さっちゃんの故郷は九州です。
その小学校時代、生徒たちは担任の先生をとっても慕っていたようです。
生徒たちがいい齢になってからのことだったと思いますが、同窓会を作りました。
会報が届いたり、ときどき先生を招いて同窓会を開いて集まったりしていました。
場所はやっぱり九州が多いんですが、たまには関西やら首都圏やらでも開いていましたね。
東京で開いた際には、さっちゃんが幹事役みたいなことをしていて、僕も会場探しを一緒に手伝ったりしました。
その同窓会も、3年前に閉会になったようです。
そんな同窓生の中でも仲が良かった(んじゃないかな?)女性から今日電話がありました。
さっちゃんが認知症だと友達から聞いて、電話を掛けて来たようです。
さっちゃんの電話が鳴って、まずは僕が出て話しました。
その女性(Aさん)が誰だか、名前を聞いただけではさっちゃんには分からないようです。
だからでしょう、僕にしきりに手を振って、電話に出たくない意思を伝えてきます。
そんなことはお構いなく、僕は「じゃあ、さっちゃんに代わりますね」と電話を渡します。
さっちゃんは電話ではいつもと違って、割ときちんと喋ります。
もちろん全体的には意味不明なんですが、当たり障りのない挨拶などはまあまあ無難に口から出て来るんです。
短い時間ですが、挨拶をして、「元気よ~ぉ」とか喋って楽しそうでした。
最後にまた僕と電話を代わってAさんと話しました。
嬉しそうでした。
「お話しが出来て、良かったわ」とおっしゃってくれました。
「山登りも続けてるんですか?」と聞かれ、「一昨日にはさっちゃんと一緒に山へ行ってきましたよ」。
「体だけは元気なんですよ。ただ、側頭葉が委縮してるんで言葉が不自由なんです」と。
そして最後に、Aさんはこんなことを僕に伝えてくれました。
「以前お会いした時に、さっちゃんがこんな風におっしゃってたんですよ」
「私はもう旦那さん無しでは生きていけないの」
あのさっちゃんがこんな歯の浮くような科白を喋るとは思いませんが、
こんな風にも誤解され得るような言葉を語ったんでしょうね。
九州で開かれた同窓会にさっちゃんが最後に参加した際、今から思えば、認知症の症状が出ていて、
新幹線を使ってちゃんと行って、帰って来れるか凄く心配していたんです。
大分県の温泉に泊まったと思いますが、その時に上記の言葉が出たのかもしれませんね。
僕に頼らなければ新幹線にも乗れない、と自分に対して不安に感じ始めたころだったんでしょうね。
Aさんから「さっちゃんのことよろしくお願いしますね」と言われました。
僕もAさんから伝えられた言葉を胸に秘め、さっちゃんを愛し、支えて行こうと想いを新たにしました。
その小学校時代、生徒たちは担任の先生をとっても慕っていたようです。
生徒たちがいい齢になってからのことだったと思いますが、同窓会を作りました。
会報が届いたり、ときどき先生を招いて同窓会を開いて集まったりしていました。
場所はやっぱり九州が多いんですが、たまには関西やら首都圏やらでも開いていましたね。
東京で開いた際には、さっちゃんが幹事役みたいなことをしていて、僕も会場探しを一緒に手伝ったりしました。
その同窓会も、3年前に閉会になったようです。
そんな同窓生の中でも仲が良かった(んじゃないかな?)女性から今日電話がありました。
さっちゃんが認知症だと友達から聞いて、電話を掛けて来たようです。
さっちゃんの電話が鳴って、まずは僕が出て話しました。
その女性(Aさん)が誰だか、名前を聞いただけではさっちゃんには分からないようです。
だからでしょう、僕にしきりに手を振って、電話に出たくない意思を伝えてきます。
そんなことはお構いなく、僕は「じゃあ、さっちゃんに代わりますね」と電話を渡します。
さっちゃんは電話ではいつもと違って、割ときちんと喋ります。
もちろん全体的には意味不明なんですが、当たり障りのない挨拶などはまあまあ無難に口から出て来るんです。
短い時間ですが、挨拶をして、「元気よ~ぉ」とか喋って楽しそうでした。
最後にまた僕と電話を代わってAさんと話しました。
嬉しそうでした。
「お話しが出来て、良かったわ」とおっしゃってくれました。
「山登りも続けてるんですか?」と聞かれ、「一昨日にはさっちゃんと一緒に山へ行ってきましたよ」。
「体だけは元気なんですよ。ただ、側頭葉が委縮してるんで言葉が不自由なんです」と。
そして最後に、Aさんはこんなことを僕に伝えてくれました。
「以前お会いした時に、さっちゃんがこんな風におっしゃってたんですよ」
「私はもう旦那さん無しでは生きていけないの」
あのさっちゃんがこんな歯の浮くような科白を喋るとは思いませんが、
こんな風にも誤解され得るような言葉を語ったんでしょうね。
九州で開かれた同窓会にさっちゃんが最後に参加した際、今から思えば、認知症の症状が出ていて、
新幹線を使ってちゃんと行って、帰って来れるか凄く心配していたんです。
大分県の温泉に泊まったと思いますが、その時に上記の言葉が出たのかもしれませんね。
僕に頼らなければ新幹線にも乗れない、と自分に対して不安に感じ始めたころだったんでしょうね。
Aさんから「さっちゃんのことよろしくお願いしますね」と言われました。
僕もAさんから伝えられた言葉を胸に秘め、さっちゃんを愛し、支えて行こうと想いを新たにしました。