っすらとなって、もうこれ以上は進めない場所まで来てしまいました。
前方には180度に広がるなだらかな明るい薄緑色の斜面が広がっています。
そんな夢のような自然に囲まれて、僕は満たされていました。
そして、そこから来た道を降りたんです。

東京に戻ると、僕は奥多摩に向かいました。
林道の脇に流れていた沢を思い出し、その沢沿いに歩こうと思ったのです。
僕は京都大原で味わった感激を東京でも味わおうとしたんです。
水の流れ沿いに歩くこと、それが僕に感動をもたらしたのですから。
林道の橋の脇から本流に降り、出合にかかっている最初の滝を登ろうとしました。
緩やかな傾斜の滝なんですが、軽登山靴が滑って登れません。
僕は裸足になって、その最初の滝を登りました。
再び靴を履き直し、さらに先に進みます。
すると、数メートルの高さで垂直に落ちる滝が見えて来ました。
この滝は登れそうにないことは一目瞭然です。
僕は左の山の斜面を通って行けば、滝を越すことが出来そうだと思いました。
いわゆる高巻きですね。
でも、高巻きの途中で怖くなります。
ずり落ちそうなんです。
結局、その日はそこから引き返しました。

そこで諦めれば、僕が沢登りをすることもなかったのでしょうが、京都大原での感動はそれくらいでは消えません。
僕は大きな書店へ行き、探しました。
そこで僕は初めて知ることになります。
僕がやろうとしているのが、沢登りだということを。
水の流れに沿って山を登ること、それ即ち沢登りなんですね。
そういうジャンルがあること、しかも解説書やルート図集もあることを初めて知りました。
最初に購入した解説書は誰かに上げてしまったようです。
ルート図集は今でも手元に残っています。
『東京周辺の沢』昭和54年5月10日初版発行 草文社 です。

さっそく僕は解説書を読み、地下足袋と草鞋を購入します。
シュリンゲ2本とカラビナ2枚も買ったと思います。
ルート図をコピーし、僕が向かったのは日原川鷹ノ巣谷でした。
困難な滝はすべて高巻けることがルート図と説明文から読み取れたからです。
京都大原の旅から間もない、5月3日のことでした。 

小滝はすべて直登しました。
大滝20mは右の斜面から高巻きます。
その後、そこが崩れ、高巻きルートは今は消えています。
鷹ノ巣谷で僕が一番不安になったのは最後の詰めでした。
当時はシカによる笹の被害もありませんでしたから、詰めは大変な笹藪漕ぎです。
両手で力を込めて笹藪を分けて、体を前進させるのです。
そんな作業が延々と続くんです。
笹藪漕ぎ初体験の僕にとって、永遠に続くとも思えるその苦行は不安感をどんどん煽りました。
途中に太い木があったので、それに登って上を眺めましたが、笹藪は先の先まで永遠に続いているようでした。
しかし、その苦行は突然の終わりを迎えます。
稜線の登山道に飛び出たんです。
しかも、僕の眼前には白い富士山!

僕の沢登り事初めにはふたつの感動が大きな影響を与えています。
京都大原での感動と、鷹ノ巣谷遡行後に眺めた富士山の感動です。
これほどの感動が連続すると、沢登りにのめり込まない訳がないですよね。

僕はルート図集を読み込み、ザイルがなくても遡行できる沢だと判断し、単独での沢登りを続けました。
ホームグラウンドの奥多摩の沢、しかもルート図集に出ている15本の沢の中には、僕が行けそうな沢は9本しかありませんでした。
その数少ない沢を僕は季節を変えて、何度も遡行したんです。

当然、何年か経つと、自分の沢登りに限界を感じ始め、ザイルを使用した沢登りも出来るようになりたいと考えるようになりました。
30歳になっていました。
雑誌『山と渓谷』の会員募集欄を見て、沢登り専門の会に入会希望の手紙を出しましたが、まったく返事が来ません。
当時は、30歳を越えるとロートル扱いでしたから、新入会員としては年齢だけで弾かれてしまうんですね。

そこで思いついたのが、クライミングゲレンデに行って、そこでコネを結ぶこと。
僕が唯一知っている岩登りのゲレンデはつづら岩でした。
馬頭刈(まずかり)尾根を歩いた際に何度か岩登りしているのを見ていたのです。
休みの日、僕は馬頭刈尾根ハイキングを計画し、つづら岩に行きました。
学生のような連中が練習していました。
お昼ご飯を食べながら、「こんな若い奴らに怒られながら訓練するのは嫌だなぁ」とか思って見ていました。


▲この写真は2018年12月2日のつづら岩南面です。

昼食後、場所を変えて、他の練習している人を見ていると、やたら年配の方がいました。
年配と言っても、当時アラフィフくらいだったかと思います。
当時はそんな年齢でクライミングをする人なんかほとんどいませんでしたから。
その二人、男性の方はリードして登っていて、上の方にいます。
下で確保している女性を、僕は見ていました。
どんな風にザイルを使っているのか知りたかったからです。
それに、コネも結べればと思っていました。
これほどの年配の方からなら厳しく怒られながら指導されても我慢が出来そうだと思ったからです。

その女性が自分の事をじっと見続けている僕に気付きました。
そして、「岩登りに関心があるのですか?」と話しかけて来ます。
「はい」と答えると、その女性は自分の電話番号を僕に告げます。
僕はそれをメモし、その晩電話しました。
その後、日和田、天覧山と連れて行ってもらい、3度目で鹿沼の岩場に行った帰りに彼女の所属する山岳会に入会することを決めました。

その山岳会にさっちゃんがいたのです。
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なだらかな青梅丘陵を歩きました。コースタイム3時間20分の116%かかりました

2022-01-25 15:46:56 | ザイルと焚火と焼酎と
先週の木曜日、1月20日青梅丘陵を歩いて来ました。
日曜日に日和田で岩トレするので、天覧山には行かずに歩いて来たのです。

その様子は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

『標準コースタイムで歩く』シリーズ№1――― 116% 青梅丘陵を歩いてみました

青梅丘陵にはさっちゃんと二人で歩いた思い出があちこちに沁み付いています。
2019年9月から2020年12月まで16ヶ月間で16回も通いました。
コロナ禍の影響で自粛した期間もありますから、ハイキングが出来る時はいつも青梅丘陵へ行っていましたね。
主稜線全部を歩く体力はさっちゃんにはありませんでしたから、いろんな脇道をたくさん歩きました。
今回僕ひとりで歩きながら「ここから下りたこともあるな、ここへ登って来たこともあるな」といった山道だらけでした。
短いコースばかりでしたが、さっちゃんと青梅丘陵全体を網羅するように、よく歩いたものだと思います。


2019年10月17日11:25。2年3ヶ月前のさっちゃんですね。この日は石神前駅から登って来て、青梅丘陵に出たらすぐにこの写真の場所で休憩しました。

青梅丘陵を歩くようになったのは、さっちゃんの山を歩く体力が急速に衰えて来たからです。
500mとかの標高差を登れなくなり、コースタイム3時間ほどのコースも歩けなくなったからです。
2021年にはその程度のハイキングも困難になって、どこも歩けなくなりました。
今から思うと、2年3ヶ月前のさっちゃんの歩ける強さが懐かしく嬉しく感じますね。


2022年1月20日13:41。最初の写真の場所がここです。明るい山道の右に丸太みたいなのが見えますが、さっちゃんが座っていた丸太ですね。腐敗して1本だけになっているようです。ここは日当りも良くて、風もなく、暖かいのでよく休憩しました。

休憩の記憶よりも、ここでの記憶はさっちゃんの小用騒動の記憶の方が大きいですね。
普通のパンツだった時や防水のパンツにしていた時もありました。
ここでの休憩時にさっちゃんがもよおすと、急いで用足しの場まで連れて行ってあげなくちゃあなりません。
ハイカーが大勢通りますから、隠れることの出来る場所が必要なんです。
でも、急がなければいけないし。
場所を探すうちに、漏らしてしまうこともありました。
もう覚悟を決めて、しばらくはハイカーが来ないと決め込んで、その場でさせたこともあります。
そんな小用にまつわる記憶は青梅丘陵のあちこちにありますね。

いろんなことを思い出しながら青梅丘陵を歩きました。

最後に、かかった時間とコースタイムを区間ごとにまとめておきたいと思います。

          僕がかかった時間   コースタイム
軍畑駅~榎峠       23分        30分
榎峠~三方山       90分        60分 
  (榎峠~雷電山   28分)
  (雷電山~三方山  62分)
三方山~矢倉台      53分        60分
矢倉台~青梅駅      65分        50分

トータル         231分        200分


コースタイムが必ずしも正確だとは思っていませんが、トータルでオーバーしていることは真正面から受け取る必要があると思います。
今回は116%でした。
もっと急登だったり、標高差が大きかったりすると、僕の現状では130%くらいは行きそうに思えます。
これを数ヶ月間かけて、100%に戻そうと思っています。
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今日はさっちゃんとのリモート面会の日でした。その様子は相変わらずですが、眼だけはずっと開いていましたよ

2022-01-24 23:36:49 | 大腿骨転子部骨折
昨日の日和田での岩トレが影響したのか、今朝はなかなか起きられませんでした。
アラームをセットしてある7時半に起きてから、2度寝、3度寝と繰り返し、最終的に目覚めたのは何と! 何と! 12時半!
目覚めて良かったです。
着替え、トイレに行き、朝食(昼食だ)を食べて、1時15分には自転車で出発。
朝食も豚まんをレンチンして食べ、バナナ1本食べました。

時間的には余裕を持って病院に到着。
リモート面会の部屋に入ります。
前回の若い真面目そうな男性担当者がいました。
画面を写真撮影する許可を彼から貰っておこうと、話しかけようとする直前にもっと真面目そうな男性職員が僕に近づいて来ます。

「○○課の◇△ですが、写真撮影は駄目なんですよ」と僕に対して告げに来られたようです。
「リモート面会が月に1回なんて残酷過ぎです」と僕が電話で話し合った、あの◇△さんです。
「でも、最初にもっと年配の男性の方から『画面だけならいいですよ』と言われたものですから」と言うと、
「注意書きに書いてあるように、撮影は禁止なんです」
「ただ、『許可のない限り』ですよね。僕は許可を受けたんですから」
「ですから、許可は出来ません」
「え~? 許可できない理由は何なんですか? 終了後、撮影したものをチェックしてくれたっていいですから」
「それでも許可は出来ません」

ここまで言われると、僕には反論の余地はありません。
何がそんなに駄目なんでしょう?
愛する妻の最新の姿を写真に撮っておくことの何が一体駄目なんでしょう?
僕にはまったくまったく理解できません。

リモート面会自体は今までと変わりありませんでした。
僕が「さっちゃ~ん」と何度も何度も呼びかけるだけです。
ただ、今日はさっちゃんがずっと目を開けていました。
前回までのように、目を閉じっ放しの中でたまに目を開けるのとは違います。
そんな時の目の開いている様子は弱々しい感じがします。
ぼおっとした感じです。
でも、今日の様子は違いました。
力強くぱっちりと目が開いていました。
(これはかなり僕の主観が入っていると思いますが)
写真が撮れていればその違いも分かってもらえたはずなのになぁ!

ただ、さっちゃんの視線はなかなか僕が映っている画面には向かないようです。
側にいるリモート面会を担当している事務の方(多分)の方を向くことが多いようです。
画面の中の人物に特別な意識が向かないのでしょう。
見たとしてもその人物が僕だと、さっちゃんの夫だと分からないのでしょう。
僕の顔を時折り見てくれること、そして声をずっと聞いていてくれること、それだけで十分だと納得するしかありません。

リモート面会時間はたったの15分間です。
その少し前に「そろそろ終了時間ですから」と若い真面目そうな男性職員が告げに来ます。
僕の心にはその声が冷たく響きます。
プツンと切られ、さっちゃんの姿が消えます。
また、最低でも2週間、さっちゃんの顔すら見ることが出来なくなります。
これもコロナ禍の残酷さの一面ですね。


病院で12月分の医療費等の支払いをして、途中買い物をしながら家に帰りました。
帰宅後、PCチェックやらPCでの用事をしていると、すぐに7時半になってしまいました。
鶏肉、タマネギ、ジャガイモ、カリフラワー等でカレー(カレーライスではなく)を作ろうと思っていましたが、時間的に無理になりました。
それで、レトルトのカレーライスを食べることにしました。
ブログに何の写真もないのも寂しいですから、今晩の僕の食事を載せます。


▲19:56。レトルトカレーは無印良品の牛バラ肉の大盛りカレー、冷凍しておいたご飯にかけました。お味噌汁は金曜日に作ったもの、ブロッコリーは土曜日に湯がいたものです。ブロッコリーは明日までまだ残ります。ワインはスペイン産の赤ワインで1000円しないのですがフルボディなんです。
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2ヶ月前と同じコースを歩いて、山体力の復活度合いを実証してみようと思いましたが・・・・

2022-01-19 18:12:43 | ザイルと焚火と焼酎と
さっちゃんが主役のブログなのに、さっちゃんの登場がなかなか実現しません。
僕の日常生活を書いても面白くもありませんから、僕の登山やクライミングの話題ばかりになってしまいますね。

では、1月16日(日)のゴンザス尾根~本仁田山を『ザイルと焚火と焼酎と』で読んでみてください。

2ヶ月前とまったく同じコースを歩いてみました。山体力が少しは増して、速く歩けるはずです。結果は?

以前、さっちゃんがこんなことを言っていた記憶があります。
「登山を始めるようになって最初に登った山が本仁田山だった」
確か、さっちゃんの妹さんの旦那さんに連れて行ってもらったようなことを話していたと思います。
奥多摩駅の裏山のような山ですから、行きやすいのは確かだと思いますけれど、初心者にはちょっときつい山だと思いますね。


▲11:26。こんな青空を見上げるだけで、山を登りに来た悦びで満たされます。

今回の山行のテーマはあったのですが、そんなことは別にして、山の自然の中に浸っていること自体が嬉しいことなんです。
ブログの中でも最後に理屈っぽいことを書いていますけれど、そんなことは別にして、山の中に居ること自体が嬉しいんですよね。

とは言え、僕という人間が理屈っぽいことも本当です。
この山行で僕が出したデータを書き残しておこうと思います。
休憩時間を除外した実際にかかった時間です。
      登山口~本仁田山   本仁田山~奥多摩駅   計
2ヶ月前     159分         114分     273分
今回       167分         107分     274分

これを見てもよく分かりますが、2ヶ月間では歩くスピードにはまったく変化がありませんね。

これまで38回に及ぶ天覧山ひとり岩トレもそうでしたが、最初のころはトラバース岩10往復なんて夢のまた夢でした。
でも今は、実現が目前です。
僕が30代のころ実践していたトラバース岩10往復を高齢者になってからも出来るようになるとは思っていませんでした。
もちろん、1往復を1分ちょっとで休みなく10往復していた30代のころとは比べようもありませんがね。

山体力の復活も同様です。
40kgのザックを背負って、剱岳三ノ窓に登り、チンネ登攀をした30代のころには戻れるはずもありません。
(ちなみに、その時さっちゃんは30kg以上背負っていました)
僕が目指しているのは2016~2018年ころの山体力の7~8割です。
いま所属している山岳会YYDの仲間に迷惑をかけないレベルの山体力です。
そのレベルなら実現できると僕は信じているんです。
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長く、標高差のある湯久保尾根を歩きました。僕の現状の問題点が浮き彫りになりました

2022-01-17 22:41:10 | ザイルと焚火と焼酎と
もう10日ほども前のことになりますが、1月8日(土)に奥多摩の湯久保尾根を歩いて来ました。
僕を高水三山に誘ってくれたT橋さんが計画した山行です。
ブランク後にこれほどの長いコース、標高差のあるコースを歩いたことはありません。
ですから、まだ参加を申し込むレベルではないと不安でした。
でも、計画者がT橋さんで、僕の現状にも理解がありますから、ずうずうしく「参加してもいいですか?」と問い合わせてみたのです。
すると、「大歓迎です」と言ってくれたんです。
T橋さんも僕への心配もあったとは思いますが、親切にも参加を認めてくれました。

湯久保尾根には湯久保沢を遡行して、途中から湯久保尾根に入って下った記憶がありました。
でも、その記憶は間違いで、どうやら下りに利用した尾根は西隣りの尾根通だったようですね。
また、雪の季節にさっちゃんと湯久保尾根から御前山へと向かった記憶も薄っすらと残っています。
さっちゃんが大怪我する前のことだと思います。
雪の量が多くて、御前山のかなり手前で時間切れとなり引き返した記憶が残っています。
ですから、湯久保尾根を歩き切ったことはないのかもしれません。
記憶に残っていないだけで、多分歩いたことはあると思うんですがね。

では、山行記録は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。
湯久保尾根から御前山を目指しましたが、僕はまだ歩くスピードが遅くて、御前山山頂はパスしました


ブログにも書きましたが、いちばん心配だったのは前々日に降った雪のことでした。
少ないとは予想できても、どうしても用心深くなってしまいますよね。


▲14:35。北面を下山しましたが、雪はこの程度でした。ホッとするような残念なような。

なかなか山体力は戻りませんね。
歩くペースが、完全にさっちゃんとの歩きペースになってしまっています。
そのペースが、肉体に沁み付いてしまっています。
筋肉のパワーや持久力がさっちゃんとの歩きのペースに固定されてしまっています。
それが僕にとっての最適な心地よいペースに成りきってしまっています。
標準コースタイムの3割増しになっているようですから、これを2割増し、1割増し、同じ、と早めて行かねばなりません。
けっこう大変そうですね。

若いころの筋肉ならともかく、僕自身も高齢者ですから、さっちゃんペースで歩き慣れてしまって、筋肉もそのレベルまで衰えてしまったんですね。
長期戦になりそうです。
戻すのではなくて、筋肉を現状から増強しなければならないんだと思います。
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天覧山ひとり岩トレ№38―――トラバース岩9往復に成功しました! そしてその夜、夢にさっちゃんが・・・・

2022-01-14 18:30:06 | 僕の自由時間
このブログはさっちゃんのブログなのに、さっちゃんの話題がなくて、登山や岩トレばかりになってしまいます。
でも、そもそも山が二人を結び付けるきっかけですから、山はさっちゃんと切り離すことが出来ないテーマなんです。
僕にとって、山はさっちゃんの面影に満ち満ちた場所です。
さっちゃんを思い浮かべる記憶が蘇る場所なんです。
直接的にはさっちゃんは登場しませんが、僕だけが楽しんでいるような登山や岩トレの話題を綴ることも許してください。

天覧山ひとり岩トレも38回を数えるようになりました。
よく続いていると思います。
トラバース岩を始めたころは1往復を完成させたり、2往復半の壁を突破するのが大変でした。
まさか10往復できるとは想像もつきませんでした。
でも今、その10往復実現が目前に近づいています。

昨日も、まずは最下部岩場5往復のウォーミングアップから始まりました。
柔軟体操とストレッチを入念に行なって、ストップウォッチをセットしました。
でも、1往復半直前で岩のホールドを掴み損ねて、あえなく落下。
この日の岩はまだとっても冷たくて、長く掴んでいる気分にはなれません。
しかも、岩も指先も極度に乾燥していて、滑り易いことこの上ありません。
あまりに冷たくて、僕は再トライすることも断念してしまいました。
そそくさと切り上げて、上のトラバース岩に向かいます。

トラバース岩は日当りのいい岩場ですから、岩は冷たくなく温かいくらいです。
いつもならまず昼食にしてから始めるのですが、この日はすぐにスタート。
目標は8往復半ですが、右肘の調子を見ながら無理はしないことにしています。
前回が5往復で落下でしたから、そのくらい出来ればいいと思っていました。
半往復ずつ端っこではゆっくりと休みながらトラバースします。
特に右端では楽な姿勢をとれますから、そこで肘や指や上腕のストレッチ運動を毎回行ないました。

本当にゆっくりゆっくりですが、半往復ずつ積み重ねていきました。
前回の落下の原因が足運びを間違えたことでしたから、その点も意識的に注意しながら、丁寧に半往復ずつこなしていきました。
前回届かなかった5往復半まで進み、今日こそは目標の8往復半を達成しようとの目的意識が強くなって来ました。
それまで以上に注意深く手と足の運びを進めます。

そして、8往復達成して、8往復半に向かう時、指や腕の筋肉疲労を突然感じ始めました。
腕が少しプルプルし始めていました。
バランスを崩して腕への負担が大きくなると、支え切れずに落下してしまいそうです。
それを何とか耐えきって、8往復半に到達しました。
嬉しかったですね。
筋肉は正直で、今の僕の筋持久力は8往復ほどまでだったんですね。
この日はその壁を少しだけ乗り超えました。
そして、おまけでもう半往復しました。
9往復です!


▲13:21。右端には太いコンクリート製の杭があって、その上に立って休憩することが出来ます。そこで毎回ストレッチしました。写真は肘のストレッチをしているところです。9往復達成後、撮影しました。

この日はこれで終了です。
トイレにも行きたくなったので、急いで荷物をまとめて中腹広場へ降りて行くことにしました。


▲13:46。トイレの後は、写真の東屋で昼食休憩。S上さんに下山連絡で嬉しい報告もしました。

帰路、家の近くで蝋梅の咲いているのを見つけました。
春の便りか! と思いましたが、調べてみると蝋梅は晩冬の季語なんですね。
立春は2月4日ですからね。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

トラバース9往復の成功は思いのほか僕の肉体にダメージを与えていたようです。
ダメージというのは大袈裟でしょうが、疲労感ですかね。
夜の10時ころに一度寝てしまって、11時過ぎにいったん目を覚まし、再度眠りに就いたのは1時ころ。

朝、トイレに行きたくなって目覚めた6時過ぎのことか、7時半にセットしておいたアラームが鳴り続けていて目覚めた8時ころだったでしょうか。
僕は自分が夢を見ていたことに気付きました。
夢というのは、それを見ている最中はあれほど鮮明なのに、起きて時が僅かに経つだけで、何故あやふやにぼやけて来るんでしょうかね?
僕は大人になってからはほとんど夢は見ないのですが、久し振りに見ました。
天覧山の疲労感が夢を招いたのかもしれません。
そしてその夢の内容を珍しく覚えています。
もちろん、覚えているといってもほんの一部、大筋だけですけどね。

その夢はさっちゃんの退院後の家での暮らしぶりの夢でした。
退院は早くても2月下旬だったはずなのに、やたら早い退院だなぁと、夢の中で冷静に考えている自分もいました。
全部を詳細に記憶していれば、一遍のエッセイくらいにはなると思いますが、何分ほとんどを忘れていますから、数行で終わります。

さっちゃんは家の中を自力で歩いていました。
時々は立ち上がったりする際に手助けすることもありましたが、普通に歩いていました。
トイレも前と同じように便座に座って、さっちゃんの前には僕がいました。
以前同様、リハパンとパッドだったと思います。
食事も前と同じでした。
全介助で僕が食べさせてあげていますけれど、前と同じようなものを食べていました。
さっちゃんはたくさん笑顔を浮かべていました。
そして、驚いたことに普通に喋っていました。
口数は少ないですけれど、話している意味は分かります。


僕はそんなさっちゃんの姿を目の前にして(夢の中の話ですが)、幸福感に浸っていました。
何よりもさっちゃんと意味の通じる会話が出来ることが夢のようでした。
夢なんですから、当り前ですけどね。
でも、これが正夢であって欲しいと、心から思います。
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三が日にみさきさんと陣馬山に登りました。彼女はさっちゃんに心寄せてくださった女性です

2022-01-12 23:44:26 | ザイルと焚火と焼酎と
山屋にとって、年末から正月にかけての長期間の休みは、重要な山行を計画できる大切な期間です。
でも、さっちゃんと山に行くようになって、僕にはその期間の雪山登山の記憶がほとんどありません。
僕もさっちゃんも九州出身ですから、根本的にはあまり寒さに馴染みがないからかもしれません。
極寒の雪山に長期間入る気分になれなかったのかもしれません。

その代わりに、さっちゃんとは暖かな伊豆方面へ行った記憶はたくさん残っています。
伊豆の城ケ崎や城山などでクライミングを楽しみに行っていたのです。
2泊とか3泊ぐらい、民宿に泊まって、新鮮なお魚や美味しいお酒をいただく日々を過ごしました。
岩場は暖かく、クライマーの少ないエリアで、5.7~5.10くらいのルートをトップロープで楽しんでいたと思います。

1998年2月愛鷹山でさっちゃんが脛骨上部骨折してからは、この長い休みを利用した山行はしばらく行なっていませんね。
さっちゃんが雪山に戻って来た2004年の正月休みに1泊2日で北八ヶ岳の天狗岳西尾根に行っています。
2006年暮れから2007年の正月にかけて、2泊3日で南アルプスの仙丈ヶ岳地蔵尾根を登っていますね。
さっちゃんと僕の他、2名と登りました。
2009年の正月からは、僕の母の認知症が進行したので、盆暮れは実家の熊本に帰ることにしました。
母が亡くなってからも、コロナ禍までは同様に帰省することにしていました。

2022年の正月休みも特別なお正月ですね。
さっちゃんが入院していて、いないのですから。
そんな中、暮れの30日にはY山さんが日和田での岩トレを計画してくれて、僕も参加しました。
さらに、三が日の2日にはみさきさんが僕を誘ってくれました。
みさきさんはこのブログでも何回も出ています。
青春18きっぷで新潟県へ、雪山ハイクして来ました
青春18きっぷの雪山ハイキング第3弾—――さっちゃんが最高に頑張りました!
(※みさきさんは本名を出し、写真の顔もそのままで、と要望されました)

SS木さんで検索(このブログ内で)したら、もっとたくさん出て来ました。
尾瀬にもGWと秋に2回も計画してくれて、さっちゃんをフォロウしてくれました。
日帰りのハイキングにも何回も誘ってくれています。
さっちゃんのことを心から応援して見守ってくれている山仲間なんです。
そんな彼女との陣馬山山行ですから、特別なんです。
山行の様子は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

三が日に陣馬山に登りました。穏やかな日和でのんびりと、下山後は陣馬の湯にも浸かりました


▲12:04。陣馬山山頂の白馬のモニュメント前で記念撮影しました

陣馬山の上記ブログの最後の文章に僕の想いを込めました。
でも、気持ちの半分も表現できません。
もどかしいです。
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Y山さんが4級+のルートをリード(レッドポイント)しました! 彼にとって、記念すべき日です

2022-01-10 23:46:34 | ザイルと焚火と焼酎と
今となっては去年のことになってしまいますが、大晦日の前日にYYDの日和田岩トレに参加しました。
リーダーはY山さんです。
成長途上のY山さんを見ていると、それだけでこちらも楽しくなります。
僕自身はまだ右肘の状態があまり良くありませんから、のんびりと楽しみながら登っています。
仲間の成長していく現場に同席すること自体が、楽しいことですよ。

日和田での様子は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。
長いですから、閲覧注意ですね。
暇で暇で仕様がない時にご覧ください。

大晦日前日、今年最後の日和田での岩トレに参加しました

僕はこの日はフォロウだけのつもりでしたが、最後に1回だけリードさせてもらいました。


▲15:22。4級+(でも、5級-あると思う)のルートのリードですから、気合を入れてクライミングシューズを履きました。このルートはさっちゃんも昔はリード出来ていました。身長が低いので、僕が使わない(使えない)極小のホールドを使っていましたね。
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