Peace Of Mind  

気分と体調次第で更新!!趣味の演奏、手芸、模型の紹介、日常あれこれを書いています💓

模型(プラモデル)から見た!日本の国防 2

2012年03月25日 | プラモデル・模型
今日は昨日出かけてまいりました、
田宮俊作会長の講演会「模型から見た!日本の国防」の中から
会長様の生い立ちのところまでを書かせていただきたいと思います


今回講演会が行われました会場は、
島田市の「夢づくり会館」と言う大井川の西側にある施設でした




施設には学習の部屋などの部屋の他、
大ホールまで完備された素敵なところでした
当初講演会は学習の部屋で行われるはずだったのですが
入場整理券が思いのほかたくさん配布されたことから
急遽この会館の大ホールで行われることになりました


午後1時半より田宮会長様の講演会が始まったのですが、
講演会の始まりに田宮会長の生い立ちなどをお話しくださいました
タミヤの会長様は昭和9年生まれ(1934年)で
家業は父親が運送業を行っておられたそうです
運送業ではバスやトラック、タクシーなどを扱われていたそうです
会長様が国民学校(今で言う小学校)に入学した年の12月(1941年)に
太平洋戦争がはじまり運送業で使っていた車を戦争などに供出してしまったことから
お父様が製材業を始められたそうです

会長様は男ばかりの7人兄弟の上から2番目で
会長様が大学に行くころには家業があまり良くない状態に陥っていたようです
お父様から学費は自分で何とかするようにと言われたため、
会長様は大学へ通う学費などをねん出するため
父親の会社の負債回収をしながら生活していたとおっしゃっていました


会長さまが製材業を行う父親の会社に勤めることからは
木製の模型を作り始めたそうです
ただその頃アメリカ製のプラモデルを見て・・・
ニッパで切り、接着剤で貼るだけでこんなに精密ですごい物が出来ると言う事に感動し
自分でもプラモデルを作る事にしたそうです

その事が、今のTAMIYAを作っているのだと思います
昨日の講演会の時にはこの話は出なかったのですが、
タミヤ最初のプラモデルは戦艦大和だったそうです
ただ競合メーカーがいち早くタミヤより精巧な戦艦大和のプラモデルを発表してしまった為
最初の大和はあまり売れなかったとお話を聞いたことがあります


昨日の講演会ではこのような生い立ちをお話しくださったのですが、
みなさん興味津々で聞き入っていました

明日は太平洋戦争の頃のB-29とゼロ戦の話や
自衛隊の次期戦闘機の話などをかいつまんで書かせていただきたいと思います


 では、これからもよろしくお願いいたします