週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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月のうさぎ

2011-01-25 01:29:31 | 仏教小話

月にはウサギが住むという。  

それは誰もが耳にしたことのあるお話。
けれど、なぜそう言われるようになったかまでは、耳にする機会も少ないことでしょう。

「今は昔…」で始まる『今昔物語』(1077年・平安末期)の第五巻第十三話に、【三獣行菩薩通兎焼身語】というお話があります。


その昔、天竺に我が身を忘れ、他を哀れむという菩薩の心を持つための修行に励む、サルとキツネとウサギがいました。
あるとき、3匹は行き倒れた老人に出会います。
サルは木の実を、キツネは魚を、それぞれの特技を生かして手に入れ差し出しました。
しかし、ウサギは何も手に入れることができません。
するとウサギは、サルとキツネに頼んで起こしてもらった火の中に自ら飛び込み、我が身を老人へ差し出しました。
その様子を目の当たりにした老人は、帝釈天という仏教の守護神である元の姿に戻ります。
帝釈天は、日頃の3匹の立派な行いを見て、彼らの本心を試そうと、老人の姿で3匹の前に現れたのでした。
帝釈天は、ウサギが命を掛けて示した心がけと行為を後世にまで残そうと、ウサギの姿を月の中に移します。
いま、月の表面にウサギの姿が現れて見えるのは、我が身を燃やした炎から上がった煙が、月に映した影だということです。


こうした説話がもとに、月に住むウサギのお話が現代にまで伝わってきたのですが、この説話は日本で生まれたものではありません。

元を辿ると、『西遊記』の三蔵法師のモデルにもなった、玄奘三蔵という中国の僧侶が記した『大唐西域記』(645年)にあり、現在のインドのベナレスにあった仏塔の由来を記した箇所に、月のウサギの説話が登場します。

そして、さらに辿れば、『本生譚』という仏典に到達します。
この仏典は、お釈迦さまの前世(ジャータカ)の物語を集めたもの。

それは、お釈迦さまがお釈迦さまとして誕生するまで、生まれ変わり死に変わりを繰り返した、幾つもの前世の修行者としての物語です。
七仏通誡偈でも書きましたが、あまりに偉大であったお釈迦さまのお悟りは、お釈迦さま一代で開かれたものであるはずがないという考えが生まれます。
そして、過去に富める者や貧しい者の生、動物の生に至るまで、いろいろな苦しみを知り、さまざまな徳を積んでいたからこそ、お釈迦さまとして生まれた生で、悟ることができたのだと考えられたのです。

つまり、この説話のウサギは、お釈迦さまの前世の一つということ。

ちなみにジャータカでは、ウサギは死なずに、その行いを讃嘆し広めるため帝釈天が山を掴んで絞り出た汁で、月にウサギの姿を描いたとあります。

さらに付け加えると、月とウサギは古代中国の彫刻や、弥生時代の土器にも見られるようなので、ジャータカにのみ由来を求めるのは尚早ということで、ご注意を。

さてさて、なぜ今回は月のウサギの話になったかというと…。
先日の仏壮の研修会で、歎異抄第十八条をテーマにした講義のレジュメに、月のウサギ(ジャータカ・バージョン)が載っていたのを読んだから。(住職と副住職が出席)

…相変わらず、私の着眼点は主体からズレるようですね。