三太郎一家・福猫はどの子!PART7(完結編)

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飼い猫と保護猫に対する愛情の差

2022-05-05 12:43:02 | 保護ねこを看取るとき
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現在13名のサポーターが決まりマンスリー39、000円となりました。
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愛猫お豆ちゃん15歳が死んでから、心に穴が空きしばらくボーとしておりました。
ブログを開始した2006年には自分の飼い猫は13匹いて、お豆は保護子猫1号でした。
可愛い子で譲渡できなくて、すぐに自分の猫としました。



多頭飼育する上で決めていることがあります。
1、エコヒイキをしないこと
2、猫が苦しむ延命はしない。
3、飼い猫と保護猫に治療の格差をつけない

一番にエコヒイキをしないことを掲げるのは、ヒイキしてしまう自分がいるからでしょう。
子猫から自分の飼い猫として、長い年月暮らした猫は特別に可愛いです。
人と密接な時間を持ちながら育った猫は感情豊かで、飼い主に対する態度に愛がこもっています。
隙あれば膝に乗る。下から見上げる。腕枕が好き。抱けば、うっとりしながら空中フミフミをする。
お豆は私を完全に信頼して、愛情表現をする可愛い子でした。
反対に、長く外猫を経験した猫は野生に近いです。人を敵だと思っているので、心を開くことがありません。
多くの猫を飼育した結論ですが、動物のほとんどが、条件反射で行動が決まると感じています。
嫌いな人間でも時間がくれば、ご飯を持って来る。
その時だけは媚びてみるかの猫が、とても多い。打算が見え見えで可愛くないですよ。
私は、ただの餌やりさん。死ぬ直前でも、シャー言う猫もいました。
人生を賭けて保護したことなど、猫にとっては関係ないことです。

お豆ちゃんの存在が大きかった。思い出も多い。悲しみも大きい。辛い日々を送っておりました。
私にとって愛猫は子供ではなく、人生のパートナーです。お豆と暮らした15年は、
私の人生の中の激動の時間でした。辛い事、悲しい事、大変な事。次々に来る問題を乗り越えていた時期。
疲れ果てて眠る時には、お豆が側にいた。それも関係しているのでしょう。
200匹以上の看取りをして、お豆で、初めてのペットロス症候群を経験しました。
でも、もう大丈夫です。立ち直っております。泣いている暇はない!前に進むのみ。保護猫達を守るために。



シェルターには、もう私の飼い猫はいません。全てが保護猫。
最後まで飼育することが私の責任であって、仕事だと考えています。
そうでないと、多頭飼育はできないと思っています。
私は猫に対する愛情が異常に深くて、保護活動を行っていたのではなく
猫の運命を変えたことで、猫が幸福になっていく姿を何度も見て、
それが快感となり、止められなくなったと自己分析しています。

お豆は、腎不全の兆候が早くからあったので、食事の改善と補液で看取りました。
人慣れしていると、補液は楽です。人慣れしていない猫への補液は無理です。
目が合うだけで威嚇したり逃げる猫を、押さえつけて行う治療は、
猫にとっては拷問です。自然死を選ぶしかありません。
人が嫌いな猫は、触られることを拒否します。自然死は仕方ないのです。
自然死は苦しむことなく、眠るように逝きます。日々、猫の性格を見ながら、
苦痛を与えない看取りの方法を考えております。

しかし多くの看取りを経験しましたが、夢に猫が出てきたことが一度もありません。
もちろんお豆も。猫の夢は不思議に見ないのです。
お墓に行っていつも、保護猫には謝ります。
私の努力不足で、飼い猫にしてあげることができなかったことを。ごめんなさい。




【ご支援のお願い】
猫のフード、消耗品、電気代が値上がりしています。
ホームセンターで買い物をすると、今までの2〜3割高くなっています。
電気代はすごいです。昨年と同じ使い方をしましたが、
今年は5万円を超える月が3ケ月連続でした。去年の最高金額は5万円代でしたが、
今年の最高は6万5千円です。大変厳しい状況となっております。
これまでと同様に、ご支援の継続をお願いいたします。

アマゾン欲しいものリストからの消耗品のご支援、ご寄付をお願いいたします。

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