はるがいてくれて、とても幸せです。
はるのおかげで、私たちははじめて知ることができました。
愛情というのは与えるものではなく、愛したいと感じる気持ちを相手からもらうものだと。
『まほろ駅前多田便利軒』(三浦しをん著)より。
【はる】という名の幼い娘を抱き上げながら、愛おしそうに母親が口にした一節。
今なら、その気持ちが痛いほどよく分かる。
感情とは、自分の中から自ずと溢れ出すものだと思っていた。
溢れ出た感情を、人に分け与えることができると思っていた。
けれど、それは違ってた。
感情とは、自分一人では溢れ出てはこないもの。
誰かがいて、何かがいて、初めて溢れ出てくるもの。
だから、自分から与えようなんて、おこがましく思えてくる。
勇気を与えることも。
元気を与えることも。
夢を与えることも。
希望を与えることも。
感動を与えることも。
愛情を与えることも。
私にはできそうにない。
勇気をもらって。
元気をもらって。
夢をもらって。
希望をもらって。
感動をもらって。
愛情をもらって。
もらってばかりの人生だ。
龍くんへの愛情だって、龍くんがいたからこそ芽生えた感情。
私の龍くんへの愛情は、龍くんからの頂き物。
喜び・怒り・哀しみ・怒りも、頂き物。
そうやって、自分の中にある全ての感情が、誰かから、何かからの頂き物だと気がつくことで、繋がりあいながら生きている自分の姿が見えてはこないだろうか。
私は決して一人じゃない。
一週間前のこと。
4月8日、友人に待望の第一子が誕生しました。
前日の夜は、横浜でも震度4の余震が観測された日です。
友人は余震の後に陣痛が始まり、翌日の午後5時を過ぎてようやく赤ちゃんと対面できたそうです。
初めての出産に体力が尽き、立ち上がるのも辛い状態で、出産は当分いいやと言いつつも、赤ちゃんの可愛さに痛みも薄らぐようなことをメールで伝えてくれました。
さて、誰もが母親から生まれるように、お釈迦さまにも生まれた時の逸話があります。
生まれたとき、お釈迦さまは泣くことはありませんでした。
泣かない代わりに、生まれてすぐ7歩歩いて、左右の手で天と地を指差し、こう言います。
「天上天下唯我独尊」 (天上天下、ただ我ひとりのみ尊しとなす)
この言葉を、「天の上においても、天の下においても、私が最も勝れたものである」と聞くと、横柄で自信家の言葉にも聞こえてきます。
しかし、この言葉には「世界中に満ちている苦しみを安らげてみせよう」という決意の上に、己の尊さを世に表されたという意味合いが込められています。
ただ、この言葉が伝えたいことは、それだけではありません。
お釈迦さま自身が掛け替えのない尊い存在であるように、私たち自身もまた、それぞれがそれぞれに掛け替えのない存在であり、尊い存在であるということ。
世界でたった一人が尊いのではなくて、世界でたった一人の私が尊いということ。
私だけでなく、一人一人そのすべての存在が尊いということ。
そこには横柄で傲慢な言葉のイメージは消えています。
「あなたが大事」
それはとても温かな言葉に聞こえてはきませんか?
というわけで友人の赤ちゃんは目出度くも、このお釈迦さまと同じ誕生日となりました。
喜ばしい日が重なり嬉しく思っていたのですが、同時に友人の産まれたばかりの赤ちゃんが、分娩室でいきなり歩き出して、「天上天下唯我独尊」と言い出す光景を想像してしまいました。
「オイオイオイオイっ!」
そう赤ちゃんにツッコミを入れる友人の姿を思い浮かべて、笑いがこみ上げてきます。
それでもきっと友人なら、その子を喜んで抱きしめることでしょう。
そして、私にこう言うのかな。
「あげないよ」
いいよ、私には可愛い龍くんがいるからね。
とにかく出産おめでとう。
今日は撮影日和だったので、枝垂桜を撮りまくりました。
最初の大きな一枚は、庫裏の2階から見える枝垂桜。
次の一枚は、墓地へと続く道から見た枝垂桜です。
こうして見ると、一番贅沢な角度からお花見しているのは私たちのようですね(笑)
さて、この度の親鸞聖人750回大遠忌法要の記念事業の一環に「てがみ~親鸞聖人へのメッセージ~」というものがありました。
賞品に目が眩んだ…じゃなくて、何らかの形で参加できないかと思っていたときだったので、2通ほど書いて応募したのですが・・・。
どうやら、私の桜は散ったようですね。
受賞作品は大遠忌法要の特設HPにて閲覧できますので、どうぞご一読くださいませ。
ほのぼのした中にある悲しみと、その悲しみをほのぼのとさせるものへと変えた阿弥陀さまの【はたらき】を感じることのできる作品などなど、読み応えのある文章ばかりです。
やっぱり、こういう【ほんわか】した文章じゃなきゃ受賞は無理だわ。
三十路にしてギザギザハートの持ち主で、ナイフのように尖った私には書けません、はい。
枝垂桜(しだれざくら)が見ごろを迎えました。
ハクモクレンを挟んで、奥が枝垂桜で、手前がソメイヨシノです。
天気がイマイチですが…(汗)
けれど、境内から見える杉山神社の桜のほうが、見応えがありました。
桜が散るのが無常なら、桜が咲くのもまた無常。
常ならならない事象を嘆くばかりのこの頃ですが、美しいと思える幸せを思い出せた一日でした。
現在、宮城の仙台別院には浄土真宗本願寺派のボランティアセンターの本部が設置されていて、全国から僧侶のボランティアが集り活動しています。
彼らは届けられた物資を仕分けて避難所に届けたり、炊き出しをする他、依頼された場所に赴き、撤去作業や清掃作業を請け負っているそうです。
先日の研修会にて、前日まで宮城の被災地で活動していた人たちの話を聞くことができました。
皆さんは一様に「言葉がない」「言葉にできない」と言います。
活動していたときのことを、まとめて話そうとしても、自分の許容量を遥かに超える現実を前に、到底まとめることができないのだそうです。
それでも、具体的な質問にならば答えてくれました。
そのうちの一つに、テレビでは伝わないけれど、凄い臭いが立ち込めているとのこと。
腐った海水のような異臭のするヘドロを掻き出す長時間の作業には、さすがに悲鳴をあげそうになったと言います。
そして、休憩中に周辺を歩いていると、被災された地域の方が気さくに声を掛けてくれるそうです。
「どこから来たのか?」という世間話に始まり、自分の家があった場所を教えてくれたり。
けれど話すにつれ、震災当日へと心が戻り、走って逃げる大勢の人波の中で、前の人を押し退け、かき分け、必死に高台へ逃げて助かった安心感の後に襲ってきた、見捨ててしまった人たちへの罪悪感を吐露する方もいらっしゃったと言います。
その方の話を聞いたのは私の後輩にあたる僧侶ですが、彼もまた「何も言葉にできなかった」と言っていました。
同時に、「【被災者に寄り添う】なんて簡単に言えない」とも言いました。
私を含めてですが、いま頻繁に【寄り添う】という言葉が使われます。
【被災者の心に寄り添う】
【被災者の悲しみに寄り添う】
故郷を失い、住む家を失い、仕事を失い、愛する人を失い、思い出も流され、遺影にする写真さえも奪われた。
写真がないということは、在りし日の姿を、二度とこの目で見ることができないということ。
全てが記憶の中にしか残っていないということ。
こういう言葉から、なんとなく想像はできるけど、その想像は想像の域を出ることはありません。
そして、その想像を超えた現実が、被災者の人数分だけあるのです。
後輩は、その想像を超えた現実を前にして、「寄り添っていたつもりになっていただけで、実際は寄り添うことのできない自分に気がついた」と、宮城での日々を振り返りました。
東日本大震災から、昨日で1ヶ月。
未だに大きな余震の恐怖に苛まれている被災された方々の心情を思うと、「頑張ろう」と軽々しく言うことはできません。
けれど、そういう気遣いを初め、時には被災者への後ろめたさや遠慮の思いや慮った行為が、イコール【寄り添う】ことのように言われていますが、それはあくまで私たち目線の【寄り添い方】でしかないのかもしれません。
多くの人が身に起きたことを話したがっている、後輩はそう感じたようです。
そして、何も言えなくとも、何も言わなくても、ただ聞くという姿勢、ただ聞き続けるという姿勢をもって、傍らで静かに思いを受け止めること、それこそが本当に望まれている【寄り添い方】だったと思ったといいます。
受けた深い傷の痛みや悲しみは、私たちには決して量りしえないものです。
理解しようとしても、普通の日常に帰ることのできる者には、理解しえないものもあります。
「仕方がないよ」という慰めでは、傷口から溢れ出る血を止めることはできません。
その中で、望むような寄り添い方ができない今の私ができることは何なのか…。
僧侶としての私の有りようが、問われているように思います。
ただ今は、1ヶ月という節目に合掌。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏