週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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オモチャと椅子と空

2011-01-05 01:40:18 | 仏教小話
気がつけばお正月も三が日が過ぎ、生活が平日モードに切り替わりました。

お年始のご挨拶に来られる方は元日にドドッとおいでになるので、2日と3日は意外と静かな時間を過ごせます。
(代わりに住職と副住職が、4日までお年始のご挨拶に回っていましたが…)

もちろん、まったくいらっしゃらないというわけではないので気は抜けませんが、多少の余裕があったので、お正月にこんなものを作りました。



ダンボールに穴を空けヒモを通し、その両端をそれぞれ結んで玉を作り、その玉を手掛かりに紐を引いて、長さが伸びたり縮んだりする様を遊びながら体感するもの。
とある幼児施設で、この箱のオモチャに龍くんと同じくらいの子供が夢中になっているのを見て、これなら自分でも作れるなと思いチャレンジ。

ダンボール…箱買いしたオムツの箱
白い紙…龍くんのお絵かき用の画用紙から拝借
キャラクターの紙…子供服を買ったときの手提げ袋の切り抜き
紐…これのみ足りないものを手芸屋さんでお買い上げ

クレヨンを片手に襲ってくる龍くんとの攻防戦を制した末、2時間ほどで完成。
チープながら素晴らしい出来だと自画自賛したあとに、「さぁ、思い切り遊びなさいっ!」と龍くんに完成品を差し出すと…。

まったく興味を持ちませんでした(泣)

この箱は、遊ばれればオモチャだけれど、遊ばれなければ、ただの箱。
椅子だって、誰かが座れば椅子だけど、誰かが座面を使って勉強し始めたら机になる。
振り回せば凶器になって、壊れたら座れないから椅子の機能は失われる。
そして、机に腰掛ければ、それが椅子になる。

オモチャは、オモチャとして遊ばれている瞬間にのみ存在する。
椅子は、誰かが座っている瞬間にのみ存在する。
その名称通りの機能と物体が、永遠不変に存在するということは有り得ない。

これが、仏教の根本にある『空』の思想の単純な説明になります。
しかし、なんでこんな話に繋がったのか…たぶん自分の作ったものが、ただの紐が飛び出した大きな箱になってしまった事実に動揺しているのかも。

さて、この箱をただの箱から、再びオモチャへと転換することができるのか。
もう少し、あがいてみましょう(笑)