さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

グループリハビリのS田先生からメールがありました ――― さっちゃんを愛してくださって有難うございます

2023-08-06 22:36:42 | 言語リハビリ

2年ほど前まで、さっちゃんは言語リハビリに通っていました。

担当してくださったST(言語聴覚士)のT田先生が紹介してくださった失語症のグループリハビリにも通うようになりました。

このグループリハビリは病院ではありませんし、デイサービスなどの介護施設でもありません。

さっちゃんが一個人として参加しているグループ活動のようなものなんです。

もちろんそんな意識はさっちゃんにあろうはずもなく、何故そこにいるのか理解できていなかったと思います。

僕だけの想いだったでしょう。

それでも貴重な社会との接点のひとつとして、大切な場だと感じていました。

 

その失語症グループリハビリでは毎月の月報が発行されていました。

手元には2019年5月の月報から残っていました。

その月報はさっちゃんの入院中も毎月送られて来ていました。

もうグループリハビリに参加することは無理だなと思うようになって、その月報送付をお断りしなければと、ずっと気にしていたんです。

そんな中、グループリハビリの責任者であるS田さんから送付を中止しますとのメールが来ました。

以下はそのメールに対する僕の返信です。

 

 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

このようなメールをS田さんの方から出させてしまって、心苦しい想いです。

幾年も前から、月報送付を遠慮しなければ、とは思っていたのです。

でも、さっちゃんにとっての数少ない社会との接点のような気がしていて、送付遠慮をお伝えすることが出来ませんでした。

単純に、僕自身の怠惰だったのかもしれませんが。

S田さんから言っていただいて、ホッとしております。

有難うございます。

失語症のリハビリに訪れることは、2021年11月あたりが最後だったと思います。

その月末に大腿骨転子部骨折で入院、いったんは自宅に戻れましたが、すぐに誤嚥性肺炎で入院。

老健を経て、今年のバレンタインデーに自宅へ帰って来てくれました。

その頃は、冷静な思いの中ではグループリハビリに行くのはもう無理だと考えていました。

でも、一縷の希望的観測としてはあの場に訪れることくらいは実現できるようにならないかな、と願っていました。

ほぼ不可能なことだとは知っていながら。

再びの誤嚥性肺炎で再入院し、身体も弱りに弱ってしまい、その微かな希望も確実に無理なものとなっています。

今は自宅介護も難しそうだと、自分では考えるようになりました。

車椅子に乗れそうにありませんし、デイケアやショートステイも利用困難だと思われるからです。

病院の相談員さんから介護医療院のことを教えていただけました。

施設によっては面会もかなり自由になっているようですし、看取りも希望に沿って出来るみたいです。

もはやさっちゃんに必要なのは終末期医療だと思われます。

コロナ禍でなければ、特養などももっと早く利用したと思っています。

自由に面会が出来るでしょうから。

今、少しずつその辺りの壁が薄く低くなりつつありますから、介護医療院のことも検討する価値があると思われます。

S田さん、いろいろとさっちゃんに想いをはせてくださって有難うございました。

もし暇なお時間がありましたら、ほんの時々で構いませんので、さっちゃんのブログにも訪れてください。

さっちゃんがすぐそばに居なくなって2年近くが経ちますけれど、さっちゃんと一緒に居て体験した様々な苦労が懐かしくてたまりません。

今では思い出すたびにその頃の苦労が幸せなこととして思い出せます。

この文章を書きながら、涙が止まりません。

人の幸せとは不思議なものですね。

さっちゃん不在の今の時期も、いつの日か幸せな思い出として懐かしく振り返れる日が来るのかもしれません。

そうなって欲しいです。

 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 

僕の返信に対して、S田さんから再度メールが送られて来ました。

さっちゃんがグループリハビリに行き始めたころの感想が綴られていました。

さっちゃんへの愛おしさが蘇って来ますね。

以下にS田さんからのメールを残しておきます。

 

最初にいらした日には、お二人のお姿から、山登りの帰りかしら? と本気で思いました。

いつもご主人を目で探され、そばにいてくださると安心したお顔をされていましたね。

時々聞き取れる言葉を発してくださることがあり、私の質問に対して「あっち(ご主人)に聞いて」と言われて、思わず皆で笑ったこともありました。

イライラがご主人に向くこともありましたが、ご主人はいつも優しく受け止めていらして、素敵だなと思っていました。

ブログは頻繁に拝見していますよ。

今のご様子もですが、お元気だったころの奥様のお姿を垣間見ることができて、発見が多いです。

あのかわいらしいおさげのお写真も含め。

これからも楽しみに開こうと思っています。

ご回復への希望を捨てることなく、ご夫妻で穏やかな日々を過ごされますようお祈りしております。

 

▲S田さんからさっちゃんの写真も添付されて来ました。メンバー表に掲載するために撮ってくださった写真だと思います。この頃はまだ自然に笑顔を浮かべることが出来たんですね。

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2週間以上も前の言語リハビリについて書くのも奇妙ですが、記録だけはしておこうと・・・・

2021-12-09 17:12:04 | 言語リハビリ
月曜日に実施されていた言語リハビリはいつもメモを残しているので、ブログに書くのが遅くなっていました。
1週間近く遅れて書くのも普通でした。
他にも書くことがいろいろとあったので、順送りになった挙句、さっちゃんの大腿骨骨折と入院でした。
リモート面会も実現し、医師の先生のお話も聞けて、手術も無事終了しました。
ほぼ落ち着いて来ましたから、やっと2週間以上も前の言語リハビリを記録できます。
シンプルに素っ気なく書き残しておきますね。


11月22日、月曜日です。
バイタルですが、体温36.5度、血圧142~74、脈拍73、SpO₂96。

続いて、カードを使った練習。
(ネコ、ヒコウキ、イチゴ)3枚の絵のカードを並べます。
「これはネコです」「ネコ」といった感じで、Y田先生はさっちゃんに復唱を促します。
さっちゃんはネコに対しては他の言葉よりも反応があることをY田先生も僕も知っています。
なので、他のカードよりも時間をかけています。
復唱を何度も促す中で、ず~っと何やら喋り続けているさっちゃんの言葉の端に、「ネコ」っぽい発語が2回ほど出現しました。
これまでの経験上、さっちゃんはほぼ確実に「ネコ」と復唱したのに違いありません。

次に絵のカードと文字のカードを合わせる練習をしました。
ネコの絵のカードとネコと書かれた文字のカードを揃えるのです。
さっちゃんはこれは出来ません。
出来ない理由は分かりませんし、出来ないのではなくしないだけなのかもしれませんし。

上記と同様のことを今度は(犬、自動車、電車)で行ないました。
漢字表記です。
さっちゃんは出来ません。
しかも、少し眠くなって来たようですね。
時々、目をつむるようにもなりました。

という訳で、今度は歌を唄います。
1曲目は「紅葉」:秋の夕陽に 照る山もみじ~
2曲目は「里の秋」:静かな 静かな 里の秋~
3曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~

1曲目後半から唄ってくれましたが、2曲目と3曲目は目をつむってしまって唄えませんでした。

この日はこれで終了です。
眠たくてなかなかリハビリ自体には取り組めませんでしたけれど、「ネコ」と発語してくれたのは嬉しかったですね。
リモート面会での「はい」という返事にしろ、さっちゃんは人の会話の内容を理解しようとしてますし、一定割合で理解できています。

さっちゃんが退院して、この言語リハビリが再開されるのが楽しみです。
普段の生活の中でも、これまで以上にさっちゃんにはたくさんの言葉を投げかけようと思っています。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

言語リハビリとはまったく関係ありませんが、さっちゃんが撮った剱岳三ノ窓からの写真を載せます。
我が家にはさっちゃんが撮った全紙サイズの山の写真が数枚飾られています。
さっちゃんが所属していた山岳写真の会の展覧会で発表した作品なんです。
もちろん、アマチュア写真家の会ですし、さっちゃんは写真よりも山自体により熱心でしたから、軽量化のため三脚すら持って行きませんでした。

そんな作品のひとつが、この剱岳三ノ窓雪渓の写真なんですが、冬になると密かな楽しみが生まれるんです。
それは・・・・


▲13:28。冬の太陽高度が低い影響で、1時半前後になると、フローリングの床で反射した太陽光がちょうど写真の三ノ窓雪渓に当たるんです。この写真は早朝の三ノ窓雪渓が朝陽に照らされて輝いている、そんな情景を写した写真。陽光が当たることでその時の輝きに近い写真になるんです。

この写真を撮ったのは1988年8月、さっちゃんと僕と二人で剱岳三ノ窓にテントを張ってチンネを登攀した時のものです。
写真の雪渓は三ノ窓雪渓、下方で光っているのは近藤岩などがある二股付近でしょう。
遠方に見える双耳峰は鹿島槍ヶ岳でしょうね。
その左は五竜岳でしょうか。
この年は三ノ窓雪渓が途切れることなく続いていました。
その点は良かったのですが、登攀用具や食料の重荷を背負っての雪渓登りはやっぱり大変でした。
チンネ左稜線を登攀したのはよく覚えていますが、もう1本はおそらく中央チムニーだったと思います。
下山は北方稜線にルートをとり(と言っても一部だけですが)、小窓から小窓雪渓を下り、池ノ平小屋に泊まりました。
確か、お豆腐が出されたことに感動した記憶があります。
その後は水平歩道を経て欅平に下山しました。
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さっちゃんは野菜や果物の名前と姿を覚えてるんだろうか? と僕は思っちゃいました

2021-11-20 22:09:50 | 言語リハビリ
今週も月曜日の言語リハビリの報告を土曜日に書いています。
もう少し早く書きたいですね。
何をやったかとかは、メモを取っているので大丈夫なのですが、さっちゃんへの印象とか微妙な僕の思いとかはほとんど忘れてしまうので・・・・

今日はさっちゃんが認知症になってから、さっちゃんが家に居ない初めての日です。
今朝10時半ころ、ショートステイのスタッフさんが迎えに来てくれました。
さっちゃんは何も知らずに車に乗って行きました。
いつもと違う場所、いつもと違うスタッフさん、いつもと違う利用者さん達、さっちゃんは戸惑ってるでしょうね。
いま夕方5時、「もう帰らないのかなぁ」とか、さっちゃんは思うのでしょうか?
いつもなら、さっちゃんと散歩に出ている時間です。
そんな時間帯に、こうやってブログを書いている。
僕にとっても、いつもとは違う日。
居るべき人が居ない日。
するべきことをしなくてもいい日。
自分の想いの中で穏やかに過ごせる反面、どこかぽっかりと心に穴が開いた感じがなくもありません。

さて、言語リハビリの記録を書き止めておきましょう。

まずはいつも通りバイタルを計りました。
体温36.7度、SpO₂95、血圧119~94、脈拍74。
SpO₂がちょっと低かったですね。

Y田先生が新しいカードを持って来ました。
その中から3枚のカードをさっちゃんの前に並べます。
カードのサイズはハガキより少し小さいくらいでしょうか。
(ピーマン トマト ブドウ)の3枚です。
「写真なんですか?」と僕が聞くと、「絵なんですよ」とY田先生。
写真と見紛うほどの本物そっくりな絵です。
確かに写真よりは色が圧倒的に鮮やかですね。

すると、そのカードの半分以下のサイズの別のカードをY田先生は出します。
ピーマンの小さなカードを見せて、「これはどれかな?」と聞きます。
さっちゃんは出来ません。
質問されていることが分からないのか、質問の内容が分からないのか、質問は分かっても答えが分からないのか、答えは分かっても手が動かないのか・・・・
結果的には、さっちゃんは答えられなかったのですが、何故答えられなかったのかもY田先生や僕にも分かりません。

同じ問いかけをトマトでもブドウでもします。
さっちゃんは答えられません。

別の絵に並び替えました。
(バナナ、リンゴ、ナス)です。
同じことを繰り返しました。

僕のメモに読み辛い下手な文字でこんなことが書かれていました。
「上手くは出来ないが、出来ない理由は何だろう?」
「分かっているような気もする」

この僕のメモの意味はこうなんでしょうね。
質問の意味やどう答えるべきなのかは分かっているけど、言葉に出して答えられない。
さっちゃんを見ていて、そんな雰囲気を僕は感じたんでしょうね。

同じ絵を絵合わせするのは終わって、次にはその野菜や果物の名前を発声するレッスンに入りました。
Y田先生が手を取り、肩を叩いてリズムを作りながら一緒に発声しようとしてくれます。
でも、さっちゃんは出来ません。
ただ、「ナス」はそれらしく言えたかな?
「ピーマン」もそれらしく言えたかな?
Y田先生も僕もさっちゃんに発声してもらいたくて仕方がありませんから、聞こえる音にかなりバイアスがかかっていると思います。
さっちゃんは何やらいろいろと喋っていますから、その中から「ナス」や「ピーマン」と聞こえる部分を切り取って聞いてしまいがちです。

そして、僕は素朴な疑問を覚えました。
「さっちゃんはこれらの野菜や果物の名前や姿を覚えているんだろうか?」
さっちゃんはトマトもブドウもバナナもナスも普段よく食べています。
でも、その元の姿を見ることはありません。
スーパーへ一緒に買い物へ行くことも、もう1年以上はないと思いますから、野菜や果物を見るチャンスもありません。
家でも、料理をほんの一部でも手伝うこともなくなりました。

旧約聖書の『創世記』には最初の人間であるアダムがあらゆるモノに名前を付けるエピソードが出て来ます。
ひとつのモノに対応してひとつの名前が付けられます。
人間にとってモノに名前があることは人間の活動と切り離せない根源的なものであることをこの聖書の記述は示唆してるんだと思います。
その根源的な部分がさっちゃんには欠落しつつあるのではと思えるのです。
モノの姿と名前が結び付かないのですから。
アダムはモノの姿をよく観察して、相応しい名前を付けていったわけですからね。
さっちゃんの脳の中ではモノの姿とその名前がどのように結びついているのでしょうか?
あるいは、どの関連が外されたり消えたりしているのでしょうか?

最後はいつものように歌です。
1曲目は「ふじの山」:頭を雲の上に出し~
2曲目は「シャボン玉」:シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ~
3曲目は「里の秋」:静かな 静かな 里の秋~
4曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~


4曲ともさっちゃんは唄ってくれました。
Y田先生も「今日は一緒に唄ってくださる比率が高いですよ」と言います。

さっちゃんは言語リハビリが始まる前はどうだったのか、言語リハビリの最後の方はどうだったのか、5日も経つと覚えていません。
微妙な雰囲気はすべて忘れてしまっています。
早く書かなきゃですね。



▲16:17。言語リハビリが終わってしばらくしてから、さっちゃんと僕は掛かり付けのお医者さんに行きました。薬をもらいに行ったのです。往きの時にはすでに陽が沈みそうでした。帰路は多摩川沿いの公園の中は街灯もなく真っ暗なので、少し遠回りになりますが、住宅街を通って帰りました。
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今週月曜日の言語リハビリは歌から入り、5曲も唄いました

2021-11-13 23:32:08 | 言語リハビリ
今週は月曜日訪問言語リハビリで、水曜日がリハビリ科のお医者さんの診察の後、T田先生の言語リハビリ2ヶ月ぶりにありました。
水曜日のことは改めてブログに書こうと思ってますが、「訪問リハビリにして良かったなあ」と感じられた今週でした。

さて、月曜日の言語リハビリを記録しておこうと思います。
言語リハビリ自体の内容は簡単なメモを残していますから分かるのですが、その前のさっちゃんの様子とかはすっかり忘れてしまいました。
と言うのも、僕なりにではありますが、言語リハビリを順調に始められるよう気を遣っているからです。
さっちゃんの眠気が取れているようにとか、機嫌がいいようにとか。
とは言っても、どうすればさっちゃんが眠気もなく、Y田先生に気持ちよく対面することが出来るかなんて分からないんですがね。
やっぱり、いくらメモがあるからと言っても、当日とかせめて翌日には記録を残しておきたいものですね。
反省。

バイタルも抵抗なく計らせてもらえています。
体温36.8度、血圧133~88、心拍数74、SpO₂98。
この時間帯はいつも血圧が高めに出るようですね。

この日はこれまでとは変わって、まず歌から入りました。
この日はさっちゃんの言語リハビリ終了後、別件の用事があるとY田先生が言われていましたから、そのせいかもしれません。
1曲目は「故郷」:兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川~
2曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~

Y田先生は昔さっちゃんが合唱団でソプラノだったことを知ったからでしょうか、けっこう高音で唄ってくれます。
でも、さっちゃんにとって高音で唄うのはそれなりにハードルが高そうです。
高音で唄うにはかなり意識しないと唄えないのかもしれません。
少なくとも僕自身はそうですね。
1曲目の「故郷」もけっこう高音でスタートしました。
いつもならY田先生が高音で唄っていても、さっちゃんはさほど高音では唄いません。
でも、この日はさっちゃんもそれなりに高音で唄っていましたね。
2曲目も唄っていました。

3曲目は「里の秋」:静かな 静かな 里の秋~
4曲目は「月の沙漠」:月の沙漠を はるばると~

3曲目を唄って、Y田先生は「唄い出しが早くなって来たね」と言いました。
Y田先生と僕が唄い始めて、それからさっちゃんはどんな曲を唄うのかが分かるんだと思います。
曲名だけ聞いても、Y田先生が唄い出しをちょっと唄っても、さっちゃんは最初から一緒に唄うことは出来ません。
唄い出しが早くなったということは、唄う曲に対する認識が早く出来ているということですね。
4曲目も唄っていました。

5曲目は「夕焼け小焼け」:夕焼け小焼けで日が暮れて~
これが最後の曲でしたが、さっちゃんも疲れて来たようで、最初は唄っていませんでした。
「もう唄わないのかな~ぁ」と思いましたが、後半には声が出ていましたね。

唄うと言っても、歌詞の言葉通りに唄っているわけではありません。
喋っている時と同様、意味不明な音声の連続です。
でも、さっちゃん本人的には覚えている(?)歌詞通りに唄っているつもりなんだろうな、と思います。

歌でけっこう時間を費やしました。
最後はホワイトボードに言葉を書きました。
(おはよう!)(おはようございます)
Y田先生が発声し、さっちゃんに一緒に声を出すよう促しますが、さっちゃんは無言。
(あいうえお)
これも言わず。
(お~い)
言わず。

さっちゃんはひらがなが読めない理解できない訳ではないと思います。
ホワイトボードに書かれたこの言葉を発声するんだということが理解できないのでしょうか?
それともただ単に発声したくないのでしょうか?
それは誰にも分からないでしょうね。

この日はこれで終了です。
唄う時はもちろんですが、それ以外の時もY田先生に喋りかけたりします。
声がけっこう出ていたと思います。

終了後は少し時間をおいて散歩に出かけました。


▲15:54。日差しの乏しい曇りの1日でした。西の空には青空も見えましたが、翌日は雨。夕焼けにはなっていませんでしたからね。
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先週の言語リハビリはいつもよりも多い課題にチャレンジしました

2021-11-08 23:50:37 | 言語リハビリ
先週11月1日言語リハビリの記録が今日までずれこんでしまいました。
木曜日失語症グループリハビリは内容を忘れないうちに当日にブログに記しましたけれど、
毎週月曜日の言語リハビリはごく簡単にとはいえ、メモを残しているのでどうしても後回しになってしまいますね。
それに、僕の悪い癖なのかもしれませんが、文章が長く冗長になってしまいがちです。
それで時間もかかるので、ついつい回避してしまうんですよね。
疲れてしまいますし。
(また、書かなくてもいいことを書いてしまった。
では短くメモっぽいブログにしたいと思います。)


まずはバイタル。
体温36.7度、血圧99~67、SpO₂97。

次にY田先生はホワイトボードに(みかん すいか いちご)と書きました。
そして、「イチゴはどれ?」と聞きます。
さっちゃん、無言。
続いて(みかん かき りんご)と書き、「柿はどれ?」と聞きました。
さっちゃんは答える風でもなく喋っていましたが、何となく柿っぽく聞こえる言葉を発しました。
本当は(かき)と書いてある場所を指差して欲しかったのですが、さっちゃんは「かき」みたいな言葉を発声しました。
ですから、Y田先生は次に「みかん、み か ん」と言います。
何度か繰り返すと、さっちゃんはほんの少しそれらしく「みかん」と聞こえるような発声をしました。
3つめの(りんご)は言えませんでしたが、何やら喋り続けていました。

今度は3枚の絵をさっちゃんの前に並べました。
《ベッドで寝ている》《歯を磨いている》《顔を洗っている》3枚です。
それぞれの絵の説明を「ベッドで寝ている」のようにY田先生の後に続いて言ってもらおうとしましたが、無理。
これは恐らく、さっちゃんには困難な課題だと思います。
さっちゃんは何やら喋り続けていました。

ホワイトボードに(あ い う え お)と書いて、発音してもらおうとしましたが、これも無理。
少しずつ眠くなって来たみたいで、目をつむることが多くなって来ました。
(あ い う え お)を消して、(おはようございます)と書きました。
一緒に発声してもらおうとしましたが、発声しません。

そして、です。
1曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~
2曲目は「シャボン玉」:シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ~

2曲ともさっちゃんは唄いませんでした。
とても眠たそうです。
3曲目は「故郷」:兎追ひしかの山 小鮒釣りしかの川~
4曲目は「里の秋」:静かな静かな里の秋~

でも、3曲目は少し唄い、4曲目はよく唄いました。

さっちゃんはよく頑張ったと思います。
途中、少し眠くなったようですが、いろいろな課題に向き合ってくれました。


散歩の写真をついでに載せておきます。

まずは昨日の日曜日。


▲15:36。多摩川土手のコースですが、途中、土手から離れて道が河川敷に降りる箇所があります。ほんの2、30mですが、河川敷の森の中を歩きます。

昨日はさっちゃんも調子良さそうでしたから、少し足を延ばして60分コースを歩きました。

そして、今日。


▲15:55。いつもの基本周回コースを歩きました。雲の多い日で、綺麗な夕焼けは望めませんでしたけれど、印象的な光景を撮ることが出来ました。夕陽バックに枯れ木に止まるカラスです。
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16ヶ月ぶりのグループリハビリ。さっちゃんは最後まで(家に帰るまで)頑張ってくれました

2021-11-04 23:45:26 | 言語リハビリ
先月の15ヶ月ぶりのグループリハビリはさっちゃんが少し不穏気味だった影響で参加できませんでした。
16ヶ月前のブログを読み直すと、その時も大変だったようですね。
4ヶ月ぶりの失語症グループリハビリにやっと参加できました。ただ、小さな不穏が繰り返し出て、早めに退出することに

さっちゃんにとってはこのグループリハビリ参加が家から一番遠くまで出かけるイベントです。
その要素だけで、さっちゃんにとって大変なストレスがかかることが容易に推測できます。
会場に到着するまで、さっちゃんには可能な限りストレスがかからないようにと考えました。
こんな時、自家用車があればいいなと、つくづく思いますね。
でも、ないものは仕方ありません。

普通なら会場に早めに到着して、しばらく居ることでその場の雰囲気にも慣れるのでしょうが、さっちゃんはそうではありません。
待つことが凄くストレスになるんです。
ですから、遅れてもいいのでギリギリの到着で計画します。

家から駅までの徒歩25~30分はまだ元気に歩けるでしょうから、大丈夫だと思います。
ですけど、一度の乗り換えもある電車移動の後の会場までの徒歩20~25分は心配でした。
最近は歩きによる肉体疲労もストレスになるようだからです。
ですから、会場まではタクシーで行くことにしました。
と同時に、途中も可能な限りさっちゃんを疲れさせないように配慮したんです。
エレベーターやエスカレーターが利用できる場所ではそれを利用しました。
会場の福祉センターでも初めてエレベーターを利用しました。

10分遅れで会場に入れました。
皆さんが歓迎してくださいます。
見慣れた顔ぶれです。
まだコロナ対策中ですから、以前よりは少人数でのグループリハビリ。
それでも、さっちゃんを含めて4人の方が参加されていました。
スタッフの方が3人と同伴者は僕1人。

いつものように参加者4名近況報告をします。
さっちゃんだけは僕が代わりに報告しました。
このコロナ禍でさっちゃんの大きな変化のひとつ、ハイキングに行けなくなったと報告しました。
体力的に、また、歩いたり階段の上り下りの運動機能の面からも、ハイキングには行けそうになくなったと報告しました。

近況報告の他には童謡や唱歌5、6曲歌いました。
これはさっちゃんにも参加しやすいようにそうしてくれたのかと思います。
さっちゃんも久し振りの慣れない場所だったかもしれませんが、唇を動かして口ずさんでいたように思います。
最後にゲームをしましたが、簡単なゲームでもさっちゃんには無理ですから、代理で僕が参加。
さっちゃんは最後までその場に留まっていてくれただけで十分です。

このグループリハビリがさっちゃん自身に実際にどのような具体的な効果があるのか、僕には分かりません。
言語リハビリという面だけを客観的に見るならば、さっちゃんに効果を与えているようには思えません。
でも、さっちゃんはこのグループリハビリの日を体験しているのです。
歩いて、電車に乗って、乗り換えて、タクシーに乗って、何人もの人と会って、何やらしながらその場で1時間を過ごす。
そんな体験を実際にしているのはさっちゃんです。
そればかりか、会場から駅まで歩いて、また電車に乗って、乗り換えて、家までは陽が沈んで暗い中をまたまた歩く。
そんな体験をしているのもさっちゃんなんです。

こんな体験が何らかの影響を及ぼさないはずがないと僕は思います。
良いとか悪いとかの影響がないとしても、刺激は与えていると思います。
そう、刺激です!
ハイキングには行けそうになくなった、と書きましたけれど、本当にそうなのか、簡単なコースを試してみようとは思っています。
映画を観たり、音楽会に参加したりもしたいと思います。
体験すること、刺激を受けることは大切なことでしょう。


最寄駅から家まで、最初はタクシーで帰るつもりでした。
でも、さっちゃんが思いのほか疲れを見せていないので、歩くことにしました。
宵の明星らしき星が輝く中、ゆっくりと歩きました。
アパートに着いて、最後の35段の階段もしっかりと歩いて上ってくれました。
疲れているようなら、エレベーターでもいいと思ったんですけどね。

部屋に着くと、布団で休んでもらいました。
僕はほんのしばらくは残っていたコーヒーを温め直して飲んだりしましたが、すぐに夕食の準備。
新しく作るものはありませんから楽な準備です。
玉子かけご飯、お味噌汁、里芋と大根とさつま揚げの煮物、花豆とクリームチーズとサラダチキン、ミカンの缶詰、それだけです。
ほぼ完食してくれました。

今日のさっちゃんを僕は誉めてあげたいと思います。
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ケアマネさんが言語リハビリの見学に来てくれました

2021-10-30 22:54:43 | 言語リハビリ
月曜日言語リハビリ、その記録を本当はもっと早く書いておきたいのですが、土曜日になってしまいました。
遅くなる理由のひとつには、言語リハビリで行なったことの簡単なメモを取ってあるからかもしれません。
子供のころから記憶することが凄く苦手だった僕ですから、メモしてないと何も書けないと思います。
印象は記憶に残りますが、言語リハビリのようなバイタルの数値、言葉、曲名などは絶対に忘れます。
その代わり、メモがあると安心してしまって、どんどん後回しになるのです。

ちょっと暇つぶしに子供の頃の覚えることが苦手だったエピソードを。
小学一年生になるかならないかの頃だったと思います。
僕は人生で初めて、ひとりでの買い物を任せられました。
テレビ番組でもこんなのありましたよね。
家から100mと離れていないお店で片栗粉を買って来るというミッションだったのですが、
自分自身の記憶力に自信がすでに持てなかったのでしょう。
店まで歩きながら「かたくりこ、かたくりこ、かたくりこ、・・・・」と念じるように口に出しながら歩きました。
その日は雨が降った後で、昔のことですから、道路は舗装などしてなくて、水溜りだらけ。
水溜りを避けながら「かたくりこ、かたくりこ、・・・・」と歩いていたんです。
店のすぐそばの水溜りは避けるよりも跳んだ方が楽な水溜りでした。
ぴょ~~ん! と跳んだんです。
水溜りの向こう側へ着地した瞬間、全部忘れてしまいました。
店のすぐ近くだったので、店のおばさんに「あ、あ、あ、か、か、か、か、・・・・」
何と言ったかは記憶にありませんが、おばさんは「ああ、片栗粉でしょ」と分かってくれました。

かなり成長して中学一年生のとき。
英語には興味を持っていました。
教科書の文章を吹き込んだソノシートをかけて、何度も何度も聞いたりしていました。
中学校での授業が始まる前の春休みのことです。
学校の授業が始まると、英語の授業の最初にその前の授業に出て来た英単語のスペルを生徒に言わせるようになりました。
するとすぐに、僕がスペルを覚えていないことが先生に発覚し、毎時間僕を指名するようになってしまったんです。
覚えていないんじゃなくて、覚えられないんですけどね。
幾つか聞かれる単語のスペルを全問正解するまで、10回以上授業のたびに指名されました。
「こいつが出来れば、他の生徒も大丈夫」と思われたようですね。
そして、最後の時が訪れました。
曜日のスペルを日曜日から土曜日まで言わなければなりません。
前の授業の時も同じ曜日のスペルでした。
英語を習い始めたばかりの中学一年生には複雑すぎるスペルですよね。
一生懸命そのスペルを覚える努力をしたはずです。
僕は必死で7つのスペルを言いました。
「お~お、やれば出来るじゃないか。全問正解だ」と先生は誉めてくれました。
でも、僕は分かっていました。
木曜日だったかな、ひとつだけスペルを言い間違えていたんです。
本当は全問正解じゃなかったので、忘れられない出来事として今でも覚えているんでしょうね。
でも、これでやっとスペルを答えることから解放されました。

あ~、そうだ。
高校生の時、化学のテストで4点を取ったことがありました。
確か、200点満点くらいだったと思います。
普通のテストではなくて、有機化合物の分子記号(と言ったかな?)、あの亀の甲記号のような、あれを書かせるテストでした。
まあ、まったくテスト勉強しなかったせいもあるんですが、僕のテスト史上最悪の出来でしたね。
追試があって、何とかもう少しまともな点数を獲得しました。
でも、あんな無機質な(有機だけど)記号を覚えるなんて本当に難しいことですよね。

言語リハビリの様子をメモしてる、そこから脱線してしまいましたね。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

本当は木曜日の晩に書くつもりでした。
でも、その日は天覧山ひとり岩トレの日。
帰宅して、時間が経過していても、疲労が抜けなかったみたいですね。


▲16:45。さっちゃんが木曜日のデイサービスから戻って来ると、そのまま散歩に出かけました。日没の時刻はすでに16時50分くらいまでに早まっています。

さっちゃんは夕食を完食してくれました。
完食されると、僕の夕食を改めて1品作らなければなりません。
簡単な肉野菜炒めを作りました。
自分の夕食終了が何時くらいだったかは忘れましたが、9時は楽に過ぎてるでしょうし、10時近かったと思います。

それからブログを書こうとしたのですが、どうにも疲れている。
ちょっとだけと思って、さっちゃんの寝ている横に入ったんですが、案の定そのまま寝てしまいました。
目覚めると同時に、両足の脹脛が攣りました。
かなり長い時間、強烈な痛みに耐え、少しでも痛みが和らぐ足の位置を探りながら、布団の中に居ました。
やっと痛みから解放され、起き上がって時計を見ると、夜中の12時でした。
という訳で、木曜日はブログを書けませんでした。

昨日は前半のエピソードなどを昼間に書いたのですが、夜はやっぱり疲れ気味で、書く気が起きませんでした。
それで今、土曜日の昼、という訳です。
さっちゃんは正午前に自分から起きたのですが、飲み物を口にしてくれず、コップをはたいてこぼす始末。
さっちゃんに直接怒りは向けませんでしたけれど、腹が立って、さっちゃんには寝てもらっています。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

で、やっと月曜日の言語リハビリの記録です。

さっちゃんは相変わらず眠たそうではありました。
でも、最初のバイタル測定では嫌がることはありませんでした。
体温36.6度、血圧147~97、SpO₂97、血圧が今回もちょっと高いですね。

ホワイトボードに(こんにちは)(よろしくおねがいします)(さっちゃんの姓と名、漢字で)を続けて書きます。
さっちゃんに声を出して読んで欲しいのですが、さっちゃんは声を出しません。

このあたりで、ケアマネさんが来られました。
さっちゃんの様子が変わるかな、と期待したのですが、全然変わる様子はありません。

いつものように歌を唄うことにしました。

1曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~
2曲目は「里の秋」:静かな静かな里の秋~


(ここまで書いた時、土曜日の2時前、さっちゃんが起きて来ました。
さっきの腹立たしかったことは忘れて、最初からやり直しです。
まずは手の消毒、続いて飲み物を飲んでもらいます。
飲んでくれました。
そして、朝食のオートミールとヨーグルト。
途中、笑顔も見えました。)


また、言語リハビリのブログに戻ります。
さっちゃんは声を出しません。
Y田先生、ケアマネさん、僕、3人が唄っているのにさっちゃんは唄いませんでした。
でも、少しずつ眠たさも和らいできたのか、黙っていたさっちゃんが喋るようになってきました。

Y田先生も、さっちゃんの後は仕事も空いているようです。
いつもならさっちゃんが喋り始めるようになってから時間延長して一生懸命やってくださるのです。
でも、今日はケアマネさんが来られていますし、この後ケアマネとしての用事がありますから、遠慮なさったようですね。
という訳で、この日の言語リハビリはこれで終了。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

ここからは今日土曜日散歩です。
風もなく穏やかないい天気ですからいつもより早い時間に出かけました。


▲15:27。まだ陽は高いのですが、暑くもなくさっちゃんもこの服装で最後まで大丈夫でした。


▲15:34。これからの時季、何故だか影の写真を撮りたくなります。枯草のスクリーンのせいでしょうか?
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今週の言語リハビリは不穏と言うほどではなかったのですが、さっちゃんは半分寝てました

2021-10-22 23:54:49 | 言語リハビリ
10月18日月曜日言語リハビリの記録を火曜日に書き始めました。
でも、1、2行書いてから、寝ていたさっちゃんが起き出しました。
何回か寝かせてはすぐに起き出すことを繰り返しましたから、僕はさっちゃんの横で布団に入りました。
さっちゃんは僕が隣りにいると、あまり起き上がりません。
安心するんでしょうかね?

僕はしばらく布団に居て、10分ほどで布団から出るつもりでした。
ところが、僕はそのまま寝てしまったんです。
疲れていたんですかね?
目が覚めると、ずいぶん長く寝たような気分でした。
時計を見ると、何と! 2時!

翌日水曜日は日没1時間以上前に散歩しました。


▲16:00。つい何日か前までは夏日もあったのに、突然の冬到来です。さっちゃんもジャンパーに毛糸の帽子で防寒対策。

僕は前日の火曜日までは夏用の七分丈のズボンを穿いていました。
上もTシャツに薄手の木綿のシャツだけ。
「ちょっと寒いな」とは感じていましたが、そのまま買い物にも行きました。
そのせいもあるのでしょうか?
散歩から戻って来て、夕食準備をする頃から、僕は止まらない鼻水に悩まされます。
自分の夕食が終わっても、鼻水は止まりません。
ブログを書くどころではなく、早々と布団にもぐりこみました。

木曜日は鼻水は何とか止まっていましたが、何となく体が怠い。
本当は天覧山で岩トレする予定で、山岳会に山行届けも提出していたのですが、中止に。
若いころはこの程度なら山に行って、自然の空気に触れれば風邪も治っていました。
でも今は、このまま天覧山に行けば、鼻水も再開して、ほんの僅かな微熱も更に上がりそうな予感があります。
この日はほとんど布団の中で過ごしました。

いつもより、1皿2皿ほど少なめでしたが、さっちゃんの夕食を作りました。
でも、さっちゃんは機嫌が悪くて、食事を拒否!
食べることを拒否されると、本当に腹が立ちます。
ちょっと間を置くと食べてくれることもあるのですが、それでも拒否!
腹が立った僕はさっちゃんを布団まで引っ張って行って、寝させます。

僕自身は何故だか首の後ろ側が痛くて、凝っていて、気分も最悪。
湿布を貼って、早めに寝ました。

そして今日金曜日、首筋はまだ痛いですけれど、体調はほぼ戻っています。
さっちゃんは夕食を完璧に完食してくれました。
嬉しい!
メニューは玉子かけご飯、お味噌汁(具はあげ、豆腐、えのき、タマネギ、人参、ナス)、ほうれん草の白和え、
花豆4個とクリームチーズ1個とサラダチキン15g、玉ねぎ天(さつま揚げ)1枚、柿半分と巨峰4粒。

僕なら5分ほどで食べてしまいそうですけれど、さっちゃんは1時間以上かけて完食しました。

という訳で、火曜日に書こうと思った月曜日の言語リハビリの記録が今まで延びてしまった経緯でした。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

月曜日言語リハビリが始まる前、さっちゃんは布団で寝ていました。
Y田先生が来られる前にはさっちゃんを起こして椅子に座って待ってもらうんですけど、この日はそれも無理そうでした。
Y田先生が来て、さっちゃんを起こしました。
さっちゃんは眠いだけではなく、少しですが機嫌も悪そうです。

いつものように体温や血圧を計ろうとしますが、まったく協力してくれません。
計るのは無理そうです。
さっちゃんとY田先生とはテーブルの同じ側の椅子に座っているのですが、さっちゃんは立ち上がって布団へ行こうとします。
僕は途中でテーブルの反対側の椅子、僕が座っている椅子にさっちゃんを座らせました。
その椅子が布団への途中にあったからです。

さっちゃんとY田先生とが、テーブルを挟んで対面で向き合っています。
さっちゃんはほとんど目をつむったまま。
そんな状態でしたが、リハビリが始まりました。

ホワイトボードに(時計、鉛筆、電話)と書き、さっちゃんの眼の前にY田先生の腕時計を置きました。
「これはどれ?」と聞きます。
さっちゃんは無反応。
Y田先生がホワイトボードの文字を指差しながら「これ? これ? これ?」と聞きます。
さっちゃんは無反応。

今度はホワイトボードに(おはようございます よろしくお願いします)と書き、一緒に発声するように促します。
でも、さっちゃんは無反応。

ここまででだいぶん時間が経過しています。
さっちゃんも最初のころとは少し様子が違って来ていました。
瞼が開いている時間が長くなって来ていました。
機嫌もそれほど悪くはないみたいです。

ですから、さっちゃんはいつものように喋り始めていました。
こうやって、ただ喋っているだけでも、さっちゃんにとってはいいことだ、とY田先生は考えているようです。
僕は「うん」とか「そうだね」くらいの相槌程度しか言えないのですが、Y田先生は違います。
さっちゃんの何を言っているか分からない喋りをY田先生との会話に作り上げていこうとしているように思います。
さっちゃんの喋りの内容を類推したり、想像したりしながらY田先生は会話を創り上げていくんです。

傍で聞いている僕からしても、ふたりがちゃんと会話をしているように感じられます。
さっちゃんはただ独りよがりに喋ってるんじゃなくて、ちゃんとY田先生の話が終わってから喋り始めています。
さっちゃんはある程度は(ほんの少しでしょうが)人の話している内容が理解できているとは思っていました。
ですから、Y田先生の話を受けて、さっちゃんなりに何かを喋ってるんでしょうね。

さっちゃんの状態が普段通りに戻って来ましたから、最初に計れなかったバイタルを計ることにしました。
血圧は152~97、脈拍76、体温36.7度、SpO₂97。
血圧が高いですね。
これで、この日の言語リハビリは終了です。
リハビリらしきことはほとんど出来ませんでしたけれど、感じることのあった日でした。
さっちゃんにとっても、こういう日があっても構わないと思っています。


この日はその後、掛かり付けのお医者さんのところへ行きました。
薬がなくなりかけていたからです。
クリニックでも血圧を計りましたが、120台に戻っていました。
さっちゃんとお医者さんとの会話もちゃんと出来てる雰囲気でした。
帰りの挨拶もさっちゃんはちゃんとしていましたね。
(もちろん、言葉は正しくはありませんが)
先生へのお礼とお別れの挨拶だということは伝わったようです。


▲16:48。クリニックからも多摩川の土手沿いに散歩を兼ねて歩きました。
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月曜日の言語リハビリは順調だと感じます。先週の分もまとめて報告します

2021-10-13 23:56:05 | 言語リハビリ
昨日の夜、この内容のブログ(言語リハビリ)を書くつもりでした。
でも、僕は自分の夕食後に疲れたせいなのか横になりたくなって、先に寝ているさっちゃんの横で寝てしまいした。
目が覚めると、夜中の2時。
台所での用事とかさっちゃんのデイサービスの準備とか、幾つか済ませて再び本格的に就寝したのは3時でした。

昨日は散歩に行く前に無印良品で買っていた不揃いバウムをさっちゃんに食べてもらいました。
これを食べると摂取カロリーは約350kcalになります。
さっちゃんはこれが好きなようで、1本全部食べてくれました。


▲16:52。まだ4時台ですけど、夕陽が山の端に沈みそうです。夏には6時半ころに散歩していました。季節は確実に移っていますね。

これまでは7時台に夕食をしようと考えていました。
散歩から戻って来ると、そんな時間になってしまうからです。
7時台と言っても、ちょっとゆっくりしてしまうと、すぐに8時になってしまいます。
さっちゃんの夕食には1時間ほどかかりますから、僕自身の夕食は9時台になってしまっていました。
それで、昨日考えました。
夕食を6時台にしよう、と。
まあ、出来ないことではありませんよね。
散歩から5時半過ぎに戻って来て、すぐに夕食準備を始めれば6時台は十分可能ですからね。
昨日はお味噌汁とニラ玉を新たに作りましたから、夕食スタートは7時になってしまいましたが。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

ここまでは昨日(火曜日)のさっちゃんがデイサービスへ行っている間に書きました。
その日(火曜日)の夜には完成させてアップする予定でした。
ですから、上の文章で「昨日」というのは月曜日のことです。
でも、さっちゃんがデイサービスから戻って来る時間あたりから、僕は何となく怠く感じ始めていました。
熱がある訳でもなく、どこか明瞭に不調箇所がある訳でもありません。
怠いと言うよりも、何もしたくないというか、サボり癖のような気分なんでしょうね。

さっちゃんが戻って来て、着替えてもらったり、手を消毒したりして、布団で横になってもらいました。
同時に僕もさっちゃんの隣りで横になってしまいました。
さっちゃんはさほど疲労感は無いみたいで、すぐに起き上がってうろうろとしています。
ダイニングの灯りは消していたので、暗い部屋には足を運びませんから、寝室内を行ったり来たりしています。
そんなさっちゃんの様子を気に掛けながら、僕は布団の中に居続けます。

その内、さっちゃんはダイニングの灯りを点けることが出来て、ダイニングにも足を延ばすようになりました。
何となく布団の中からでもさっちゃんの行動は把握できたので、僕は布団から出なくても済みました。
そんなさっちゃんもやっと布団に戻って来ました。
僕は一度起き上がって、ダイニングの様子をチェックし、灯りを消して、再度布団の中に入りました。
6時でした。
夕食の準備をしようかな、と一瞬思ったのですが、体も心も怠くて止めました。

ずいぶん長く寝ていた気分でした。
肉体的にも精神的にも疲労感や怠さは減少しているように思えました。
今が何時なんだか、よく分かりません。
翌朝に近いような気もしますし、ひょっとしたらまだ夜8時くらいかもとも思いました。
時計を見ると、夜中の12時少し前でした。

僕は目薬を差し、歯を磨き、寝巻きに着替えると、すぐに布団に戻ります。
僕としては珍しく、夕食は食べませんでした。
お腹も空いていません。
さっちゃんも夕食を食べていません。
さっちゃんは6時以降、ぐっすりと眠り続けています。

そして、今日(水曜日)です。
僕は朝8時15分に目が覚めました。
慌てて起きて、プラスチックごみと空き瓶をごみ集積所に持って行きます。
8時半までに出すルールなんです。
溜まっていた食器を洗い、僕の朝食を作って食べました。
体調はさほど悪くありません。
精神的にも疲労感はなくまずまずです。
たっぷり寝たのが良かったのでしょう。

さっちゃんはまだぐっすりと寝ています。
11時ころだったでしょうか? さっちゃんが起き出しました。
寝室の戸を開けて、「おはよう」と言うと、何やら様子が変。
とにかく、前日のデイサービスで行って以降トイレに行っていませんから、さっちゃんをトイレに連れて行きました。
僕の予想よりはパッドは重くありませんでした。
尿量は340g。
そんなことよりも、さっちゃんの機嫌が悪いんです。
トイレの中でも足をバタバタさせてリハパンを脱ごうとしますし、ダイニングの椅子に座ってもらってからも僕に反抗し続けます。
この状態では朝食も食べてくれそうにありません。
僕はさっちゃんを布団に戻すことにしました。

さっちゃんは再び眠りに落ち、2時ころに起き出しました。
これくらい時間が経つと、さっちゃんのご機嫌も良くなっている可能性が、という僕の期待は的中。
さっちゃんはいつも通り朝食(遅い昼食)を食べてくれます。
さっちゃんにとってはほぼ24時間ぶりの食事です。
食べ終わると、再び布団の中に戻ります。

朝食との間隔が短いので、夕食は8時か9時でもいいのではと思いましたが、さっちゃんが7時ころ起き出して来ましたから、夕食にしました。
まだ、あまり空腹ではないと思いますから、量は少なめです。
お味噌汁、玉子かけご飯、花豆4個とクリームチーズ、キウイ1個と巨峰4粒、里芋とさつま揚げの煮物です。
さっちゃんは途中で何度も食べることを拒みますが、忍耐強く食べてもらおうとすると、食べてくれます。
それでも、本当に食べてくれなくなる限界もあって、その時は明確に分かります。
明らかに食べてくれそうにありません。
今日はよく食べてくれました。
ほとんど完食に近いと思います。

その後、僕は自分のおかずを作り、夕食を食べました。
今日からスタートした『相棒 20』を観てから、このブログを書き始めています。
月曜日の夜に書こうと思っていた言語リハビリの報告ブログです。
言語リハビリの報告が本題なんですが、それに至る苦難(?)の道がメインのようでしたね。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

まずは先週、10月4日(月)の報告から手短かに記そうと思います。

まずは体調の測定から。
体温、血圧、SpO₂ を計りました。
体温は37.1度、血圧は111~77、SpO₂は97でした。

続いて、いつものカードです。
「飛行機」と「スイカ」のカードを見せて、「どちらが飛行機?」と聞きます。
さっちゃんはすぐにではありませんが、正しく選べました。
続いて、「猫」と「バナナ」と「スイカ」を見せて、「スイカはどれですか?」と聞きました。
さっちゃんはどれも選びませんでした。
「一緒にス・イ・カと言ってみようか」とY田先生が言って、
「さあ、ス・イ・カ」とY田先生が言いますが、さっちゃんは黙ったまま。
同じように「一緒にバ・ナ・ナと言ってみようか」と言っても、さっちゃんは無反応。
「猫」のカードには反応がいいですから、「一緒にネ・コと言ってみようか」と試しましたが、さっちゃんは黙ったまま。

続いて、いつもと同じように歌を唄いました。
1曲目は「里の秋」:静かな静かな里の秋~
2曲目は「月の沙漠」:月の沙漠をはるばると~
3曲目は「紅葉」:秋の夕陽に照る山もみじ~
3曲ともさっちゃんは一緒に唄いました。


続いて、今週の月曜日です。

体温、血圧、SpO₂ を計りました。
体温は36.8度、血圧は128~90、SpO₂は95でした。

そして、ホワイトボードに「おはようございます」「令和3年10月11日月曜日」と書きます。
一緒に発声するように働きかけますが、さっちゃんは一緒には声を出しません。

後半はいつもと同じように歌を唄いました。
1曲目は「ふじの山」:あたまを雲の上に出し~
2曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~
3曲目は「里の秋」:静かな静かな里の秋~
4曲目は「紅葉」:秋の夕陽に照る山もみじ~
「ふじの山」は後半から声が出ていました。
その後は全部声を出して唄っていましたね。

今週の月曜日前半は眠そうにしていました。
先週も今週も決して満足できる内容ではありませんが、ストレスなくやれているのでいいと思います。
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15ヶ月ぶりの失語症グループリハビリに参加予定でしたが、さっちゃんが朝から不穏気味で行けませんでした

2021-10-07 23:55:29 | 言語リハビリ
僕のブログの言語リハビリカテゴリーを見直してみると、2020年7月に参加した記録が残っていました。
4ヶ月ぶりの失語症グループリハビリにやっと参加できました。ただ、小さな不穏が繰り返し出て、早めに退出することに
今月になってやっと再開されることになった失語症グループリハビリですが、実に15ヶ月ぶりなんですね。
他に記録も取っていないので、15ヶ月間で催された月もあったのかもしれませんが、とにかく凄~く久し振りです。

木曜日もデイサービスを利用するようになったのは今年の3月からですが、その際にもこの失語症グループリハビリのことは伝えてあります。
これが再開された際には、デイサービスはお休みすることも伝えてありました。
今回、あらためてケアマネさんから連絡を入れてもらいました。
僕からも今週火曜日に迎えに来てくださった時に伝えました。

F沢さんからは「今週木曜日、日和田行きたいです」とメールが入りましたが、事情を説明して今週の日和田は中止にしてもらいました。


そして、今日が当日の木曜日。
お昼の1時半前に家を出て、電車に乗り、降りた駅からはタクシーでセンターへ向かうことにしていました。
歩くと20分ほどはかかりますから、さっちゃんには楽をしてもらって、センターに着いたときに疲れていないようにしたかったのです。
ですから、乗る電車もギリギリのを予定していました。

さっちゃんにはたっぷり寝ていてもらおうと思っていましたが、意外なことに11時くらいに自分から起き出して来ました。
まずはトイレに連れて行きましたが、何も出ません。
次に着替えなんですが、もう外出着に着替えてもらうか、室内着に着替えさせるか悩みました。
あと2時間以上ありますから、室内着にします。
でも、さっちゃんは少し不機嫌な様子。
着替えにもあまり協力的ではありません。
ソファに座っているさっちゃんが、さっちゃんの前で畳に座っている僕の頭をポカンと叩きました。
まったく痛くはないのですけどね。
さっちゃんの不機嫌さの表われです。

何とか着替えてもらって、食卓の椅子に座ってもらいました。
手を消毒用ウェットティッシュで拭きます。
飲み物を少し温めて、僕が口元に運んで飲んでもらいます。
50ccくらいでしょうか、飲んでくれました。
続いて、オートミールとバナナの朝食ですが、これは食べてくれません。
理由は分かりませんが、怒っています。
僕にはどうしようもありませんから、さっちゃんには再び布団の中に戻ってもらうことにしました。

1時前にさっちゃんを起こして、外出着に着替えてもらいました。
かなり抵抗しましたが、着替えさせられないほどではありません。
もっと激しく抵抗する時もあるんですが、そんな時は着替えは不可能です。
ただ、上着のシャツだけは着てもらえませんでした。
何度トライしても駄目でした。
今日は気温が低いので着てもらいたいのですが、無理でした。
ズボンを穿かせる際も抵抗はあって、足で蹴飛ばされたりしましたが、両足さえ入れてしまえば、けっこう力ずくで何とか穿かせられます。
でも、シャツは無理ですね。
まず、指でシャツのどこでも掴まれると、それ以上どうしようもありません。

Tシャツだけの姿でとりあえず朝食を食べてもらいました。
不思議なことに朝食は食べてくれます。
一緒に薬も錠剤4錠中3錠までは飲んでくれました。
でも、そこでストップ。
それ以上は食べてくれません。

まあ、食べなくても出かけることは出来ますから、さっちゃんの髪の毛を梳こうとしました。
これにもさっちゃんは抵抗して、梳かせてくれませんし、輪ゴムで結ばせてもくれません。
まあ、髪の毛はぼうぼうでも出かけることは出来ます。
椅子に座っているさっちゃんの両手を取って立ち上がってもらおうとしました。
でも、立ち上がってくれません。
立ち上がらせて、玄関に連れて行って、靴を履かせて、外に出ようと思いましたが、これは無理だな、と思いました。
さっちゃんは不穏気味で怒っていますし、僕が何かをやってもらおうとすると抵抗します。

僕はグループリハビリに参加することを諦めました。
主宰されているS田先生にメールを送りました。
「1時半前に家を出て、センターへ向かう予定でした。
でも、最終的にそれが不可能になりました。
さっちゃんは目覚めた時から不穏気味で、食事もしてくれませんし、一緒に出かけられるような状況ではありません。
せっかくデイサービスもお休みにしたのに残念で仕方がありません。
まあ、こればかりはどうしようもないですからね。
また来月よろしくお願いします。」


さっちゃんのズボンと靴下を室内着に着替えてもらい、ちょっと力ずくで布団に連れて行きました。
さっちゃんはそのまま寝てしまったようです。

1時間後くらいだったでしょうか?
さっちゃんが起き出して来ました。
雰囲気が変わっています。
いつものさっちゃんです。
朝食を食べてもらいました。

夕食時もいつもと変わりないさっちゃんでした。
用意した夕食の3分の2くらいを食べてくれました。
写真を撮ったので Before&After を見てください。


▲19:31。お味噌汁から時計回りに説明します。お味噌汁の具はあげ、人参、えのき、ナス、小松菜。キウイ1個と巨峰4粒、花豆4粒とクリームチーズ1個、ブロッコリーのマヨネーズ和え、玉子かけご飯、かぼちゃサラダ。ブロッコリーは大豆サイズくらいの小さな房にしてあります。


▲20:21。お味噌汁は3分の2、キウイは16切れ中11切れ、巨峰は11切れ中6切れ、花豆とクリームチーズは完食、ブロッコリーは半分、玉子かけご飯は3分の2、かぼちゃサラダはほぼ完食でした。まずまず食べた方でしょう。

夜の10時40分ころ、突然地震の揺れが来ました。
この辺りは震度3くらいかなと思いますが、久し振りに揺れました。
すぐに寝ているさっちゃんを見に行くと、さっちゃんは目を開けて起きていました。
地震の揺れで目が覚めたんでしょうかね?
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