三太郎一家・福猫はどの子!PART7(完結編)

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福田にシェルターを持たせた猫:ケーパー

2019-09-10 12:37:29 | 保護ねこを看取るとき
今はもう崩壊現場をレスキューする元気は、福田にはありません。過去、レスキューは2回のみ。
それ以上はできません。レスキューは本当にお金が掛かるのです。個人ではできない事です。
初めて崩壊現場に入った時のショックは今で鮮明に残っています。ケージに閉じ込められていた猫を見て
号泣しました。でも泣くほど、その猫達は不幸でも悲惨でもなかった。なぜなら、皆んな性格が良い子で、
きっと飼い主さんは、愛情を込めて飼育していたと想像します。まぁ、飼育の方法が間違っていただけかな。

経緯はこち「SOS多頭飼い崩壊@東大泉」

そしてレスキューした猫達の飼育場所として、月額10万円で部屋を借りました。
この部屋が後に、保護猫カフェとなっていくのです。私の超多頭飼い生活のスタートですね。

「S0S多頭飼い崩壊@東大泉/その8/変化 」


崩壊家族の父親ケーパーは茶白。家に通う野良だったそうです。
母猫は黒猫でした。子猫の時に保護し飼ったそうです。2度の出産を行い、
部屋の中の猫は2匹が10匹となってしまった。あわてた飼い主さんは繁殖を防ぐために、
一匹一匹をキャリーやケージに閉じ込めて飼育をしたのです。ペット飼育不可の団地のため、
バレないように窓を開けない。カーテンも開けない。数年、陽の光を見せない生活を猫にさせた。
私に言わせれば、その飼い方は虐待です。

元気な時のケーパー。マーキング王ケーパー。

毎日、尾をピンと上げ、日に何度となくマーキングしていました。
怒ってもダメ。おしめしてもダメ。ケージに閉じ込めてもダメ。
「もう、好きにしろ!」と、福田があきらめた猫です。
その子が最後、私のベッドでゴロゴロ鳴きながら甘え、寝るようになりました。
今の家に越してからですね。半年、私に甘えて枯れるように逝きました。
9月5日。大往生でした。ケーパー17歳。レスキューして6年。私は最後まで看ると言う責任を果たせた。


8月は2匹、看取りました。9月はケーパー。
今、弱ってきている猫は2匹。猫の死因のトップは腎臓病と言われていますが、
私の家では、口内の炎症からくる衰弱死が多い。毛艶が悪くなる。食が細くなる。
痩せてくる。元気がなくなる。口内の炎症を薬で止めると腎臓が悪くなります。
何度かそれを経験したので、なるべくサプリメントで炎症をとめ、食べやすい物を与えます。

《今、使用しているサプリメントはSUPER SOPHIA と熊笹エキス》

そして補液をします。体調によって、1日置きに50から100CCを入れます。補液をすると元気がでます。
少し食欲もでる。でも段々と補液の効力がでなくなります。最後、どこで補液を止めるか。
それを決めるのは私です。この子はもう楽になりたがっているのかどうか。
考えます。悩みます。その決断は辛いです。看取りに慣れはありません。
看取った後は、どっと疲れがでます。ふぅー。頑張れ!私!あと100匹看取りの責任がある。頑張れ!

祈れば心は落ち着つきます。お別れは基本、一人で行います。
最後、お線香をあげ、頭を撫ぜて「お疲れ様でした」と呟きます。
もう140回くらいは呟いた。しかし暑かった〜練馬37度の日。
猫の葬儀の後も、どっと疲れがでます。歳だな〜と感じています。
あと10年。あと100匹。本当に頑張らねば。


秋バラが咲き始めていたペット霊園ニルバーナさん。
お墓があるから、心静かに送れるのです。ありがとうございます。ご支援者の方々に感謝。

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