古伊万里を収集するようになった頃、色絵柿右衛門は図録や美術館で見るもので
自分のような貧乏サラリーマンが手にできる品だとは全く考えていなかったように思います。
とは言え、柿右衛門様式といっても千差万別でありまして、濁し手の鉢やヨーロッパのお城にあるような名品から
柿右衛門様式の末期の染錦手の小皿まである訳で、いつかは柿右衛門という思いの中で、なんとか入手できたのが今回の小皿です。

11cm程の小皿ですが、余白、草花文の構図、色使いに関しては典型的な柿右衛門ですが、圏線については染付で描かれており
染付を併用した「染錦手」というカテゴリーに属するタイプの柿右衛門様式であると言えます。

濁し手ではなく染付の生地を使っていますので、全体に青白い典型的な伊万里の土であり、手取りも小皿の割には重く
柿右衛門様式として決して良い品とは言えません。とは言え、今から十数年前、ワタシが初めて購入した柿右衛門様式の品でありまして
何と言ってもワタシでも買える値段の柿右衛門であった、これが購入した最大の理由だったように思います。

裏面も四方に花びらを散らしただけのあっさりしたもので、この部分だけ見れば、柿右衛門様式とは言えない品かも知れません。
その後いくつか柿右衛門様式を入手することができましたが(たいした品はない)、この品が一番思い出深い品ではあります。
自分のような貧乏サラリーマンが手にできる品だとは全く考えていなかったように思います。
とは言え、柿右衛門様式といっても千差万別でありまして、濁し手の鉢やヨーロッパのお城にあるような名品から
柿右衛門様式の末期の染錦手の小皿まである訳で、いつかは柿右衛門という思いの中で、なんとか入手できたのが今回の小皿です。

11cm程の小皿ですが、余白、草花文の構図、色使いに関しては典型的な柿右衛門ですが、圏線については染付で描かれており
染付を併用した「染錦手」というカテゴリーに属するタイプの柿右衛門様式であると言えます。

濁し手ではなく染付の生地を使っていますので、全体に青白い典型的な伊万里の土であり、手取りも小皿の割には重く
柿右衛門様式として決して良い品とは言えません。とは言え、今から十数年前、ワタシが初めて購入した柿右衛門様式の品でありまして
何と言ってもワタシでも買える値段の柿右衛門であった、これが購入した最大の理由だったように思います。

裏面も四方に花びらを散らしただけのあっさりしたもので、この部分だけ見れば、柿右衛門様式とは言えない品かも知れません。
その後いくつか柿右衛門様式を入手することができましたが(たいした品はない)、この品が一番思い出深い品ではあります。
花と器の関係みたいですね
最初に入手できたものには、ひとしおの思い入れがありますものね。
柿右衛門様式は、ホント、私も憧れでした。
40年以上も前の話ですが、東京で、後期の柿右衛門様式の豆皿がびっくりするような値段だったので、買えなかった記憶が蘇ります(__;)
正直なところ、時代的な変化なのか、窯にようる個性だったのかは判りません。
実際のところ、輸出の主力が柿右衛門様式からよりゴージャスな金襴手へ移行することを思うと
もしかして国内向けの品だったなんてこともあるんでしょうか・・・。
赤絵町の発掘で柿右衛門が柿右衛門窯以外でも焼かれていたことが判る前なら
なおさら特別だったのかも知れません。
思えば、「柿右衛門」とか「古九谷」という呼称には魔力的なものがあるように感じます。